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【コラム】抜苦与楽で取り組みを整理すると、お寺がやるべきことが見えてくる。

こんにちは、僧侶の神崎修生です。

今回は、「抜苦与楽で取り組みを整理すると、お寺がやるべきことが見えてくる」というテーマでお話していきます。

主には、寺院関係者向けに書いたコラムですが、お寺の取り組みについて書いたものなので、それ以外の方からのご意見も何より参考になります。是非ご感想をいただけますと嬉しいです。


▷全ての取り組みを自他の抜苦与楽で整理してみる

仏教やお寺が大切にしている基本姿勢は、自他の抜苦与楽です。苦を抜き(苦悩が和らぎ、癒やされ)、楽を与える(より良く生きていく)ことを、自他共に実現していこうとするものです。

自他の抜苦与楽を基本姿勢としていることは、仏教やお寺が、苦しみに対応しているものであることを表しています。つまり、何らかの苦しみを感じた時に、その苦しみが和らいだり、癒やされたりする要素が、仏教やお寺にあり、それが大切な役割でもあるということです。

そこでまず、現状のお寺の取り組みや、僧侶・寺族の活動を、抜苦に整理分類することをおすすめします。既存の取り組みや活動が、抜苦与楽という仏教やお寺の基本姿勢に適っているかどうかを確認するためです。

具体的に、どのようにおこなうかというと、既存の取り組みや活動を、仏教の四苦や八苦のいずれにあたるかに整理分類してみます。私はこれを抜苦与楽のフレームワークと呼んでいます。


・お寺の既存の取り組みや活動を、抜苦で整理分類する。

・苦は、四苦や八苦を用いるとよい。


例えば、葬儀や法事、お墓などは愛別離苦、終活は老病死苦、仏教講座は生苦などです。取り組みが複数の苦にまたがることもあるでしょうし、子ども会のように、必ずしも苦に対応していないものもあるでしょう。

しかし、既存の取り組みや活動を、抜苦に落とし込み、整理分類することで、その取り組みや活動の本来の意味合いを再確認することもありますし、見えていなかった価値に気付くこともあります。場合によっては、必ずしもお寺でおこなう必要性のないものも見えてくるかもしれません。


・抜苦与楽で整理分類することで、価値の再確認や発見につながる。

・必ずしもお寺でおこなう必要性のないものも見えてくる。


知識としてインプットするだけでなく、実際に整理分類のアウトプットをおこなうことで身になっていきますので、寺院関係者の方は、是非試してみていただければと思います。


▷なぜ、抜苦で整理分類するか

なぜ、既存の取り組みや活動を、抜苦で整理分類するかについてですが、大きく3つ理由があります。1つは前述の「既存の取り組みや活動が、仏教やお寺の基本姿勢に適ったものとなっているかどうか確認するため」であり、2つは「選択と集中をおこなうため」、3つは「苦という強い動機に対応するため」です。


既存の取り組みや活動を、抜苦で整理分類する理由

・仏教やお寺の基本姿勢に適ったものとなっているかどうか確認するため。

・選択と集中をおこなうため。

・苦という強い動機に対応するため。


▷選択と集中

1つ目は、先ほど述べましたので、2つ目の「選択と集中をおこなうため」について見ていきます。

まず、多くのお寺は、家族による自営業の形態で運営されています。2~3名程度で運営されているという統計もあり、また高齢化も進んでいます。人的リソースが限られている割に、お寺がおこなっていることや機能は多岐にわたっています。

ご葬儀、ご法事、納骨関連、お盆や彼岸の法要、祈願祈祷、講座、護持会の管理運営、伽藍の維持管理、寺報や案内の発行、事務仕事、清掃など、自坊の活動だけでも多い上に、近隣寺院との参り合いや、PTA、商工会などの地域の出事もあり、かなり多忙な状況です。

ご葬儀は早急な対応が求められますし、来客や参拝者対応もあるので、お寺を留守にしにくい状況にもあります。また、人が集まるという機能もあります。家族で運営している場合は、子育てや介護などもあります。

おそらく、規模としては、地方の商店街にある小さな個人経営の店舗とそう変わりませんが、その割に取り組みや活動の量や種類が多いことがお分かりいただけるかと思います。

この状況では、日々に追われ、法務や行事などがルーティン化してしまい、全体的に質が下がってしまったり、本業が何なのか分からないような状況になってしまうこともありえます。質を高めようと努力をされている僧侶(寺族)の方はおられるので、全てのお寺がそうなると言っているわけではありません。

ここで言いたいのは、人的リソースが限られている中で、もともと取り組みや活動の量や種類が多いため、質が低下してしまったり、注力すべきことに注力できなくなるような仕組みになってしまっている可能性があるということです。


