抑圧への抵抗がテーマのオペラ(悪玉編)
抵抗のオペラ前・後編では抑圧に抵抗する人たちの姿をオペラの中に見てきました。
今回の悪玉編では抑圧する側の身勝手さとその結末を見ていただこうと思います。
現実世界でも悪玉と呼ばれる人はいて、彼も言い分はあるでしょう。
ですがオペラの悪玉のように身勝手な考えを持っていれば、最後もオペラと同じ結末を迎えることになるのです。
そのことを今回の記事で確認したいと思います。
モーツァルト『フィガロの結婚』
アルマヴィーヴァ伯爵の館で今夜結婚する予定の下僕フィガロと女中スザンナ。
ですが伯爵は結婚前にどうしてもスザンナの味見をしたくてたまらない様子。
「俺の意のままにならない女を下僕が手に入れて良いのか?」と勝手な怒りを爆発させる場面です。
本音は“お前のものは俺のもの!”のくせに、口では「復讐だ!」と自分を正当化するのが悪玉の常なのです。
ベートーヴェン『フィデリオ』
政敵フロレスタンに一時負けそうになったドン・ピツァロは報復として、彼を拉致して牢に幽閉しています。
しかしある日牢へ査察が入ることになります。
悪事がばれる前にフロレスタンを亡き者にしようと腹をくくるドン・ピツァロ。
悪の権化のように演じられることの多い彼ですが、この演出では猜疑心ばかり強く、神経質で気が小さい男として描かれています。
今の私たちには既視感のある場面に思えるかもしれません。
ヴェルディ『マクベス』
魔女の予言に唆され、先王を暗殺してスコットランドの王位に就いたマクベスですが、自らの手を汚したことをすぐに後悔します。手に入れた地位にも安心できず、盟友のバンクォーの謀殺を手始めに国内に圧制を敷きます。
民衆は反乱を起こし、マクベスを追い詰めます。
「女の腹から“生まれてきた”者はマクベスには勝てない」との魔女の言葉を信じて強気に戦うマクベスですが、「私は女の腹から“引きずり出された”(つまり帝王切開)」と言う武将マクダフを前にして彼は魔女にハメられたことを悟るのです。
甘い誘惑に乗って、引き返せない大博打に手を出したマクベス。
ロシアの独裁者は「戻るべきか、戻らざるべきか。」と、自分をハムレットになぞらえましたが、実際の姿は手を出すべきではなかった博打に乗ってしまったマクベスそのものです。
ワーグナー『ラインの黄金』
権力争いを描いたオペラならこれをおいて他には無いでしょう。
ワーグナーの『ニーベルングの指輪』四部作。
全て上演するのに4日、15時間を超える大作です。
神々と魔界の、人間界まで巻き込んでの権力争奪劇で、物語的にも音楽的にもオペラ史上最大の規模を誇る作品のため、作曲者のワーグナーはこの作品の上演のために自分のオペラハウスを建てたほどでした。
この作品の中から二つの場面を紹介しましょう。
まずは第一の作品『ラインの黄金』から幕切れの場面です。
あらすじがわからないと場面が理解しにくいので、大変お手数ですが先に下記のリンクからストーリーをご確認ください。
長い引用になりますが大事なところですので、歌詞の日本語訳も添付しておきます。
ヴォータンは卑怯な手を使って盗人から奪った黄金で手に入れた城を「決してやすやすと手に入れた城ではない」と言っています。
自らも手を汚していることに気が付いていません。
今までは神々を欧米の資本家に見立てた解釈がなされてきましたが、現代の金持ちはこんなに尊大ではありません。
ならば甘い誘いで恩を売って高い代償を取ったり、勝手な妄想で他国を侵略したりしながら、「偉大なる支配者の栄光の下でお前たちは平和に暮らすがよい。」と笑っているのはいったい誰でしょうか?
この場面はそうした人たちの姿をリアルに描いてみせています。
ワーグナー『神々の黄昏』
『ラインの黄金』の物語は『ヴァルキューレ』『ジークフリート』というオペラに引き継がれますが、その過程で世界を支配する指輪はいろんな登場人物に狙われます。
『愛』を否定することで指輪を生み出す力を得た“妬み”の象徴アルベリヒ。
「世界の支配権は当然自分にある」と信じて疑わない“権力者”の象徴ヴォータン。
『宝』を欲しながら、手に入れたらそれを抱えて洞窟に引きこもる“無知”の象徴ファフナー。
ヴォータンに砕かれた勇者の剣ノートゥングを鋳直すことも、愚かな勇者ジークフリートをだますこともできない“無能”の象徴ミーメ(アルベリヒの弟)。
そして指輪は一旦、“無欲”の象徴ジークフリートの手に収まります。
ですがそんな彼もアルベリヒの息子ハーゲンに殺されてしまいます。
ハーゲンは父譲りの“妬み”に加えて“孤独”と“不信感”を併せ持った“反社会的人間”の象徴でした。
ですがハーゲンは指輪を手にすることができませんでした。
ジークフリートの妻ブリュンヒルデ(ヴォータンの愛娘で、女戦士ヴァルキューレの一人)が指輪もろとも炎の中へ身を投げてしまうのです。
彼女の“愛”と“勇気”と“決断”がこの悲劇の連鎖を終わらせます。
彼女が飛び込んだ炎は夫を奪った人間たちの館を焼き、なおも大きくなって天上の神々の世界までを焼き尽くしてしまいました。
その後にライン川の水が氾濫して世界を洗い流し、ラインの黄金は元の持ち主であるラインの精たちの元へと戻っていくのでした。
最後に見ていただく動画は大詰めのシーンです。
全てを放棄することで穢れが浄化される様を、私たちはこのオペラからイメージするかもしれません。
ですが舞台を見ての通り、人類は滅んではいません。
世界に悲観することはないのです。
権力欲に囚われた者だけが自滅するというのが歴史の真実なのでしょう。
今回は以上です。
対訳の引用で文字数が多くなってしまいましたが、頑張ってついて来てくださった方、本当にお疲れ様でした。
オペラの中の悪玉と言いながら現代の大国のボスたちをイメージした記事になっていますが、何か感じ取っていただけましたでしょうか?
オペラは空想物語ではありますが、表現されていることは現代の私たちにも切実に訴えかけてくる内容を含んでいます。
絵空事ではなく、リアルな「今」と「私」をオペラの中に見つけることができるんです。
そこがオペラの永遠の魅力なのかもしれません。
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