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【10分】ボヘミアンラプソディがめちゃくちゃ心に染みる歌詞解説


Hey guys! LGBT英会話のそうしだよ。コロナでみんな自宅待機お疲れ様ー! 今日はみんなが大好きな映画ボヘミアンラプソディーの最後で披露されたクイーンの名曲「Bohemian Rhapsody」の歌詞をあらゆる角度から深堀してくよー!

最初にこの曲を聞いた時、どう感じましたか?歌詞が具体的に分からなくても

Mama, just killed a man

という歌い出しの部分が非常に印象的で、これを読んでる皆もなんとなく暗い曲だなってことは知ってるよね。

フレディマーキュリーはゲイだった!


ボヘミアンラプソディを深く味わうためには、ボーカルでありこの曲を書いたフレディマーキュリーがゲイであったという事実はめちゃくちゃ重要。フレディが育った時代ってのは、ゲイ差別が現代より一層酷くて、ゲイであることをオープンにして生きていくことは難しい時代だったのね。ゲイという生き方やアイデンティティ自体がまだ存在していなくて、SM等のような「変態性癖の一種」とか「男のくせに男に興奮する変態」としての認識の方が根強かったの。そんな時代に思春期を過ごしたフレディがどんな日常を送ってたのかは、冒頭の歌詞から想像できるよ。


Is this the real life?
これは現実なのか?
Is this just fantasy?
それともただの幻想なのか?
Caught in a landslide,  
地滑りにはまってしまって
no escape from reality
現実から逃げ出す術はない。

これはゲイとしての自分に気付いた時の「俺は異常なのかもしれない」という不安だね。自分が他の子と違うってことを中々受け入れたくないって気持ちはゲイなら一度は感じたことあるよね。周囲が気になる女子の話をしてるのに、自分が気になるのは男子ばかりで、「それはただのファンタジー、一過性のもの」なのかなぁと不安になっちゃう感じ。性的指向は生まれつきだから、普通になろうと思っても変えられないからさ、むしろ抗おうとすればするほど、その不安や絶望が大きくなっちゃうんだよね。これをフレディは「地滑りに嵌った状態(=Caught in a landslide)」って表現してるの。ホント、八方塞がりでどうしたらいいのか分からなかったんだろうね。

Open your eyes
さぁ目を開けて
look up to the skies and see
空を見上げて見てごらん。

だから、フレディは外の世界を見てみようと思ったの。そしたら、フレディは自分以外にもゲイがいることに気が付いていくのね。フレディにとってクイーンとしての世界的な成功がその大きなきっかけになってて、実際に彼は「ミュージシャンとして成功したことで多くの著名人と会って、ゲイコミュニティを教えてもらった」って言ってるの。そうやって、彼は少しずつ自分がゲイであるということを受け入れられるようになるんだけど、それまでの葛藤は凄まじいものだったんだよね。ここからは、彼の葛藤の話。


男なのに男が好きという絶望


I'm just a poor boy
俺はただの可哀想な子どもなのさ

フレディは自身のことを「可哀想」と呼ぶの。これは自分が男性同性愛者であるという事実を踏まえると凄く分かりやすい。今はゲイという存在をみんなが知ってて、輝かしく世界で活躍している方も珍しくはないけど、この曲を発表された1970年代は違うのね。ゲイを公表して活躍するスターなんていないし、「異常性癖」や「精神病の一種」な存在だってみんながそう信じて疑わなかった時代なの。だから、自分が男のくせに男が好きなんて事実に深く絶望するのは当然。運悪くゲイとして生まれちゃって、ただただ「可哀想」な存在なんだと思ったのよ。


はみ出し者の処世術: Easy Come Easy Go


I need no sympathy
俺の境遇に同情なんていらないさ
because I'm easy come, easy go
だってEasy Come Easy Goな存在が俺だから
a little high, little low
楽しいこともあれば、悲しくなることもあるから

