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豊かな人生を送るための感情表現のコントロール

かつて「コミュニケーション」について何も意識していなかった私。そのときどきの感情を、一切の忖度なしにストレートに表現していました。ときに優しく、ときに厳しく、笑い、怒り、といった感じで周囲も私に手を焼いていたはずです。そして気づいたときには時すでに遅し。ひとりぼっち、というと言い過ぎですが、仕事をしていくうえで不可欠な「サポート」が乏しくなっていったのは自明のことでした。

でも当時は、なぜそのような状況に陥ったのか理解できず、理解しようともしませんでした。そして負のスパイラルが加速。どんどん、うまくいかないことが増えてきました。さすがにおかしいと思った私。いろんな人に相談したり、推薦図書を読み漁ったり、仕入れた情報を試してみたり、たくさん失敗して状況がさらに悪化したりと試行錯誤が続きました。ちょっとずつ改善の兆しが見えてきたのは都合、5年の月日が流れたあたりから。

もちろんまだまだ未熟なんですが、少なくとも感情の赴くままの言動が激減。感情をコントロールすることはできないのですが、感情をそのままストレートに表現することを控えられるようになりました。つまり喜怒哀楽はそのままに、言葉、行動、表情などを意図的に操り、平静を保てるようになったということ。悪くいうと「腹黒い」ということになるのでしょうが、人間が社会で生きていく上で欠かせない能力だとも思っています。

ちなみに京都の人は「腹黒い」なんてよく言われます。私の家族は京都に住んでいますし、友人の多くも京都人。彼らが全員そうかというと、そうとは言い切れないとは思いますが、ではなぜ京都人がそのように形容されるかというと、その理由は歴史にあると言われています。かつて都があった京の町。京都で争いが絶えなかったのか、それとも京都が逆に平和だったのか、どちらか忘れましたが、とにかく「人の出入り」が激しかったそうです。お隣さんが絶えず入れ替わる状態。気が合う人もいればそうじゃない人も当然いたはずで、まだ泰平に遠く及ばない時代をつつがなく生き抜くためには、感情を表に出すよりも「腹黒く」いるほうが生きやすかった。いわば生存戦略的な特性として「腹黒いDNA」が育まれていったというわけです(諸説あり)

人間は社会的動物。単体では体力的に弱すぎてすぐに死に絶えてしまいます。支え合って、助け合って、認め合う。そんな人と人とのつながりなくして人類が太古の昔から現代まで子孫を残すことはできなかったはずです。感情が揺れ動くのを止めることはできません。だって私たちは人間だから。だとしても周囲と社会生活を営むためには、感情の表現方法をコントロールする術を身につけることで、豊かな人生を歩んでいくことができるんだと思います。

コミュニケーションにまつわる本はAmazonでも多数紹介されているので、良し悪しの判断はカスタマレビューに譲りますが、好き嫌いでいうと以下の図書をお勧めできます。

参考までに。

久保大輔




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