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【仏教コラム】悩む人必見 悩みの構造解説

こんにちは。僧侶の神崎修生です。

今回は、「悩む人必見 悩みの構造解説」という内容で書いてみたいと思います。最後までお読みいただけると嬉しいです


さて、皆さんは、どのような時に悩まれますか。悩みの原因はどこにあるのでしょうか。

まず、仏教では、

・自分の思いどおりになっている時に、心地よい感情になる。
・自分の思いどおりになっていない時に、悩んだり、怒ったりする。

このように考えます。

自分の思うような方向に話が進んでいたり、自分らしくいられるような状況だと、苦しくはないですから、悩みがおきることもありません。自分の思わない方向に話が進んだり、自分らしくいられなかったりする場合には苦しくなって悩むわけです。

身近なことで考えてみるとどうでしょうか。例えば、やりたくない仕事を任された場合、仕事だから社会人としてやらなきゃいけないという思いもありながら、やりたくないという思いも感じて、それに葛藤することもあるかもしれません。

また、人間関係では、職場や学校などで、自分とそりが合わない方がおられる場合もあります。上司、目上の方が、自分の意見や価値観を当然のような顔で押しつけてくるようなこともあるでしょう。学校の友達と、意見が合わず、けんかになることもあるかもしれません。

自分の思いとは反するような形でものごとが進んだり、自分の思いを否定されたり、違うと思う意見を押しつけられたり、自分が自分らしくいられない状況などがおこると、苦しみ悩みます。


▷人間関係で悩む構造

日常の悩み事を思い出してみると、ほとんどが人間関係による悩みではないでしょうか。それ以外の悩みもありますが、ほとんどが人絡みによる悩みだと言えるかと思います。人間関係で、なぜ人は悩むのでしょうか。それは、根本的には、自分の望むように相手がならないからです。

我々は、大なり小なり、相手に対して、こうしてほしい、ああしてほしいと期待をしています。親に対してうるさく言わないでほしいとか、子に対して早く寝なさいとか、仕事の部下に対してこの仕事を頼むとか。人間関係ですから、それぞれ少しはありますよね。

しかし、立場や思い、興味関心など、人はそれぞれに違いますから、人は自分の思いどおりには動きません。また、逆もそうで、自分が人から望まれた通りに動くかというと、そうではないと思います。

利害関心や、そうしたいと思うかどうかなど、意識的、無意識的に、頭を巡らせて、その行動をするかどうか考えて行動します。お互いに相手に何か望み、期待し、その通りにならなければ、腹をたてる、すねる、憎む、悩むなどの感情がおこります。

・自分の思いどおりになっている時に、心地よい感情になる。
・自分の思いどおりになっていない時に、悩んだり、怒ったりする。

という構造の通りです。子どもの頃は、感情の抑制が中々ききませんから、思い通りにならなければ泣いたり大声を出したり、思いを爆発させます。ある程度、歳を重ねれば、人は自分の思いどおりにはならないと理解をします。

相手にあまり望まないことは、自分が苦しまない、悩まない一つの方法です。


▷自分中心の欲求は根深い

相手にあまり望まないようにしよう、自分の思い通りにならなくても、腹を立てないようにしよう。我々はそう思ったとしても、実際にそれをしてみようとすると、とても難しいですね。

運転中、自分が急いでいる時に、前の車が遅ければ、早く走ってほしいと思いますし、すごく楽しみに冷蔵庫にとっていたアイスを食べられたら、怒ることもあるでしょう。

待ち合わせで何時間も待たされたり、仕事の手柄を取られたりしたら、やはり怒るかもしれません。そして、相手が悪いという気持ちになりますね。

ですから、自分の思いどおりになっていない時に、悩んだり、怒ったりするということは、頭では分かるのですが、実際に思い通りにならない場面になると、相手が悪いと思いますし、場合によっては怒って当然だとも思うわけです。

中々、聖人にはなれませんから、それがだめだとも思いません。人間がお互い心地よく生きていくための社会常識、マナー、ルール、法律もあるわけですから、それらに反したものも全て、怒らないようにすることは、やはり我々難しいわけです。

(常識などは、立場や時代によっても変わり、絶対的なものではないので、それについても考える必要があるのですが、ここでは話がそれるので、またの機会にしたいと思います)

ここでは何が言いたかったかというと、

・自分の思いどおりになっている時に、心地よい感情になる。
・自分の思いどおりになっていない時に、悩んだり、怒ったりする。

という構造を理解していても、実際に思い通りにならないことがおこると、やはり我々は悩んだり、怒ったりしてしまう、そんな存在でもあります。我々の心の奥深くを覗いてみると、自分中心の欲求がどっかりと腰を下ろして座っています。それほど、自分中心の欲求とは根深いものです。


▷人はそれぞれ自分が大切

人はそれぞれ自分が可愛いし、自分が大切です。少し恐いことをいうと、人は追い込まれると何をするか分からない存在です。私は、ご年配の方と多くお会いする機会があるのですが、その中で、戦争経験について、伺ったことが幾度かあります。

ある方は、戦地に身を置いた時の心細さや恐怖、そして、自分のことをいかに大切だと自分は思っていたかということを身をもって感じたということをおっしゃられていました。ある時に、戦地で敵兵と遭遇し、銃口を向けられたそうです。その時にその方は、考えるよりも先に、とっさに相手を撃っていたと言います。そして、自分の身を守らなくてはならない、死にたくない、生きて還りたいという本能的、根源的な欲求がわいてきたと言います。

それまでは、敵兵と出くわしてなかったので、人を殺めたくないという思いもあったそうですが、実際に出くわし、銃口を向けられると、そんなことは言っていられなかった、これが戦争だと身をもって実感したとおっしゃっていました。

日常的な例ではないかもしれませんが、我々人間は、そうせざるをえない状況に追い込まれたら、したくはないこともしてしまうかもしれない、本能的に自分の身を守る、自分が可愛い、自分が大切と思う、そういう存在であることは、認識しておくと良いかもしれません。

自分が他人を思いやれるのは、素晴らしいことですが、少し自分に余裕があったり、他人を思いやれるような状況にある。それは、傲ることでもないし、自分も状況が変われば、自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう、そういう存在です。

しかし、自分中心にしか生きられないからといって、それに傲るのも良くなく、できるだけ他者のことも思いやろうとする、その姿勢は重要ということは補足しておきたいと思います。


今回は、

▷悩みの原因
▷人間関係で悩む構造
▷自分中心の欲求は根深い
▷人はそれぞれ自分が大切

という内容で考えてみました。

またの機会に、悩みに対する対処方法についても書いてみたいと思います。

今回は、ここまでです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

合掌


浄土真宗本願寺派 教證山信行寺

副住職 神崎修生

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