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【舞台感想】たゆたえども沈まず/宝塚歌劇花組大劇場公演「アルカンシェル」〜パリに架かる虹〜

2月15日に宝塚大劇場にて花組公演「アルカンシェル」~パリに架かる虹~を見てきました。

観劇直後は唖然とするばかりでしたが、これはちゃんと怒るべきなんじゃないかと思えてきました。
この脚本にGOサインを出してしまう(出さざるを得ない?)、そこに宝塚歌劇を危機たらしめている要因が潜んでいるのではないかと。
なかったのは時間? それとも別の何か?

わざわざ「ドイツ占領下のパリ」~「パリ解放」という特殊な時代を物語の舞台に選んでいるのだから、密告、猜疑心、自己保身か正義かの葛藤など、極限状況で揺れる感情や人間模様を丁寧に緻密に描かないと意味がないと思いました。分断や集団による私刑を招く群集心理も。
そこからいまにも通じる普遍的な人間の有り様、人間の尊厳や崇高な魂を見出すことができたら素晴らしい観劇体験になっただろうに。
なぜこうなってしまったのだろうと思いました。


フリードリッヒの当事者意識のない能天気さ

永久輝せあさん演じるフリードリッヒ・アドラーは、ホーゼンフェルト大尉(WW2中にユダヤ系ポーランド人ピアニストのシュピルマンらの命を救うも終戦後にソ連の強制収容所で死去したドイツ人将校)を念頭に創作されたのかなと思ったのですが、このお気楽さはなんなのだろうと呆然としました。

「エンターテインメントは世界をひとつにする」をお題目に、ナチス上層部を欺いて禁止されているジャズを上演するように柚香さん演じるマルセルたちに提案しますが、自分が当のジャズを禁止しマルセルたちパリ市民を苦しめているナチス政権下のドイツ将校(文化統制官)である自覚のないこと、ディートリッヒの亡命を語る時の軽さにしても、戦争も虐殺も自分には関係のないところで起きている他人事のように認識している人物でした。
ただただ自分が好きなエンターテインメントをやりたいだけの人物。そのためにマルセルたちに危険を冒させることにも無頓着。
キラキラしたスローガンで情緒的に訴えるやり方は薄ら寒ささえ感じました。

そのフリードリッヒの提案というのが、表向きはウィンナワルツのショーを上演していることにして、実際にはジャズの演目を上演するというもの。
そのために並行して2つのショーを構成・制作し、両方のショーができるように稽古をし、ナチスの前ではウィンナワルツを、それ以外ではジャズの演目を上演するという、思いつきはイージーだけど上演する側にはハードなもの。
これが露見すればどうなるか。相手は収容所送りや拷問もするナチスです。

フリードリッヒがマルセルたちにジャズを上演するよう説得する時に、「占領下のパリで観客の多くを占めるドイツ兵が求めているのはジャズだから」と言っていたことにもフリードリッヒの人間性を疑いました。
マルセルたちがどういう状況下に生きているかを理解していたらこういう言い方はできないでしょう。
フリードリッヒをとことん馬鹿に描こうとしているのか、もう訳が分かりませんでした。
そしてこの提案にのるマルセルたちもよくわかりません。
マルセルの側にそこまでしてもジャズを上演したいという動機があるように描かれていないので。

マルセルたちがジャズに自分たちの自由精神を託してなんとしてもやりたいと、表現者として手段を考え、それにフリードリッヒが協力する設定ならわからなくもないですが、あくまでフリードリッヒ主導なのが、その彼が自分の立場の自覚もなく、万一発覚した場合はどのような手立てがあるのかについての言及もなく、とてつもなく能天気なのが「どうゆうこと?」でした。

作品の見せ場として『ウィンナワルツのショーを上演する体でジャズショーを上演し、軍幹部の入場を知るや急遽ウィンナワルツに変更というスペクタキュラーな展開の場面を作る』のが目的なのかな?とも思いましたが(そうなら見てみたかったりはしたのですが)そういう場面はありませんでした。

加えて、彼のアネット(星空美咲さん)への積極的すぎるアプローチも疑問でした。
まともな大人なら、占領側のナチスドイツの将校である自分が被占領側の女性と特別な関係になるとはどういうことか、彼女がどういう目で見られるか考えられるはずなのに、その視点がないこと。彼女に対して本気であれば葛藤があると思うのにそれもないのかと。
自分のことしか考えられない、いつまでも大人になりきれていない人物なんだなと。ラストの言葉も含めてそう思いました。

占領下のパリで、人を踏みつけにしている側である自覚もなく(つまりナチスドイツに些かの非も感じていない)、自分に悪意がないから踏みつけにしている相手からも受け容れられると信じて疑わない様子も、虐げられている人びとの中から1人だけをピックアップして救出する残酷さの自覚もない、その独善さに何度も抵抗を感じました。
このキャラクターを「いい人」と描く脚本に疑問を抱かずにいられませんでした。

歴史的事実を軽んじていること/茶番が過ぎる

偽ってジャズをやっていることはすぐに発覚し、フリードリッヒは降格の上前線の任務に。
劇団は無期の公演中止でマルセルはSSによる厳しい取り調べ(拷問)を受け、星風まどかちゃん演じる花形歌手カトリーヌは交換条件をのまされて無理やり単独ドイツ本国に巡業へ。劇団員の1人ぺぺ(一樹千尋さん)は言動をとがめられて思想犯として子どもを残して強制労働収容所送りに。
結果はかくも悲惨です。