・多くのお寺は、家族中心の自営業なので、人的リソースが限られている。

・その割に、取り組みや活動の量や種類が多い。

・そのため、法務や行事の質が下がってしまったり、注力すべきところに注力できなくなるような仕組みになっている可能性がある。


人を雇用できるお寺は、財政的に一部ですし、これまで護持会を中心にお寺が支えられていた仕組みも、檀信徒(門信徒)の高齢化や、過疎化、檀家意識の希薄化などによって、次の担い手が見つかりづらいような状況です。

とすると、対応策をとらなければ(取れなければ)、このまま家族中心の運営のままであり、キャパシティオーバーや、大切なことに注力できないというような状況は改善されにくいと思います。

ですので、選択と集中が非常に重要になると思います。選択と集中とは、お寺や僧侶・寺族の本業とは何か、大切にすべきことは何かと考え、それを選択し(他は捨て)、特化し、注力することです。

選択と集中は、何をやる上でも基本です。人も時間も資産も限られていますから、何に時間と労力とお金を使うかを設計することはとても重要なことです。

僧侶や坊守が、必ずしもおこなわなくてよいことは、思い切って捨てる(止める、外注するなど)のも一案です。そうすることで、時間や心に余裕が生まれ、やるべきことに集中できるようになります。

そして、何が大切なものかを選択し、集中する上で、一旦、既存の取り組みや活動を、抜苦で整理分類してみるのがいいと思います。そうすると、このお寺は、愛別離苦に特化しているんだなとか、老病死苦に特化していこうとか、住職、坊守の個性や資質を考えると、生苦に特化したほうがいいかなとか、色々とアイデアが出てきます。そして、これはおこなわなくてもいいのではないかというものも見えてきます。

昔から大切にされてきたものを捨てることは、中々難しいことだと思います。捨てられないが、今はあまり参加者がいないなどのものであれば、それを今にあった形に意義づけ、形を改善していくことも重要です。その改善の方向性こそが、「皆がより良く生きる」という与楽の方向性での意義づけになると、私は思っているのですが、それは、またの機会に書きたいと思います。


・抜苦で整理分類することで、何を大切なものと位置づけ、注力していくべきかが見えてくる。


漠然と悩んでいても解決はしません。フレームワークなどの何か考える材料をもとに、思考を進めていくことが重要です。


▷苦という強い動機に対応する

なぜ、既存の取り組みや活動を、抜苦で整理分類するかについての3つ目、「苦という強い動機に対応するため」という理由についてですが、これも「選択と集中をおこなうため」と関連しています。

人は苦しみを感じると、何とかしたいという強い動機を持ち、それを改善するための具体的な方法を取ろうとします。足が痛ければ病院や整骨院などにいきますし、歯が痛ければ歯科に行きます。

そして、仏教やお寺が、自他の抜苦与楽を基本姿勢としていることは、何らかの苦しみを感じた時に、その苦しみが和らいだり、癒やされたりする要素が、仏教やお寺にあり、それが大切な役割でもあるということでした。

選択と集中をおこなうにあたり、まず、強い動機となる苦に対応することを考えると良いと思うのです。苦に対応すること(抜苦)は、仏教やお寺の本来的なあり方でもあり、周囲からも求められていることでもあります。


・人は苦しみを感じると、何とかしたいという強い動機を持ち、それを改善するための具体的な方法を取ろうとする。

・選択と集中をおこなうにあたり、まず、強い動機となる苦に対応することを考えると良い。

・苦に対応すること(抜苦)は、仏教やお寺の本来的なあり方でもあり、周囲からも求められていることでもある。


多忙や限られたリソースの中で、お寺は漠然としたものに時間や労力を費やしている余裕はありません。本来的なもの、求められているもの、結果の出るものに、なるべく時間や労力をかけていきたいものです。

また「より良く生きる」こと(与楽)も、これからさらに求められる時代に入ってきます。

仏教やお寺、僧侶(寺族)の本来的な役割や、外にも目を向けつつ、近視眼的な視点だけでなく、中長期的な視点にもたって、今何をおこなうべきかを考えていくことが重要だと考えます。

厳しく聞こえるかもしれませんが、お寺も淘汰の時代に入ってきています。しかし、寺院の運営や生き残りを前提に考えていくことは本来的ではないと、前回のコラムでも書きました。

何が言いたかったかというと、既存の取り組みを抜苦をもとに整理分類し、選択と集中をおこない、「皆がより良く生きる」という与楽の方向性で、既存の取り組みをも意義づけ、改善していくこと。そうすることで、より良く生きようとする人たちが集まる必要な場として、お寺がよみがえっていくと考えます。

今回は、そのために抜苦をもとにした、既存の取り組みの整理分類の方法と、整理分類をしたほうがいい理由について、お話しました。

次回以降に、なぜ「皆がより良く生きる」という方向に舵を切った方がよいのかについても、もう少し詳しく見ていきたいと思います。


最後まで、お読みいただき、ありがとうございます。

合掌


浄土真宗本願寺派 教證山信行寺

神崎修生

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