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後部座席と雷



どこの国でも同じような雷が轟くのだと知った。





深夜便に乗るためにノイバイ国際空港へ向かうタクシーの中で何の気なしに景色を眺めていると、周りを走るバイクの運転手が急に減速して停止し、ゴミ袋のような雨がっぱを着始めた。


ベトナム語の天気予報など何を言っているわからないので知らなかったが、今夜は雨予報だったのだろうか。この世の終わりみたいな大きな雨粒とひび割れみたいな雷が、ざんざんぼこぼこと落ち始めた。異国の地の下り坂はなんとも恐ろしい。



後部座席から眺める、見慣れない左ハンドル。雨が降ろうと雷が鳴ろうと知ったこっちゃ無いといった顔でしわひとつ寄せない運転手のおっちゃん。先ほどまでと何ら変わらず、スマホをいじりながらの運転でとても器用に歩行者やバイクを避ける。ベトナムの人たちは、バイクドライバー然り皆運転が上手すぎる。物と物の隙間を信用しすぎているので、いやいや無理でしょうといったレベルの自動車と自転車の隙間を容赦なく通過していく。この数日、何度「やばい死ぬ」「おっちゃそれ人轢いてまう」と思ったことか。


サァッと辺りが明るくなり、ついに空が割れたかと思ったら2、3秒遅れてガラガラと入道雲が崩れる音が響いた。それでもまるで主人公みたいに水たまりに突っ込んで、カッコよく水飛沫をあげて走り続ける私のタクシーは深い緑色。


高校生の頃、22時の塾終わりに必ず祖父が迎えに来てくれた。祖母の作ってくれたタッパー弁当には、その日の晩食卓に並んだであろうおかずがぎっしりぎちぎちに詰められてから間も無く、煮物やふりかけはいつもしっとりとしていた。殺人現場のベッドに手を置いた名探偵ではないが、「…まだ温かい…」と心の中で呟きながらいつも蓋を開いた。私はそれがだいすきだった。そういえば、いつもお弁当ありがとうとお礼を言ったことはあっただろうか。


最近買い替えたという小さめの自動車。車好きな祖父が最後の車だと駄々を捏ねて買ったという、シルバーの軽。いつ乗ってもお線香の香りが漂っていた。祖父の左後ろが塾終わりの私の特等席だった。坊主頭の祖父の声を聞きながら食べるお弁当の味は、本当に優しかった。あの頃のお泊まりのときみたいに、じいちゃんとばあちゃんと3人並んでご飯を食べている気分がした。最初から盛られている量は変わらないのに、まるで右から左から、「これも食べ」と次々におかずを分けてくれたあとみたいだった。



今日はいちばんに解き終わったけんみんなよりも先に進んだよ。

数IIが本当に難しくて悩んどるんよ。

古典は理解できるんやけど、現代文って正解なんかなくない?

別に、元気じゃなくないよ。


調子がいいときは祖父にいろんな話を聞いてもらいながらタッパー弁当を食べた。調子が悪くて話をしたくない時に容赦なく悪態をついて黙っていると、祖父はぽつりぽつりと面白い話をしてくれた。そういう、気分を察してくれるイケメンなところは、おそらく母に遺伝したのだろう。母と話していても同じことを感じる。ヘッドライトで道路を照らして走る毎週水曜日の30分間は、ダークグレーと黄色。


梅雨時期はよく、大雨の中を迎えに来てもらった。


私は小さい頃、雷が嫌いだった。雷が鳴るたびにギャンギャン泣く私を祖父は面白がった。高校生になっても祖父は私を雷嫌いだと思っていて、よくからかわれた。


ちっちゃいとき雷さんが鳴ったらわざと本堂の大太鼓鳴らして、そしたらもっと雷がおっきいに聞こえてようけ泣いたなあ。


祖父の後頭部はケタケタと震えてなんとなく嬉しそうだった。雷が嫌いな私を思い出して笑ってくれるなら、何歳になっても雷嫌いでいるつもりだ。



ベトナムの運転手は私の名前をローマ字でしか知らない。だからじいちゃんと違って雷嫌いをからかったりしない。ここにはばあちゃんのタッパー弁当もない。仕方ないから、右の窓に光る雷を私はただ静かに受け入れるしかなかった。



支えのないまま、知らない土地で聞く雷は少し怖かった。日本と同じように鳴っているのに、隣にいる人が違うと、こんなにも感じ方が違う。

あの、ベトナミーおっちゃん、ベトナム語でいいからさ、嵐がすごいねとか話しかけてよ。ちょっと怖いよ、雷。

翻訳アプリで伝えることも考えたが、ただでさえ危険すぎる運転なので大人しくしておいた。


まさか飛ばないか、と思ったけどなんとか飛ぶらしい成田行きの飛行機。台風の影響で名古屋に着く便はキャンセルされたらしい。


今から祖父と祖母の待つ日本に帰る。帰ったら電話で伝える。

ベトナムの雷の音で、あなたの後部座席とあなたのお弁当を、とてもとても、愛おしく思ったこと。

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