マーケティングを過大評価せず、「想い」を大切に
脳は可塑性の高いオープンエンドなシステム。何歳になっても学習によって鍛えることができます。逆にいえば、使わない機能はどんどん萎縮、退化。筋トレと同じですね。
話は少しそれますが、私は学歴的に、そして業務的にもマーケティングの世界に身を置いてきました。マーケティングの話をし始めると、割と長い間でも退屈しません。どんな問いに対しても割と的確なロジックを提示することができます。ですがこれ、とても危険な傾向だということも自覚しています。
マーケティングは極めて優秀な武器。売上や集客を向上させるために、その手段としてとても有効です。もちろん、マーケティングを知れば、そして実行すれば100%売れるということでは決してありません。せいぜい2割、よくて3割くらい。マーケティングでカバーできる範囲はその程度です。
野球選手でも、3割打てば大打者。7割も凡退しているにも関わらず、賞賛されます。ですが1割5部だと2軍選手。夢のあるお給料を手にすることはできません。このちょっとした差はマーケティングにも当てはまり、マーケティングを知っていると知らないでは雲泥の差があります。いうまでもなく、知っていても実行するかしないかによって結果は大きく変わってきます。
ちなみに7割の凡退。マーケティングではどうにもならないほとんどの範囲は「気合いと根性」で乗り切るしかありません。ここでどれだけがんばれるかによって、成否が分かれると言っても過言ではなく、ここをバカにする、もしくは疎かにする人が成功する事例は寡聞にして効いたことがありません。
話を戻します。冒頭、脳は可塑性が高いと述べました。鍛えれば鍛えるほどに進化し、サボればサボるほど退化。そしてマーケティングは優秀ですが万能ではありません。されど、マーケティングが大事なんです。
コップに水が入っているとします。3割入っているのか、7割入っているのかがわからなければ、あとどれだけ水を入れればいいかわかりません。「ロジック」と「気合い」の境界線がわからなければ、ロジックで考えるべきところを気合いで乗り切ろうとしたり、気合いでやるべきところにロジックを持ち込んでしまったりとチグハグです。
とは言いつつも、マーケティングに寄りかかり、データやロジックで正解を出そうとすることばかりに傾倒していると、「これを作りたい」「世界を変えたい」というコンセプトを、主体的に考える力が阻害されてしまいます。まず「世の中に何を打ち出したいのか」という想いが起点となり、その想いを実現するための道具としてマーケティングを用いるのであれば、それは極めて強力な武器に。
経営は差別化を追求する営み。いくらマーケティングで「正しい」ことを行って「正解」を導き出したとしても、それが他社と違いを生み出せなければ、その正解に価値はありません。消費者調査、デジタルマーケティングを駆使して統計的に分析し、分析結果を正確にフィードバックしたところで、金太郎飴のように他社と同じアウトプットであれば「正解に価値はない」ということになるでしょう。
答えがなかなか出ませんが、マーケティングは知っておくべきで、ですが使用はほどほどに。最も大事なのは「自分は何をやりたいのか?」というビジョンに他ならないということ。この微妙なバランス感覚を養うことも重要だと思われます。
久保大輔
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