映画「パラサイト 半地下の家族」感想 「万引き家族」、「ジョーカー」、そして・・・
どうも。
こないだの「アイリッシュマン」のレヴュー、かなり読まれているようなんですが、嬉しいです。今日もオスカーのノミネート。有力作品。lこれです。
今年のカンヌ映画祭パルムドールでもある「パラサイト 半地下の家族」。これ行きましょう。これ、昨年の「Roma」と同じパターンで、外国語映画賞の有力作ながら、同時に作品賞のノミネートも有力視されていることでも話題です。果たしてどんな映画なんでしょうか。
早速あらすじから見てみましょう。
話は、半地下の小さな家でピザ屋をやっていたキム家が、衛生問題でビジネスが台無しになるところから始まります。
そんな、ある日、一家の長男ギウが、友達のやっていた英語の家庭教師のバイトの仕事の後任を任されます。
ギウの勤め先はパク家と言って、アメリカかぶれの感じもある、韓国でもかなり珍しいタイプの大金持ちでした。ご婦人のヨギョンさんはかなりのお人好しです。
ギウは、パク家の教え子のティーンエイジャーの女の子と恋仲になりますが、彼はガードの甘いパク家につけ込みます。彼は、恋仲に落ちた子の小学生の弟が、アメリカン・インディアンに執着を持つ変わった子で、絵の上手い子でした。ギウはそこに目をつけ、自身の妹のギジョンを少年の絵の家庭教師につけることをヨギョンさんに訴え、採用となります。
すると、ここからはギジョンが暗躍します。彼女はパク家の運転手をセクハラを理由に訴え、父、キテク(ソン・ガンホ)を運転手に迎えさせ、さらにパク家長年の家政婦ムンクアンジュさんを、アレルギーの病気で解雇に追い込み、母チョンソクを後釜に据えさせます。
運転手になりすましたキテクは、運転中のご主人、パクさんの貧乏人を愚弄するような言動にかなりの憤りも感じますが、とりあえずキム家のパク家乗っ取りはうまくいきます。
ある晩、パク家が家を留守にしている間に、キム家はパク家で晩餐をしようとしていました。ところが、そこに思わぬ来客が現れ、とんでもない事態が・・・。
・・・と、ここまでにしておきましょう。
この映画で、監督のポン・ジュノは見事、今年のカンヌのパルムドールを受賞しましたね。さらに
主演はポン・ジュノ映画ではおなじみの人ですね。「殺人の追憶」(2003)、「グエムル」(2006)でも主演だったソン・ガンホが務めていて、韓国映画のファンの人には、この意味で楽しみにしている人たちも少なくないでしょう。
僕もポン・ジュノの作品は、あまり韓国映画に詳しくない僕でもパク・チャヌクとともに、基本、毎作見るようにしている(でも、全部は見れていない)監督なんですけど、この人の映画に共通して見られる権威的なものへの憤りと、弱者への優しい目線が見られます。
ポンジュノの場合は、それを、かなり奇想天外な寓話風な作風で表し、その特殊性が面白かったりします。それが極端な方に行くと
「グエムル」とか「オクジャ」みたいに、通常の生物じゃないものまで登場してくることもあり、今回もタイトルが「パラサイト」なので、そういうのが出てくるのかと思いきや
そういうものは今回、出てきません!
が!
その分、
プロット上の「ドッキリ!」が2度、3度!
これが、かなり上手いんですよ。
あらすじでは、それが起こる前の地点で止めてます。ネタバレになってしまうので。ただ、この映画、本当に面白いのは、あらすじに書いた直後のところからです。今の韓国映画って、ジュノにせよ、チャヌクにせよ、イ・チャンドンもそうだと思うんですけど、脚本の展開がいい意味でかなり大胆かつ強引で、「よくこんな展開、思いつくな」と思って感心しちゃうんですよね。ここのエンタメ性がすごいなと。
そして、批判となる対象への容赦ない攻撃、これもすごいものがあります。今回だと
このパクさん一家の、とりわけご主人がかなり槍玉にされるんですけど、ポン・ジュノ、ハリウッドにも進出しているにもかかわらず、「アンチUS」な傾向がかなり強いんですよね。「グエムル」で怪物が生まれた背景にも、米軍の違法廃棄物がありましたしね。
これ、カンヌだとですね
昨年の是枝裕和監督の「万引き家族」に次ぐ、「アジアの格差社会の産物」が描かれた作品がパルムドールを受賞したことになりました。
「万引き家族」、僕もかなり好きな映画ではあるんですけど、悲しいかな、「パラサイト」のような世界的なヒットにはならなかったんですよね。そうなった要因には、おそらく今、韓国の方がエンタメの国際ビジネスの駆け引きが上手い事が一番の要因にあるような気もしますが、それと同時に、「エンタメへの昇華」の仕方が、ポン・ジュノの方が上手いな、とも感じました。
「万引き家族」って、やってしまったことは犯罪なんだけど、「血のつながり以上に必要なもの」を訴えるセンチメントがあったでしょ?あそこで「切ない方向性」に話が流れてしまった。あれ、日本人には通用しても欧米人にはなかなか難しい考え方なんですよね。欧米社会だと「生んだ親」がかなり絶対なんですよ。あちらの社会だと、離婚・再婚があった場合、継父、継母を「お父さん、お母さん」とは絶対に呼びません。ほぼ100%、名前呼びです。これ、僕が特に、継父をお父さんと呼んで育っている経験があることもあって、かなり大きなカルチャー・ギャップでもあるんですが、そういうものです。欧米人だと「実の子をそんなに軽々しく捨てられるのが理解不能」という考え方なんですよね。この辺りで「万引き家族」、損したかな、とおもてます。
それに対して、この「パラサイト」は、センチメンタルな方向に話が流れず、後味の悪さも含めて痛快な方向に話を持って行っています。それプラス、「悪さしようが、、家族の絆と愛は絶対」を訴えている映画でもあります。この辺りが、アメリカでは受けたんでしょうねえ。かの国だと「パラサイト」、単館ベースだったにもかかわらず、アメリカでの外国語映画の動員の記録作るほどのヒットになりました。アメリカに行くと、この映画、かなり流行しているようなんですよねえ。上映の映画館がパンパンになってることで、「映画通が話題にする映画」になっているようですから。
こういう逸話の流れ上、この映画がオスカーの作品賞ノミネート候補になるのは納得がいきます。
が!
僕は正直、この作品、そこまで驚かなかったんですよねえ。
おそらく、これ、「見た順番」の問題なんでしょうけどねえ。
「ジョーカー」の方を先に見てしまったから!
これ、カンヌで勝った時に、先に見たかったですよ。そうしたら、もっとインパクト持って心に響くものがあったと思うんですよ。だけど先に「ジョーカー」の方を見てしまった。皮肉にも、作品の説得力では「パラサイト」の方が圧倒的に上(「ジョーカー」は作品として粗い)だと思うのにもかかわらず。
作品の出来が仮に不完全でも、与えるインパクトの強さって、映画だと大事なんだな、ということを、今回のこの2作の対比で思いましたね。。同じ「格差社会を描いたセンセーショナルな悲劇(でも客は共感)」で、どっちを先に見るかで印象がだいぶ変わってくる、というのをね。
「ジョーカー」と「パラサイト」、オスカーではどちらが評価されるか、にも僕は個人的に注目しています。
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