Easy Come Easy Goってのは「ふらっとやってきて、ふらっと去ってしまう」という意味。

これは、フレディの交友関係のあり方を指してるよ。ゲイの世界にはサバサバしている人結構多いよね。特定の人間関係やコミュニティに固執しないで、「来るもの拒まず、去る者追わず」って感じで他人と適度な距離感を持ちつつ、色々なコミュニティを歩き回ってる感じ。それって他人(特にカミングアウトしていない普通の人々)と親しくなりすぎるとゲイであることがバレて、拒絶されちゃう恐怖と実体験から自然と身に付けたものだろうね。そういう人間関係って全然楽しくないってわけではないんだけど、ある一定ラインを絶対に越えさせない壁を感じる関係性だよね。Easy Come Easy Goは、本性がバレちゃいけないって怯えてしまって、他人と深い付き合いができない社会のはみ出し者、つまりゲイのあたし達が身につけた処世術なのよ。

フレディもまさしくその一人。男が好きなことはは誰かが解決できるものじゃないし、絶対に秘密にしないといけないって思ってたのよ。「俺はEasy Come Easy Goな人間だから、同情なんていらないさ」というのは、他人が自分のプライベートな部分に踏み入れることを戒める気持ちと自分はそうやってでしか普通の人々と関われないという絶望や諦めが混ざっているのよ。

風と交友関係


Any way the wind blows
風がどこに向かって吹こうが
doesn't really matter to me.
俺には関係のないことなんだ

この「風」は交友関係のこと。交友関係って時間と共に変わっていくよね。多くの「はじめまして」と「さようなら」を繰り返しながら、新しくできたり、そして終わっちゃう。普通の人とは付かず離れずの交友関係気付いているなら尚更よね。周囲の人間と浅い人間関係を築いているから、結婚とかそういう生活が変わるような出来事が起こると、その関係はすぐに終わってしまう。まさに風任せで、風(=交友関係)がどう変化していくのかは、ゲイであることが邪魔をして他人と深い関係になれない自分にはどうもできないってフレディは寂しげに歌うの。そういう大前提を知った上で、本編を聞くと本当に泣いちゃうわ。


「一人前の男」という呪縛との決別


Mama, just killed a man
母さん、俺は男を殺してしまった
put a gun against his head
銃口を頭に向けて
pulled my trigger, now he's dead
トリガーを引いたらそいつは死んじまったよ

ボヘミアンラプソディは、フレディの母親への告白から始まるの。演劇が大好きだったフレディらしいスタイルね。ある「男」を思い切って銃殺してしまったと彼は打ち明けるの。でね、その「男」ってのはメタファーで、その本当の正体は、社会が求める「男らしさ」の理想像なの。フレディはその呪縛から自身を断ち切ることを「銃殺」と表現したの。面白くなってきたでしょ?笑

英語にはね「Be a man」という表現がある。「男になれ!」という意味で、従来の性規範を表す言葉よ。日本語にも「男は男らしく」とか似たような表現があって、皆も一度は耳にしたことがあるよね。ここでいう「男」という言葉には対となる「女」の存在が強く意識されてて、「男らしさ」とは女を愛することはもちろんなんだけど、女を主導する力とか、家庭を作り妻子を養うことを含んでいるの。それができるやつのことを「一人前の男」って呼んでるのよね。フレディの時代は、まさにこの「男」であることが今以上に美徳とされ、社会的に正しいとされていた時代なのよ。フレディはこの「男」を殺害したと告白したの。つまりそれは、社会の求める「男」という理想像に沿って生きることをやめ、自分自身の生き方を追求するっていう決意

また、演劇が好きなフレディらしいなって思うんだけど、殺害方法が銃なのも重要な意味があって、そこにも彼の決意した生き方を表現されてるの。実は「銃(=Gun)」は男性器のスラングでもあるの。「Put a gun against his head(=男に男性器を押し付ける)」ことによって「Pull my trigger(=射精)」し、「He's dead(=彼は死んだ)」と彼は歌ったのよ。凄くない?めちゃくちゃ攻めてくるよね笑 それは紛れもない同性愛的性行為の描写になっていて、社会の求める「男らしさ」と決別し、異端である男性同性愛者として生きることのメタファーに他ならないのよ。

