ふと思い出される味の記憶

というと、例えば実家のおふくろの味だったり、昔のバイト先の賄い飯だったり、よく通っていた職場の近くの牛丼屋だったり、人はそういう何度もすり込まれた思い出付きの味を想像するのだろうか。

私にはそういうものは一切ないと今の今まで思っていたのだが、ふと急に思い出した。料理名なんてのはない。強いて言うなら給料日前限界ゲロ。

大学4年、私の一人暮らし生活は貧困を極めていた。月のバイト代は5万。その中で家賃以外の生活費をなんとかしなければいけなかった。そもそも私の実家もお金が無いので、家賃を出してもらえているだけありがたいことだった。(とはいえ月3万もしないボロアパートだったが)

それはそうとして私は限界レベルの貧困だった。バイトがない日はほとんど引きこもり気味だったので普段の食事は殆ど必要ないが、バイト前は倒れない為にコンビニで30円のチロルチョコを買って齧っていた。

スーパーマーケットに行くのは月に2回ほどで、牛乳や卵、インスタントの袋麺等を買っていた。たまに、料理をしたくて鶏もも肉、小麦粉や片栗粉を買うこともあった。

しかし料理に対するモチベーションは月に一度あればいいほうで、だいたい食事も空腹感が満たされればそれでよかったので、こだわりはなかった。(そもそもこれは貧困の原因の一つでもあるが、週1で友人と外食していたのでそこでちゃんとした食事が取れればそれでよかった)

給料日前一週間、通帳に1000円ギリギリない時が一番辛い。999円でも、あったら一週間余裕で生きられるのに、私の財布には30円しかない。ATMで下ろすことのできない999円を目前に、私は崩れ落ちる。

なんていったって冷蔵庫は空だ。

私は棚を漁った。小麦粉しかない。調味料はまだ、なんとかある。

そこで私は小麦粉を水に溶き、そこにだしとラー油を混ぜたものをごま油で焼いた。それにマヨネーズとラー油をかけて食べる。

見た目はゲロだが、もちもちしていて腹持ちがいい。カロリーも高そうだ、暫くは生きられる。

私はこのゲロを食べ続け、給料日前を凌いだ。

そのゲロの味が、なぜか今さっき私の脳裏に浮かんだのだ。作ってみた。やっぱり見た目はゲロだった。

思い出の味がおふくろの味ではないことを母には申し訳なく思いつつ、私はたぶんどんな状況でも生きられるんだろうな、なんて目の前の得体のしれないぶよぶよを見て思う。

このわけのわからない物体が、思い出の味の人生なら、割ともうどうなっても生きていける気がする。私は過去の自分の貧困過ぎる哀しさと、それでもなんとかやっていた強さに励まされた。

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