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【第十八回】何もにもなれなかった50男の物語

台湾から帰国したたてやんです

すくすくと育ち20歳になった
たてやんのお話でもします


ぼくは成人式を迎えた

都内の成人式は有名人が
ブッキングされている

ぼくらの成人式も当時
売れていた2人組だった

前日は親友JJと朝まで
飲み明かしていた

当時のぼくは体力もあった

なにより大酒飲み

一晩で日本酒1升は行けた

その時もだらだらと
飲んでいたけどいつの間
にか眠ってしまった

強烈な喉の渇きで目ざめた

ぼんやりした頭で成人式と
思い出した

時計を見るとすでに開始
している時間だった

「おい!JJ!起きろ!」

爆睡しているJJを起こし
ぼくらは急いで服を着た

それからタクシーで式場へ

するとなんてことだろう

本来なら紅白のゲートのはず

ところがゲートは紅白でなく

白黒だった

葬式のような異様な雰囲気に
ぼくらはテンションがた落ち

1989年

昭和天皇が崩御した年

ぼくらはライブもない寂しい
成人式を過ごした

天皇が崩御されぼくはひとつ
良いことがあった

実は免停中だったぼくは
普通にバイクに乗っていた

橋の上を快走していると
パトカーが追ってきた

袋小路でぼくは捕まった

そしてぼくは免許取り消し

2年間免許がとれず警視庁
まで裁判を受けて来た

そうしたらなんと!

判決は天皇崩御の恩赦で
1年になった

免許がないから捕まっても
痛くも痒くもないし

そういう心境だった

無免許だったが1年間
普通に運転していた


地方へ出張した日

前泊をしたぼくは神戸にいた

いつも関西へ出張した時
泊まってるホテルがあった

平成7年1月16日

風見鶏の館や異人館を
楽しんだぼくはホテルへ

裸で寝ていたぼく

1月17日早朝

それは突然来た

「ぐらぐらぐら!」

ぼくは激しい揺れで
あちこち擦りむいた

「あいたたた」

とりあえず服を着てドアを
開け出口を確保した

ところが....

関西は地震が少なく
誰一人出てこなかった

一旦揺れが収まったので
2時間ほど待機してた

チェックアウトしようと
ロビーに降りた

ロビーには大型テレビが
ついていて大火事の様子

なんだかただならない
雰囲気の中梅田駅へ

なんということだ

梅田は半壊して電車も
動いていなかった

もう一度ホテルへ戻り
ロビーのテレビを見てたら
長田が燃えている映像が!

高速は倒壊し昨日行った
風見鶏館も半壊したらしい

ぼくはオヤジへ電話した

「こっちは大騒ぎだよ」

東京はけろっとしたもんで
のんびりしていた

「とにかく仕事にならん」
「これから東京へ戻る」

それからは本当に大変

コンビニに食料がない

そして

新幹線は動いてない

唯一動いていた近鉄線で
名古屋に向かった

途中の売店も食料は売切れ

名古屋に着いたぼくは

こだまに乗り東京へ

結局大阪から12時間

東京へ着いてようやく
軽く食事をした

長田地区は在日韓国人が
長屋に住んでいた

そこで靴を作っていたが
糊の保管が悪く大火事に

でもキレイになった新長田

廃業した人も居たしわざと火を
つけた人も絶対いただろうと思う

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