ちょっと戻るけど、冒頭で「I’m just a poor boy(=俺はただの可哀想な少年だ)」と言って、自分のことを「少年」と呼んでいた理由もここにあるのよ。男性同性愛者である自分は、社会の求める「男」という理想像から外れていて、決してなれないわけでしょ。だから、ずっと「男の子=少年」のままなのよ。男性同性愛者として生きる自分は「一人前の男」にはなれない「半人前なのだ」という自己否定のような認識が、母親に対する告白にも表れているのよ。決して、自分のことを若く見せようと「少年だ」と言い張ってたわけではないの笑。演劇好きのフレディはこうやっていくつものメタファーを歌詞に散りばめているのよ。

世界的スターとしての名誉と

男性同性愛者としての恥辱


Mama, life had just begun
母さん、俺の人生はまだ始まったばかりだったのに
But now, I've gone and thrown it all away
俺は一線を超えて人生を棒に振ってしまった

フレディが男性同性愛者として花ひらいていった時期は、クィーンが世界的に活躍するようになった時期と同じなの。まさにこれからは俺らの時代だぜ!と今後の飛躍が期待されていた時期。世界各地で公演がある際には、社会的成功者として観客を大いに賑わせる一方、人目を忍んで各地のゲイコミュニティを訪れては世間に公言できないことに身を投じていたのね。フレディは世間的に見れば大いなる成功を収めた「一人前の男」だったのかもしれないけれども、その栄光の中で自分は男性同性愛者なんだっていう「不完全な男」という自己評価が、「一人前の男」という名誉を汚した「a poor boy(= 哀れな少年)」なのだと後悔してたのよ。


母への謝罪、そして皆との別れ


Mama, Didn't mean to make you cry
母さん、悲しませるつもりなんてなかったんだ
If I'm not back again this time tomorrow
もし明日のこの時間、俺が戻ってこなくても
Carry on, carry on 
母さんには前に進んで欲しい。
as if nothing really matters
まるで何事も無かったかのように

フレディの時代は、ゲイにとって冷酷な時代。当事者でさえ胸を張って生きれない時代なんだから、息子がゲイであるという事実を打ち明けたら、絶縁されるほどの裏切り行為だろうと多くのゲイが感じていた時代。だから彼は事実を伝えずにただ消えてしまった方が母親のためだと考えたのよ。そこには明確な罪の意識がある。その罪悪感は「didn't mean to make you cry (=母さんを傷つけるつもりは無かったんだ)」と許しを乞うかのように歌う姿に容易に見て取れるわ。何も言わず、自分一人だけで全ての秘密を抱えて消えてしまっても、母さんには今までのように元気に生きて欲しいとフレディは願っているの。


too late, my time has come
もう後戻りはできない。もう見切りをつける時間だ
Sends shivers down my spine
身体中が震えて
Body's aching all the time
ずっと身体が痛むんだ
Goodbye, everybody. I've got to go
みんな、さようなら。もう行かなきゃ。
Gotta leave you all behind and face the truth
一人でその真実に向き合わないといけないんだ

ゲイであることはもちろんやめられない。この同性愛という罪を誰かに告白し、受け入れてももらえない。それなら、誰かに受け入れてもらおうと己を欺き続けるよりも今の人間関係に見切りをつけ、人知れず去ってしまう方が良いとフレディは考えたのね。それは非常に寂しくて、身体が震えてしまうほど恐ろしくて、胸が裂けそうになるくらい辛いよね。それでも男性同性愛者という事実と向き合いながら生きるって彼は決心したの。


Mama, I don't want to die
母さん、俺だって死にたくはない
I sometimes wish I'd never been born at all
ふと生まれてこなければ良かったのにと思うことがあるんだ

