【一口法話】手を合わせる意味。死別を受けとめ直す
信行寺で開催した「盂蘭盆会」(お盆の法要)にて、お話をさせていただきました。その内容をまとめましたので、宜しければどうぞご覧くださいませ。
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お盆とは、季節の節目に、先立って往かれた方のことを思い、手を合わせる行事とされています。
お盆は、日本で昔からおこなわれてきた行事のようです。西暦600年代には、「盂蘭盆会」というお盆の行事がおこなわれていたという記録が残っています。今から、1400年程前のことです。
私たちは、お盆などの季節の節目や、ご法事などで手を合わせる機会があります。お仏壇がご自宅にある方は、日々手を合わされているかと思います。こうした手を合わせる機会には、どのような意味があるのでしょうか。
私も僧侶として、色々な方のお参りをさせていただくご縁がありますが、手を合わせる機会には、「大切な方との別れを受けとめ直し、関係を紡ぎ直す」という意味があると感じます。
大切な方との別れは、人生の中でも大きな出来事です。寂しさや後悔など、様々な感情が生まれます。だからこそ私たちは、別れていくだけではなく、その別れを受けとめ直し、その方との関係を紡ぎ直すことが、生きていく上で重要な営みとなると思います。
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以前、一周忌をお勤めさせていたただいた時のことです。お母様がご往生されて(お亡くなりになられて)、一年のご法事でした。
娘様のご家族が、お母様とご同居なさっておられましたが、「母の部屋を片付ける気に中々なれません」とおっしゃっていました。別れた寂しさや、そこここに面影が残っていて、気持ちの整理が付けづらいようでした。
しかし、「お仏壇に毎日手を合わせたり、お供え物などをする中で、母と一緒に生活しているような感覚になることもあります」ともおっしゃっていました。
私たちは手を合わせたり、お供え物をするといった営みの中で、大切な方との別れを受けとめ直すことがあるようです。
「お母さん、今日も行ってくるよ」「お母さん、今日はこんなことがあったよ」。そのように語りかけながら、関係を紡ぎ直していくことがあるようです。
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以前、80代の女性の七回忌をお勤めさせていただいた時のことです。その女性のお孫さんにあたる20代の女性が言われていたことが、とても印象的でした。
「おばあちゃんは、いつも私の味方でいてくれました。私がすることを、いつも応援してくれました。「あんたが思ったことをしたらいいよ」と、いつも励ましてくれました。だから、おばあちゃんが亡くなった後も、応援してくれたことや、かけてくれた言葉がずっと私の中に残っていて、未だにおばあちゃんに後押しされています。社会に出て、迷ったり悩むこともありますが、おばあちゃんが応援してくれている、いつも見まもってくれていると思うんです」。
そのようにおっしゃっていました。かけてくれた言葉や思い出は、ずっと心の中に残り続け、心を温め、励ましてくれるんだと思いました。
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大切な方との別れは、人生の中でも大きな出来事です。特に別れた当初は、寂しさや後悔など、様々な感情が生まれます。だからこそ私たちは、別れていくだけではなく、その別れを受けとめ直し、その方との関係を紡ぎ直すことが、生きていく上で重要な営みとなると思います。
浄土真宗では、先立って往かれた方は、ただ別れていくのではなく、阿弥陀仏という仏様の浄土(仏の国)へ往かれ、仏様となって私たちを見まもり、導いてくださっているという世界観を大切にしています。
今日はお盆ですね。お盆とは、季節の節目に、先立って往かれた方のことを思い手を合わせる行事です。こうした手を合わせる機会を通して、私たちは「大切な方との別れを受けとめ直し、関係を紡ぎ直す」ことがあるようです。
今日は、お盆をご縁として、皆様と共に手を合わさせていただきました。信行寺の「盂蘭盆会」に、ようこそお参りくださいました。
合掌
福岡県糟屋郡 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
▼一口法話シリーズ
一口法話|神崎修生@福岡県 信行寺|note
南無阿弥陀仏
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