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クリティカル・シンキングで偏りのない主張を


かつて生活した街、イングランドはリバプール。ビートルズの故郷、強風が日常の港町、独特の方言を操る人見知りなスカウサーが闊歩する田舎町です。言葉が聞き取れるようになったのは1年後。留学生活で染みついたのは勉強、ビール、そしてサッカーでした。イングランドでみな、サッカーのことを「フットボール」と呼びます。

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マージ―サイドという川を隔ててしのぎを削るのはリバプールとエバートンという古豪クラブ。私は赤のクラブ、リバプールにのめり込んでいきました。ダフ屋から2万9千円で購入したホームゴール裏最前列。KOPスタンドという愛称で親しまれるエリアにひとりで乗り込み、スカウサーに交じって「You’ll never walk alone」を大合唱しました。いま思いだしても鳥肌がたちます。日本でいうと、甲子園球場で六甲おろしを歌う感じでしょうか。

当時、プレミアリーグの覇権を握っていたのはロンドンのクラブ、チェルシー。かわいらしい名前ですがどっこいめちゃくちゃ強くて、ちょっと手がつけられない、憎らしいクラブでした。監督はモウリーニョさん。イケメンのポルトガル人で、チェルシー監督就任記者会見では自らを「スペシャル・ワン」と称し、よくも悪くもメディアの格好のネタになっていました。

チームが強すぎたこともありますが、超毒舌なモウリーニョさんにあまりいい印象はなく。その後、イタリアやスペインで監督を務め、各国でタイトルを獲得するなどして今はローマで指揮をとっています。監督としての実績は比類なきものでしたが、あまりにも毒舌すぎて、はっきりいって嫌いでした。

いろんなサッカーに関する本を手に取っても、モウリーニョさんの描写は決していいものではありません。そんなこともあって彼に対する見方は超ネガティブで膨らみ固定。揺るぎないものだと思ってましたが、最近、彼の評伝を読んで印象が変わりました。毒舌は、とにかくうるさいメディアやファンの注目を自分に向けて、選手を守るため。普段は、家族との時間を大切にするジェントルマン。

もっとも印象的だったのは、誰に対しても自分の姿勢を変えないこと。年上や職位が上の人に対しても、自分の意見ははっきりと上申する。自分と比べて無名の存在であっても丁寧に接するそうです。彼は選手としての実績がなく、通訳としての下積み経験が長く、監督としてキャリアを歩み始めても周囲から「通訳野郎」とバカにされていた経験がそうさせるのかもしれません。

アシスタントコーチ時代は、イエスマンではなく「いや、別の方法もある」として監督に意見ができる存在として監督に信頼されていました。年下に対する礼儀を重んじる姿に、誰もが敬意を表してモウリーニョさんを支持しました。

いずれにしてもコインの裏表ではないですが、モノゴトを一面から見るのではなく、多面的に考察する大切さをあらためて。クリティカル・シンキングは、自分自身の主張から一歩離れて、「いや、これって本当に合ってる?」と自問自答する行為、考え方です。私たち人間は、どんなに知性が高い人だろうが、自分の思考を偏りなく見つめることができないということが、複数の実験であきらかになっています。

私たちの思考には偏りがある。

そんな前提であらゆる仮説を立て、根拠をデータで証明し、具体的なゴールに向かって最適解を探し続け、できるかぎり偏りのない主張を構築していく。モウリーニョさんの評伝を読みながら、あれやこれや一日中考えていました。思考力や判断力を鍛えて、仕事や人生をよりよいものに。モノゴトの本質を見つけ、新しい時代を生き抜いていきたいと決意しているところです。

久保大輔




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