ここでの「死ぬ(= die)」とは社会が求める「一人前の男」としての失敗と肉親や親しかった人々との別れの意味。フレディ自身も端から他人の期待に応えるように生きることを諦めていたわけではないと思う。性的指向とか関係なく、多くの人々が親の期待や周囲の期待に応えようと努力して失敗したように、フレディも幾度となく「普通」になろうと努め、そして他人のために自分自身を偽ることの限界に気づいたのよ。本当は「死にたくない」のも当然よね。可能であれば皆の期待に応えて、喜ぶ顔が見たいと思うのが普通でしょ? それができなかったからこそ、罪の意識が芽生えて、不出来な自分なんて生まれてこなければ良かったのにって思っちゃうのよ。

この母への謝罪の場面から曲調が一転し、ここから回想のような場面へと移っていく。ホント演劇みたいだよね笑


同性愛的欲望との対面


I see a little silhouette of a man
男の小さな影が見える
Scaramouch Scaramouch, will you do the Fandango?
スカラムーシュよ、一緒にファンダンゴを踊らないか?
Thunderbolt and lighting
落雷と稲妻
Very very frightening me
恐怖に慄く俺
Galileo, Galileo figaro, Magnifico
偉大なるガリレオとフィガロ

フレディは暗がりの中で小さな男のシルエット(=人影)を目にするの。その男が、フレディに向かって「スカラムーシュよ、ファンダンゴを一緒に踊らないか?」と誘ってくるのね。このスカラムーシュが重要で、彼はコメディアデラルテという喜劇で登場する道化師であり、臆病者の代名詞として描かれているの。そして、彼の誘うファンダンゴとはスペインの民族舞踊で、求愛の舞踊なの。シルエットが見えるような暗い場所で臆病者に求愛の舞踊を口説く様はまさに同性愛的性行為のメタファー! その一夜のファンダンゴが雷霆のような衝撃を与えてしまったっていう場面なの。それって男に対する欲情と一線を超えて同性愛に身を落としてしまったという自責の念がごちゃ混ぜになった興奮と恐怖なのよ! みんなの初体験の感覚もこんな感じだったりしない?

ガリレオとフィガロの部分はフレディ自身が演劇っぽさを出すために追加したよって言ってるから意味をないみたいよ。ガリレオはガリレオガリレイであり、フィガロはモーツァルトによるオペラの「フィガロの結婚」の登場人物。どちらも世間から追放された人物であることを考えると、意図的に選定はされているかもね。


「同性愛の罪」との葛藤


But I'm just a poor boy and nobody loves me
俺はただの可哀想な少年で誰からも愛されない
He's just a poor boy from a poor family
彼は可哀想な家族生まれの可哀想な少年だ
Spare him his life from this monstrosity
彼をこの怪物から救ってあげて
Easy come easy go, will you let me go?
薄い人間関係でいたいんだ。俺を離してくれよ
Bismillah! No, we will not let you go
神の名において、お前を決して離さない
Let him go
彼を離してあげて
will not let you go - let me go -
決して離すものか。 ー離してよー
No no no mama mia mama mia let me go
ダメだダメだ。母さん、母さん、僕を離して
Beelzebub has a devil put aside for me
ベルゼブブが悪魔と共に俺を待ち構えているんだ

同性愛的情事の後、フレディはひどく葛藤してしまうの。これはまさに審判であり、自責の念の象徴ね。男のくせに男に欲情してしまう「monstrosity (=怪物)」から己を救って欲しいと願う一方、その怪物から逃げる術などないことにも気付いている。そんな自分は誰からも愛されない哀れな存在であり、罰せられるべき存在なのだと自分を責めているのよ。

