見出し画像

追悼・大江健三郎

大江健三郎全小説の出版記念公演時に置いてあった
大江健三郎氏のパネル

 私の敬愛する作家の一人・大江健三郎氏が2023年3月3日に、老衰によって、88歳で逝去された。その報道を今日知り、有給休暇を取得していた自分は薬局の待合室で、思わず泣きそうになった。実際少し涙も出た。
 昨年亡くなった映画監督のジャン=リュック・ゴダールに続き、大江健三郎までこの世を去るとは思いもしなかった。
 2013年の『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』以後は、ほぼ作家活動が停止していた。それから、何かしら書いてほしいと個人的には期待していたが、その10年後に逝去された。

 私が大江健三郎の作品を手に取ったのは、大学2年の時だったと思う。自分は、当時自意識過剰で、軽音楽サークル活動やアルバイトにも馴染めない。その上、かなり尖っていて、恐らく「近寄り難い」雰囲気を出していた。また、大学時代は法学部に在籍していて、それでも授業とかについていけず、投げ出したいという気持ちが強かった。
 友達も皆無に等しく、大きい震災の影響もあったので、当時ハマっていた読書を深めるため、どんな文学や本が傑作なのだろうか、と調べてみたら、その候補に大江健三郎が入っていた。高校時代にあまり開かなかった国語の便覧とかにも、大江健三郎が載っていて、「川端康成に続き、日本人で2人目のノーベル文学賞」と記載があり、「どんな作家なのだろう」というミーハーな気質から、手に取ってみた。
 まずは、短編集とか、芥川賞を取った「飼育」とかから読んでみよう。そう思った自分は、出世作である「死者の奢り」を読んだ。都市伝説の一つとされているらしい「死体洗いのアルバイト」を題材にしていて、読んでみた。要約すると「お前、何故文学部なのに、医学部みたいな死体洗いのアルバイトしてるんだ!」みたいなことが書いてあり、「自分は何故法学部なのに、文学部が読むような大江健三郎の作品を読んでいるのか」と代弁された気持ちになった。それで少し救われた気持ちになった。
 『個人的な体験』で、自分の障がい児をどうするか、という主人公・鳥(バード)の気持ちにも共感したり、義理の兄である伊丹十三との関係を題材にした『取り替え子(チェンジリング)』でも、例え周りの誰かがいなくなっても、希望を持つことが大切なのだと、大江文学から色々教わった。中期や後期の作品は、絶望的な状況に置かれても、最後あたりにほんの小さな光が差し組むような作品が多いような気がする。だから、自分は大江健三郎が好きなのだと感じた。

 大江氏の作品は、20作くらいは読んでいる。今は時間が取れない、読むには荷が重すぎるので、少し遠のいてしまったが、若い時に読むことができたのは僥倖だったのではないか、と感じる。文学作品の傑作である『万延元年のフットボール』を大学3年の時に読破できたのは、やはり嬉しかった。
 大江健三郎氏のイベントにも数回行ったことがあり、2012年6月の大江健三郎賞の受賞記念対談を見に行った。この時は、確か綿矢りさ氏が対談相手だったが、ほぼ大江さんが綿矢さんの『かわいそうだね?』をべた褒めしていて8割方、大江さんがしゃべり倒していた(ちなみに、とあるキッカケで同受賞者の星野智幸氏と何度かお話させていただく機会があったが、星野さんの時もそうだったのか、と質問したら、同様に大江さんがずっと話していたらしい)。
 2012年10月頃に、紀伊國屋サザンシアターで行われた対談にも行った。大江さんとクレオール文学の旗手であるパトリック・シャモワゾー氏が対談する予定で、確か予約して講演を聴きに行った。確か堀江敏幸氏が進行役だった気がする。
 大江健三郎ファンクラブというものもあり、大江さんのファンの方々とともに、数回読書会や懇親会にも参加させていただいた。読書で少し交友関係が広がったのが嬉しかった。
 生きているうちに好きな小説家の話を聴けたのは嬉しかったが、一度でいいから、サイン会に行ってみたかったな、と思った。

 だいたい小説家になっている人は、ほとんど大江健三郎氏の作品を読んでいる気がする。私の敬愛する作家・中上健次は当時新鋭だった大江の文学とかに触れていて、初期の文体は、その影響が色濃く残っている。町田康氏も仕事がない時(小説家になる前)に読んだという趣旨のインタビューが載っていたり、阿部和重氏も『洪水はわが魂に及び』とかに感銘を受けた、みたいなことを書いてあった。
 私自身は、大江の文体は確かに難解だけれど、ドロドロとした中に、これだけ語彙が詰まっていて、豊穣な感じはなかなか無いと感じ、その世界観にハマっていった。年や時代を経るたびに、文体が変遷していく感じも、面白く、これだけスタイルが変貌していく作家は、なかなかいないと思った。
 やはり、戦後を代表する作家なのだな、と気づかされた。

 大江氏は確かに亡くなったけど、その功績は無くならないだろう。好きな作家の一人ではあるが、全てを理解したわけではないし、未だに読んでいない作品も多い。
 ただ大江さんによって救われたのは確実に言える。
 今後も、それが運命だとはわかっていても、好きな作家や芸術家、芸人や俳優、映画監督等が亡くなった時は、悲哀に満ち、打ちひしがれてしまうのだろうか。それでも、それを受け入れなければならないだろう。

 そして、自分は、これからも恐らく大江健三郎氏の本を読み続けていくだろう。
 素敵な文学、小説をありがとうございました。安らかに。

最後まで、読んでいただきありがとうございます!もしよければ、投げ銭・サポートしていただけると幸いです!いただいた寄付・サポートは、今後の活動費と家賃等の生活費にあてたいと思います!よろしくお願いします!