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最後の浮世絵師 月岡芳年の魅力③

前回の記事では月岡芳年が従来の浮世絵から新たな表現に飛躍しつつある作品を見ました。

今回は芳年の個性がより際立ってきた時期の作品を見ていくことにしましょう。


『武者絵』 “カッコいい”芳年

浮世絵と言えば美人画や役者絵のイメージが強いですが、実在の人物を描いた作品も多く描かれました。
それは歴史上の事件や物語の中のシーンを題材に取ったもので『武者絵』とも呼ばれます。その大げさな表現はまるで歌舞伎のようです。

それまでの日本人にとって、激しい感情や劇的場面の表現方法は歌舞伎の中にしか存在しなかったのではないかと私は思います。
ですから浮世絵が描く物語の場面は歌舞伎のように様式化されていて、人物も大見得を切っているように見えます。

芳年の場合、従来の表現とは全然違うものとなっていて、人物の体からみなぎる力や複雑な動き、幾何学的な構図などには西洋絵画の影響も感じます。
現代の日本人ならその“カッコよさ”に劇画やアニメをイメージするかもしれません。

同様に西洋ルネサンス・バロック絵画などでもダイナミックな動きのある絵は描かれていますが、私にはそれが激しい動きの場面の”ストップモーション”に見えます。

左:ラファエロ『悪魔を倒す聖ミカエル』(1518年)
右:ティントレット『奴隷を解放する聖マルコ』(1548年)

それに対して芳年の表現は対象の「動き」「エネルギー」「時間」を丸ごと描こうとしているように私には思えます。
静止した絵で「動き」を表現しようとする。それは現代の『劇画』の感覚です。
私たちの頭の中で「動き」が再現されることを狙って、あえてオーバーなポーズを人物に取らせているところが芳年の特徴だと思います。

『芳年武者无類』相模次郎平将門 明治16年(1883)
左上から右下への鋭い対角線。
中央垂直に下るパワーと大胆な短縮画法。
圧倒的な力を見せつける将門の頭には、
彼の命を奪う矢が迫ってきています。
『芳年武者无類』相模守北條高時 明治16年?(1883?)
鎌倉幕府最後の執権北条高時。
田楽にうつつを抜かしていたと言われる彼の前に烏天狗が現れます。
逆S字を描く構図に人物たちの複雑なポーズ。
主人公を背中から描く大胆さ。
『芳年武者无類』源牛若丸・熊坂長範 明治16年(1883)
これは完全にアニメのシーンですね。
はっきりと「メ」の字を描く構図。
熊坂長範が持つ薙刀の刃先のスピード感に対して、
牛若丸の乱れた髪は軽やかに静止しています。

『美人画』 江戸の女性の生き生きとした表情

芳年は『美人画』でも従来の浮世絵の表現を飛び越えてみせます。

浮世絵の美人画では女性の顔やスタイルは、私たちにはどれも同じに見えますよね。
実在の芸者や町娘を描いているとしても見分けが付きません。
それは美人画に求められたのが生の女性の「個性」ではなく、個々の浮世絵師の「型」だったからで、現代のイラストレーターが描く美少女が同じ顔なのと同じようなものなのだと思います。

それに対して芳年はそんな女性たちの生活を描くときに、その場面のほんの一瞬の生き生きとした表情を捉えようとしています。
カメラもビデオも無い時代に女性のそうした表情に気付いた芳年の観察眼には驚かされます。

これが『春画』であれば女性の表情を描くのは案外容易かもしれません。それがどういう場面で、どういう感情を描いているかが想像できるからです。
ですが芳年は女性の表情の魅力を日常の何気ない場面で描き分けました。
考えてもみてください。西洋絵画で人の日常の表情に注目した連作など考えられるでしょうか?
この何気ないものに愛着を示す感性、それこそが日本人にしかできない表現だと思うのです。

『風俗三十二相』第三 いたそう 明治21年(1888)
惚れた男の名前を腕に彫る女郎。
痛みをこらえてそむけた顔の目の表情と
乱れた髪のの色っぽさ。
『風俗三十二相』第六 けむそう 明治21年(1888)
「蚊遣り」の焚き過ぎで煙くてたまらず、
目だけでなく口までつぐむ人妻。
様式化されて描かれた煙を避けるように
身をくねらせる女性の一瞬を捉えています。
『風俗三十二相』第八 あつそう 明治21年(1888)
お灸をすえている人妻。
白い柔肌にお灸の周りだけが桃色になっています。
熱さに耐えながらこちらに向ける視線が何とも言えません。


今回の記事はいかがだったでしょうか?
2回シリーズで書くつもりがどんどん長くなっております...
それだけ芳年の魅力は尽きないということなのでしょうか。
この後の回もぜひ読んでくださいね。


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