ここで登場する「We (=私たち) 」とは、ベルゼブブとその悪魔のこと。ベルゼブブとは、本来性的な儀式を行う豊穣神なんだけど、異教徒により邪神として扱われてしまって、邪悪な存在として誤って認知された神なの。これって異性愛者から見た同性愛者の構図と重なるでしょ。ベルゼブブと悪魔はつまり、同性愛のメタファーなのよ。彼の同性愛的欲望が「We will not let you go (= お前を決して離さない) 」と彼に強く迫り、彼は「Will you let me go? (=僕を離して)」と神にもすがるような気持ちで、やっぱり男に欲情なんかしちゃダメだ!ってその欲望に抗おうとしているの。

そして同時にこの「We (=私たち)」は彼を取り巻く社会や人々とも考えられるわ。同性愛者という罪深い自分を周囲の人間は絶対に見逃してはくれないと怯え、「Let me go(=僕を離して)」と繰り返し許しを求めているようにも聞こえる。「Mama mia let me go (=母さん、僕を離して)」からは、母親に対して抱えていた罪の意識が非常に強いものだったことも分かるわね。フレディの生きた時代が現在よりも遥かに同性愛に対して風当たりの強い時代だったということを考えると納得ね。あと、ゲイって圧倒的にお母さんが好きな人多いよね。お父さんには結構無関心なんだけど、お母さんにだけは愛されたいって人多い気がする。フレディもそうだったのかしら。

そしてその罪の意識は次第に怒りへとも変わっていくの。いよいよクライマックスよ。

身勝手な人々への怒り


So you think you can stone me and spit in my eye
俺に石を投げつけて唾を吐き捨ててもいいって思ってんだろ
So you think you can love me and leave me to die
俺を愛したり見殺しにしたり好き勝手にしてもいいって思ってんだろ
Oh baby - can't do this to me baby
そんなことさせてたまるものか
Just gotta get out - just gotta get right outta here
もう出ていくしかないんだ。こんな場所から出て行かなきゃ

友情や愛を誓い合った人々が掌を返すように、自分が同性愛者と分かった瞬間に好奇の視線を浴びせ、そして拒絶する。そう思うと彼の謝罪の気持ちや申し訳なさは、次第に怒りへと変わっていくのよ。人々の軽薄さや自分を受け入れてくれない社会に対して、やられっぱなしでたまるもんかと声を荒げて反発しているの場面よ。

差別と闘う無力さ


Nothing really matters
もうどうだっていいんだ。
Anyone can see
もう分かりきってることさ
Nothing really matters to me
俺にはなんも関係ない
Anyway the wind blows
どこに風が吹こうともな

どんなに良い人でも、誰かしらに対して偏見や差別的な感情を持っているのは当然ね。何も知らないくせに、身勝手にレッテルを貼りして「あいつはこういう人間だ」と一面的に捉えてしまうのも珍しくないよね。ゲイが一人の人間として公平に扱われ、彼らの声が社会に届かなかった時代で、人々が同性愛に対して無理解で攻撃的だったのは仕方のないこと。それを当時の男性同性愛者達も感じていたのよ。どれだけ頑張っても差別的な扱いや声は止むめられない。じゃあ、自分自身が場所を変え交友関係を変えて生きていけば良い(=Easy Come Easy Go)と思い始めるの。「Nothing really matters(=もうどうだっていい)」と、フレディは自身の無力さを嘆いているのよ。風任せのように生きていくのだから「Anyway the wind blows(=どこに風が吹こうとも)」どうだって良いと言葉を残し、悲しげに歌い終わるの。


ここまで読んでくれてありがとー! 所々、読み止まって考えたり想像したりして大変だったと思うけど、ボヘミアンラプソディを深く楽しむためにはフレディマーキュリーがゲイであったことや当時の時代背景などは欠かすことができないんだよね。歌詞の意味を知った上で映画やライブでのパフォーマンスを見直してみると、マジで印象が変わります。ホント、聞いてるこっちが泣いちゃう! また、リクエストとかあれば解説記事書いていこうと思うから、Twitterでもこっちでもコメント&リプよろしくねー!

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