「若いってどういうこと?」とこどもに聞かれたときの答え方
こどもってのは好奇心のかたまり。
いつ、親がドキッとすることをきいてくるかわかりません。
先日も、6歳の息子(サムネ写真の子です)が、こう聞いてきたのは家族で晩ご飯を囲んでいるときでした。
「わかいってどういうことなの?おとうさん」
この質問に妻としばし顔を見合わせた後、僕は彼にこう答えました。
「若いってのはね、自分が知らないことを知るのを楽しいと感じることやで。〇〇も知らんかったことを知ったとき面白いって思うやろ?だから〇〇は若いんやで」
これを聞いて彼は「お母さんも若いん?」と。
「そうやねえ。お母さんも若いよ」と妻。
「ふうん」
ノリで答えてみた割に、息子は意外と納得してくれました。
「老いる」とは
若さの定義を「知らないことを知ることに楽しみを見出すこと」とするならば「老い」の定義はどうなるか、続けて考えてみました。
僕がたどり着いた「老い」の定義は
「自分の知っていることにしか喜びを見出せなくなること」
年を取れば自分の知識、自分の得意領域は増え、その中に人生経験の中で取捨選択された好きなもの、心地よいものがたまっていきます。
自分の好きな音楽、好きな映画、好きな本、好きなお酒、好きな漫画、好きな街、好きな人達…
そんな好きなものに囲まれた「自分の世界」にいると時間を無駄にすることもなく、確実に豊かな時間をすごすことができる。
そんな自分の世界に安住して冒険に価値を見出せなくなることが老いなんじゃないかなと。
冒険には損をしたり手痛い目に合う可能性をはらんでいます。でもそのプロセスの中で自身の成長含めた何らかの大きな成果を期待した行為です。
言い換えると、結果だけでなくプロセスにも価値を見出せることであり、また、それに付きまとうリスクやコストも飲み込むことでもある。そんな冒険を楽しめることが若さということかもしれません。
長生きする猫は好奇心豊かな猫
冒頭の「若さ」についての質問を息子がしてきたちょうどその日、たまたま妻が図書館から借りてきた本がありました。
それがこの本。
この本は猫の飼い主が旅行や出張で家を空けるときにその猫の面倒をみる「キャットシッター」という職業の方(そんな仕事があるのにも驚いたけど)が書かれた本で、多くの気づきをもらえたんですが、そのひとつが、
「好奇心の豊かな猫は長生きをする」
という趣旨の記述です。この続きにはこうあります。
猫は本来好奇心の強い動物だ。長生きしてもらうためには、猫にこの好奇心をいかに持ち続けてもらうかが鍵になる。「歳をとったから、うちの猫は遊ばない」と決めつけずに、色々と工夫して、遊んでほしい。
歳をとると、経験が蓄積され、新しいことへの興味をもつことが難しくなりがちですよね。
なにか新しいものが出てきた時も、自分の過去の経験にある「似たもの」をもちだしてきて
「あー、それってあれと同じでしょ。同じようなのが昔流行ったんだよ」
みたいなマウント気味発言しがちじゃないですか。
でも実際にはうわべが似ていたとしても、今流行っている理由やら、その本質的な価値軸、物語のコンテキストなんかは全然違ったりする。
変に自分の世界観で情報を歪めずに純粋にものを見る、受け入れるのはすごく大事だしカッコいい気がしますよね。
こどもは「面白がり力」の塊
その点、こどもというのはいい。自由に何でも好きになるし好きになることに忖度がない。
息子を見ていても、好きなことにはご飯を食べるのも忘れるほど、めちゃくちゃのめりこむけど、飽きると突然興味を失う。
そしてそのサイクルが速い。
電車が好きだったかと思えば1か月後はクルマが好きになり、その1か月後には、おさかな、その1か月後には恐竜…そんな感じでハイスピードに好きなものがどんどん入れ変わっていく。
そしてそのたびに今オンタイムで好きなこと・夢中なことが頭から離れなくなる様子。それが面白いし素敵だなと思うんですよね。
大人になると、好きなものに対する固執や蓄積した知識を捨てることに対するサンクコスト感(「もったいなさ」をかっこよく言う言葉)も出てくるし、こどものころのような「純粋に夢中になれる」面白がり力も衰えがち。
ですが、この夢中になれる力、面白がり力こそ、若さの源であり、さらに言えば成長の源だと思います。
「面白がり力」を意識して成長を楽しみ続けよう
僕の友人の中には「このひとは何聞いても知っているな…」という卓越した物知りが何人かいるのですが、その人たちの共通点は、純粋に知らないことを知るのが好きなこと。努力して博識になったのではなく単に好きだから知りたくなっただけであるということ。
彼らはなんなら「努力は嫌いだ」と公言してはばからなかったりもします。
嫌なことを無理して続ける、頑張って勉強するのではなく、単に好きなことの幅が強烈に広く、強い面白がり力を保持し続けているがゆえに自然と博識になっているーうちの会社ではこういう現象を「教養とムダ知識」と名付けて大切にしています。
こどものような「面白がり力」を強く持ち続けることがアンラーニングを促し、無理のない気持ちのよい成長が維持され、そして若さにつながっていく。
日々の生活の中で、それがどこかで役立つかどうかなんて気にせずに、純粋に新しい知識を得ることを楽しむ姿勢こそが人間の持続的な成長ー若さーそのものであり、深みのある人間性の成熟につながる源泉なのではないかと思うのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
僕が経営する会社、フィラメントでは、今回のテーマである「面白がり力」にちなんだポリシー(行動指針)をつくり、僕のnoteでその解説も書いています。
これらの記事は、会社とか仕事とか関係なく、誰でもが人生を彩り豊かに面白くしていくためのヒントになればと書いたものです。
よかったらぜひこちらもご覧ください。
僕たちの会社、フィラメントでは「よりよい未来をつくりたい」人たちとつながるための「QUMZINE」というメディアもnoteでやっています。
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