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助け合い、認め合い、応援し合うオンラインサロンで自由という孤独に立ち向かう


「おらこんな村イヤだ♪」

というフレーズの歌が
かつて流行りました。

僕が小学生ぐらいのときの話
なので40年近く前ですかね?

いまだになんとなく
記憶に残っているということは、

歌詞のみならず
吉幾三さんの風貌など

そのインパクトの大きさを
子どもながらに感じていたのでしょう。

昭和の高度経済成長期に、
地方の若者は都市を目指しましたが、

そんな時代を象徴する
名作だったように思われます。


■さて、

最近は経済学の本とか、
哲学の本とかを手に取り、

あっちこっち興味がむいてしまって
収集がつかないのですが、

多くの若者が戦後、

都市へ出ていった理由
なんかも語られていたりします。

農村社会という共同体
で生まれ、育ち、

家族や隣人に囲まれ、
扶助や支援をうけて人生を送っていた

というのが
かつての日本の伝統社会。

アイデンティティの基盤は
村落共同体でした。

ところが

急激な経済成長による人員不足が
「集団就職」という形で吸収され、

人々は「企業」というコミュニティに
居場所を移す。

吉幾三さんはさしずめ

「ジャパニーズ・ドリーム」的な感情
がにじみでていますが、

多くの人はそういった
強い動機(金儲け)というより、

なんとなく、しかたなく。
時代の流れの中で、という感じ。

そして経営者や政治家たちにとっては、

列強の経済支配への恐れや不安
に押しつぶされそうになりながら

懸命に、資本主義経済を
発展させていきました。

諸外国が舌を巻く猛烈な働きっぷりは
こんなCMにも。

今こんなこと言ったら
一発アウト(汗)

でも当時の日本人は
休みもそこそこに、朝から晩まで働きまくりました。


■また、

長屋暮らしの共同生活から一転
ひとりで孤独に過ごす環境は

人によってはつらくて逃げ出したくなる
そんな心境に迫られるかもしれませんが

日本独自の三種の神器。

「終身雇用」
「年功序列」
「組合」

という村落共同体では
暗黙の前提となっていた約束事

つまり、

「一生面倒見る」
「年長者を大切に」
「団結して個人を守る」

加えて社内運動会や
仕事を終えて一杯やるという習慣は

人々が抱く孤独感を
ことあるごとに忘れさせてくれる

最適化されたシステム
だったように思われます。

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また、村落共同体では

いろんな相互扶助が
タテヨコにはりめぐらされていたので

少しぐらいお金がなくても
なんとなくしのぐことができたのですが

濃密な共同体の崩壊によって
預金」の習慣が身についていって

マクロ経済的に重要な

投資と預金は一致する

という概念に
期せずして寄与することとなり

お金が超高血圧的に
循環し続けることにもつながった、

ということも
見逃せないポイントとして記してみました。


■少し話が逸れてしましましたが

現代は「働き方改革」
の大号令がかまびすしい。

コロナ禍の襲来によって
変革は加速度的に高まりました。

三種の神器によって
人材をつなぎとめる仕組みも

崩壊しつつあります。

突然降ってわいたように?
差し出された「自由

生かすも殺すも自分次第
という状況にとまどう人も少なくありません。


人々が自由を獲得した
という文脈では、

欧州のルネサンスと宗教改革、
日本では明治維新を経てからということですが、

多数の犠牲をともなった
高価な買い物だったわけです。

ですが、

自由とトレードオフする形で
責任の重さを実感し、押しつぶされそうになって

自由を投げ捨てて
全体主義に傾斜したのが

ナチズムを支持した人たち
でもありました。

企業が僕たちに自由を与えた今、

僕たちはどのように
孤独や責任と向き合うべきなのでしょうか


■村落共同体は

資本主義経済の進展
にともなってその非効率性ゆえに

(一時的に)姿を消しました。

そして代替えとなった企業
というコミュニティも、

「自由」を引き換えに、

人々を一生抱え込むという
非効率性を解消した

というのが昨今の流れ。


過ごしやすい場所」は
時代を超えて常に望まれていたものであり

「何やってもいいよ」

という「自己責任のプレッシャー」は
よく考えれば当然の成り行きなのですが

両者が分かち難く結びついていることを
あらためて突き付けられました。


■自由と責任。

二者択一を迫られる宿命
を背負うことになりましたが

「どっちもほしい」
「どっちもイヤ」

というない物ねだりの末に
トレードオフを両立するイノベーション、

一見両立しないような二つの命題を
統合的に解消するものとして

僕は最近ずっと
オンラインサロンに注目している。

村落共同体という寄り合いが
ソーシャルメディアという形で復活し

人々の自由と責任(孤独)の両立
という矛盾に立ち向かいます。


■今、

あたらしいオンラインサロンの開設に
いそがしい毎日を送っていますが

オンラインサロンって何?
と問われたときの僕の答えは

「自分の存在意義を示す場所」

オンラインサロンという共同体では
ひとりひとりが自由に、やりたいことを提案し

責任をもってアウトプットします。

そこにお金が発生する場合もあれば
発生しない場合もあるかもしれませんが

ひとりひとりが覚悟をもって
そして周囲の助けを借りながら

「守られる」という受け身ではなく
「助け合う」という主体性をもって

厳しいくも楽しい時代を
生き抜いていく。

認め合い、支え合い、応援し合う。
そんなオンラインサロンを展開して

現代社会の課題解決
を担うことができればと考えている。


ちょっとおさまりが悪いですが
今日はこの辺で。

最後まで読んでくれて
ありがとうございました。

それではまた明日。
おつかれっした!




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