結界が崩壊する瞬間

ひとは、みんな本音と建前のバランスで生きている。そんなのはあたりまえである。

本音を言って誰かを傷付けてしまったとき、自身も傷付けられるという覚悟をしなければならないからである。

悪意が無かったとしても人を傷付けてしまう本音は誰もが持ち合わせている。

そして、その不意に出た本音が誰かを傷付けた時、傷付けられた対象の中で眠っていた本音は悪意となる。

それはまるで全てを守っていた結界が崩壊するように、悪意の弾丸は放たれる。

悪意の弾丸で傷付いた時、人は被害者になりたくなる。しかし、元を辿れば先に本音で傷付けたのは誰なのか。

悪意は増幅する。たった一つ誰かが傷付く本音を話した人間は、玩具になる。傷付けられたと感じた人間達は悪意を放ち、それを見た大衆は、何を言っても良い対象と捉え悪意は無くとも大衆が傷付くような本音でもお構いなしに投げつける。

これはここ数日私がインターネットで見た風景だが、学生時代のいじめの縮図を思わせた。

悪意の無い暇な大衆が加わってきたところで歯止めは効かなくなる。なぜなら悪意が無く、大衆にとって対象はそこらへんに落ちていたサンドバッグでしかないからだ。特に意味はないが、なんとなく、殴る。

私はそういう考えのない行動が一番嫌いだ。でも、それって大衆心理で負に作用するならいじめやリンチ、黙殺などだが、良い風に作用すると流行やバズ、経済活動に影響する。

ああ、これだから大衆は。賭けみたいなものだ。ある時は恋しく、ある時は本当に恐ろしく思う。

もしはじめから、一対一で喧嘩できるなら、そうしたほうが良かったのかな、なんてね。

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