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円滑なやりとりをするには

誰かが言った「業務の引継ぎは、お互いが同じ業務をできるようにしていくことで、誰かが欠けてしまっても業務が円滑に回っていくようにするために行うもの」と。「引継ぎ=教えること」だと思う。人に教えることはその経験を積んだ人間であってもなかなかできないことだろう。それでも人は自分が生きていくためには「教えることに向き合う」ことをしていかなければならない。

今の仕事は20年近く続けてきたけれど、この概念は適用されることなくほぼほぼ1人でなんとなく「幅広く」のことをやり続け、ずっと私だけ他の人とは別のルートを1人で歩き続けてきた。職種の若干の特殊性と「教えることができない人」を上の方の人を持ったことと、私自身が取り組むことになった業務を理解している人間がいない状態(特に採用)だったことが、ずっと私だけ他の人とは別のルートを1人で歩き続けることになってしまったような気がする。構造的不遇ここに極まり…といったところ。

上の方の人は「自分がわからないこと」に関してはまったくノータッチ。「自分がわかることでも、筋道立てて教えることはしない」から、「何がわからないかわからない状態から、自分でなんとかしていくしかなかった」それが仕事だと言われればその通りだけれども、本来なら上の方の人の立場の人間が明確に教えるべきこと(常識的なもの)ですら「私にゼロからやらせる」状態だったから、「うーん、なんか違うよね」とストレスは積る一方だった20年近いお仕事。「やりながら覚える」ことが一番飲み込みの早いことは事実だけれど、多分、それは結果的にそうなっただけのこと。「問い返すこと」が足りなかったから益々「私にゼロからやらせる」ことが当たり前のようになってしまった。「それが仕事だ」と言われれば…以下省略。その当たり前って「誰の目で見ても客観的にみて当たり前のことをしている(指導、連絡、フォロー)」ことが前提としてあって初めて成立する当たり前なことでしょう。

それができない人って明らかに不機嫌で、明らかに他者を避けがちな人が多いような気がする。そんな人に普通に接することは難しい。それでもコミュニケーションを取り続けることは必要であった。「曖昧な回答に終始する」感じが面倒くさいからそのまま受け流し続けて自分でどんどん進めて既成事実化させてきてしまった(その分、その履歴・過程はちゃんと残すことは忘れずに)「明らかに面倒くさそうにしている」ことを黙ってやってあげてきてしまったことが、ダメだったのだと反省している。ただ、コミュニケーションを取り続けていたとしても変わらなかったと思う。何度も書いていたけれど、多分、不機嫌極まりなくなられて(そりゃそうだ相手は理解しているけれど、私何がわからないかわからない感じで聞き返されられれば)20年近くも仕事は続けられなかったと思う。正社員であり続けることはできなかっただろう。#就職氷河期世代 の人間としてはそう思えてならない。

たら、れば…の話だからどうなっていたかはわからないけれど。

本来なら上の方の人との間で可能な範囲内で「業務の引継ぎは、お互いが同じ業務をできるようにしていくことで、誰かが欠けてしまっても業務が円滑に回っていくようにするために行うもの」をしていくべきだったのかもしれないけれど、「大変だよねー」「幅広くやっているからねー」だの「今度は変わろう」と20年近く同じことを言われ続けている。もう、うんざりしているし、それがストレスでしかない。そこで機転を利かして「じゃあ、そうしていきましょうよ」だの「変わってくださいよ」だの言うべきなのかもしれないけれど、それを下の側の人間が言い出すのは筋が違うと思えてならないんだ。総論としての「引継ぎ」だけじゃない各論としての「引継ぎ」も本来上の方の人間が考えるべきことでしょう。

どうやら、それも私が考えなければならない方向に進みそうで、心底うんざりしてストレスが増すばかり。コミュニケーション不足が招いた結果であり、構造的な問題も重なり合ってずっとアンジャッシュのコントのようにすれ違い続けるに連れて、私個人にかかる負担が増すばかり。しかもほほ1人でやっている状態。全体量で考えるとほぼ他者と繋がって仕事をすることはない。狭い世界の中でこれはちと辛い。毎日がシンドイ。明らかに業務量も増えている、増えていくことが確実な中で(報われることもほとんどないことが確定しているなかで、自分を律するのはなかなか難しい。それでも何とか踏ん張っているけれど)

さすがに、最近様子がおかしいのを察してくださる方たちが心配してくださるけれど、本丸たる上の方の人は我関せず。なんだろね、どうすればよかったのかね。

誰かが言った「業務の引継ぎは、お互いが同じ業務をできるようにしていくことで、誰かが欠けてしまっても業務が円滑に回っていくようにするために行うもの」から一番遠い場所でほぼ1人で働き続けている私としては、今の勤務先に対して抱いている不安はこの点に尽きるのかもしれない。それは「信用し信頼されている」ことの現われなのかもしれないけれど、上の方の人が「誰の目で見ても客観的にみて当たり前のことをしている(指導、連絡、フォロー)」状態ではないから、「信用信頼詐欺」に近いんじゃないかって思いたくないけれど思ってしまう。

「信用信頼詐欺=便利屋=都合のいい人間」

自分自身に至らない点があった結果としてそうなってしまった感は否めないから、その点は素直に認めて反省したい。けれど、全部を全部「お前が悪い」とされるのだけは話が違う。構造的なものが引き起こしたものがあるからそれは仕方のない面があることは否めないけれど、それはそれであって「しょうがない」の一言で逃げられてしまっては(逃げられたんですよねえ…本人は覚えていないとおもいますが)「えっえっ、私の人生って、何?なんだったのこれまで」

「都合のいい人間」扱いをされることを我慢するのも限界を超えてます。

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