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基本→構造化がモノマネのコツ

よい模倣が垂直的な動きであるのに対して、悪い模倣は水平的な横滑り。

ものまねがうまい人は、目に見える具体的な表層をそのまま取り入れるのではなく、目に見えている表層を「つまりこういうこと」という言葉とともにロジックを見つけることができる。具体を抽象に押し上げて、法則性を見いだすといった感じです。

二刀流として野球界の話題を一身に集める大谷選手。彼のバッティングフォームを真似る選手が増えているといいます。ですが、ただ単に見えているところだけをそっくりそのままマネても打てないんじゃないでしょうか。専門的なことはわかりませんが、ボールとバットのインパクトの瞬間はおそらく基本に忠実なフォーム。その汎用性を発見してこそ打撃向上の糸口が見いだせるんだと思います。

ビジネスにおいても同じ。インターネットで出回る「成功法則」は奇抜なものばかりです。奇抜だからこそメディアが飛びつくわけですが、成功事例をそっくりそのままパクっても成果は限定的だと思います。かつて、とあるサッカークラブが「バナナ」を販売して話題になりましたが、地域に根差した活動を志向しているがゆえに見つかった地元にあるバナナ園。地域との協働作業が「ドール」の協賛につながるストーリーを、他府県のサッカークラブが丸パクリしてうまくいくはずがないのは火を見るよりも明らかです。

ダイエットもしかり。リンゴダイエットや、炭水化物なしダイエットなど、個別具体的な「方法論」がもてはやされて、飛びつく人の多くが失敗談を苦々しく語ります。表層的な事例ではなく、その「骨組み」つまり構造を理解すること。構造を補完する形でリンゴが用いられているにすぎず、それを知らずに適切な運動、休養、栄養といった基本を置き去りにしたモノマネはおすすめできません。

日本には昔から「守破離」という言葉があります。師が守を教え、弟子がこれを破り、両者がこれを離れてあらたに合わせ合う。まずは師匠から基本を身につけ、上達して初めてオリジナルが活かされるわけですが、最初は基本を軸としたモノマネから入り、いつしか師匠から独立して自分の型を見いだしていくのです。

またモノマネには「反面教師」があり、あえて逆をいくことによって、ダイナミズムを引き起こすことがあります。公文式はもう何十年も続くオリジナリティあふれる学びの場。そもそもは学校や塾を反面教師にしました。異なる活動と資源によって「自学自習」という独特の価値を提案しています。

創業者がもともと、あれこれ教えられたり押しつけられたりするのが苦手だったタイプ。教師ともなれば学生に「教えてたくなる」ものですが、アドバイスは10秒以内、というルールを設けています。中学生のころ、まったく「教えない」という型破りな先生に出会って、それに倣ったものではあるのですが、「教えられたくない」という創業者の実体験が本質的なスタート地点。

一斉授業で教え込まれたり強制されたりしたのでは自分の力で進む経験を持つことができません。文部省は教室における指導を標準化。自らが理想とする教育を実践するために、生徒を自宅に招いたことが公文式のはじまりです。自学自習という指導方法は誤解を招きやすい。周囲のサポートや理解が欠かせませんが、このハードルが公文式に模倣困難性をもたらしました。

かつての留学でつちかった英語力をとり戻そうと毎日オンライン英会話を行っている私。ときおりYouTubeで海外サッカー選手のインタビュー動画を再生してモノマネをしています。それが先生との会話、実践の場に活きたりするのですがおそらく、初心者が同じことをしてもうまくいかないと思います。発音、文法、表現など超基本を徹底的にたたき込んだ十数年前の土台があるからこそ、モノマネが役立つのでしょう。

一方、論文はまだまだヒヨコ同然で、モノマネには至っていません。毎日ひたすら基本、作法を身につけるべく大量の論文に目を通し、構造を読み取るトレーニング中。まずは基本。そして構造化、抽象化。ここまでいけばモノマネとして自分の論文に役立つはずです。粛々と淡々と、積み重ねていきます。

久保大輔




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