フリードリッヒの計画は最初から能天気すぎるし、占領軍を欺いたことが露見すればこうなることは当然予測できたことですが、にもかかわらず「のった俺たちもわるかった」と『フリードリッヒ無罪』みたいなダニエル(希波らいとさん)の軽いエクスキューズも含め、なんだこの茶番は?と思いました。
親を連行された少年イブ(湖春ひめ花さん)に対する周りの態度も鬼かと思いました。「思想犯として収容所に送られる」ということがどういうことか、歴史的事実の認識が軽すぎて容認できませんでした。
さらにその後のぺぺ救出茶番劇には、こんな描き方がゆるされるのかと疑問でいっぱいになりました。

公演中止が解かれたのち、一座の花形カトリーヌを失った劇団はアネット(星空美咲さん)を中心に華やかにラテンショーを上演。ジャズは禁止だけどラテン音楽はOKなんだそうです。
えーそうなんだ、あの危険極まりない無謀なジャズの上演とはなんだったのか状態です。
あれだけのことを引き起こしておきながら、どうしてもジャズでなければならなかった理由付けが弱すぎだと思います。

さらにナチスがジャズを解禁すると、それをフリードリッヒが自分たちの勝利のように言うことも、ちょっと待った、と思いました。
ナチスは彼らに屈したのではなく、ジャズの人気が侮れないことを察知してプロバガンダの喧伝に利用しただけ。いくらフィクションでもそこは曲げてはいけないと思います。
エンターテインメントをプロバガンダに利用するのに長けていたのがナチスドイツだし、日本においても宝塚歌劇が戦争に利用されていた時代もあるくらい。
能天気な「エンターテインメントは世界をひとつにする」は危険で害悪だと思います。

プロットをなぞるだけの2幕/占領下のパリの人々の解像度の低さ

1幕のあいだはまだ華やかなレヴューシーンや柚香光さん&星風まどかさんのトップコンビの美に目が喜んでもいたので、これを2幕でどう収拾するのだろう? フリードリッヒの背景や事情を知ったら納得できるのかも? などと思ったのですが、期待は裏切られ・・2幕はプロットをそのまま、なにも肉付けせずに見せられているようでした。
時間が足りていなかったのは間違いなさそうです。

なぜ上手く事が運んだのか、どんな葛藤がそこにはあったのか、主人公まわりの人々(劇団員たち)はそれぞれどんな背景をもつ人々でそれぞれに何を考えてそういう行動をしているのかの描写が二幕を通じてありませんでした。
レジスタンスに入るかどうか1つとっても人それぞれに葛藤や背景があるでしょうに。まるで部活の勧誘のような軽さで、露見したら拷問や収容所送りになるかもしれない重い決断であることも伝わってきませんでした。
ドイツに協力的な人、そうせざるを得ない人、反独感情が強い人、ユダヤ人への感情などさまざまな人がいるはずなのにそれもわからない。
そもそもなぜ彼らは占領下のパリにいるのか、パリを離れる選択だってできたはずなのに。家族は恋人は。
せめてアルカンシェルのダンサー役の帆純まひろさん、希波らいとさん、美羽愛さんくらいにはストーリーがあっていいんじゃないのかな。
せっかく見た目は目立っているのにもったいないと思いました。

パリ解放に至っても一様に喜ぶのっぺりとした人々がいるだけになっていて、あえてこの設定にする意味があったのかと疑問でした。
パリ解放後の対独協力者への私刑(特にドイツ兵の恋人を持った女性に対して)を知っていれば、アネットはもちろんカトリーヌも無事だったのかと心配になるのは当然だと思うのですが、その後についてはなにも触れられず、ハッピーエンドでめでたしめでたし。
人々が苦難を強いられた時代背景を拝借して実相とはかけ離れた安易な世界観で描くことに嫌悪感がありました。
積み重ねてきた歴史や命の重みを疎かにしていること、しかもこのやっつけ感に憤りを覚えました。

好きだったところ/まどかちゃんのドレス姿と役

柚香光さんのピエロのマイムはもっと見ていたいほどでしたし、このスーツ姿と完璧な後頭部も見納めかと思うとせつなさでいっぱいになりました。
星風まどかちゃんのお芝居の衣装は過去最高に好きでした。腰高で細いウエストに高い胸の位置、ゴージャスなまどかちゃんの体型にぴったりで。やっとまどかちゃんの美しい肢体にフィットしたドレス姿が見れたと嬉しかったです。
柚香さんとまどかちゃんが向き合っている横からのシルエットが美しくて愛おしかったです。
そしてまどかちゃんの役が、人生に仕事に責任をもって生き、愛し苦悩するカトリーヌという自立した女性だったのもエモーショナルでした。何か(誰か)に巻き込まれる役やキャンキャンした役が続いた頃もあったのに、見事に大人の女性の役で卒業するのだなぁと。

つくづくこんなにセンシティブで難しい時代設定でなくてもよかったのになぁと思えてなりません。
せめて占領下のパリでレヴューの火を絶やさないように奮闘する人々のお話ではだめだったのかなぁ。
永久輝さんは潜伏するレジスタンス運動家でエトワール歌手をめざず星空美咲さんと恋に落ちる設定とか。
もしドイツ人を絡めるなら、若いドイツ兵と淡い恋に落ちる美羽愛ちゃん、相手のドイツ兵は若手のたとえば希波らいとさんとか・・。(お2人が可愛くてとても目立っていたのにストーリーがなかったのがとても残念で・・)
ジャズやシャンソンなどあの時代ならではの音楽や歌でをふんだんにちりばめ、苦難の時代に屈しない人々の群像劇だったらなぁ・・(妄想)。

ともあれ東京公演では良くなっていることを切に願っています。

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