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孤独とnote投稿数の関係

noteの各月の投稿数を見て驚いた。

明らかにひと月だけ異常な月がある。2022年9月。21記事。ちょっとしたつぶやき投稿とかではなく、まあまあな文字量の記事を21こ。多い時は1日に4記事も投稿していた。溢れ出すぎている。
古代ギリシャ時代に哲学が発展した背景として、みんな暇すぎて人生の意味とか考えちゃったからというのを聞いたことがあるが、やはり人間は暇だと色々と考えてしまうらしい。

2022年9月は大学最後の夏休みでちょうど彼女も海外に渡航していたため、私は毎日1日中物思いにふけるという、生活の中身だけで言うと哲学者と何ら変わりない生活をしていた。「人生って何だろう?」みたいな、答えを出すための問いというよりかは思考を発散させて気持ちよくなるための問いを立てては、自分の頭の中だけで最強の答えを導き出したつもりになってにちゃにちゃとしていた。全身が痒い。

そうして自分の頭の中で勝ち上がった最強の答えを彼女や友人にぶつけたところ、いとも簡単に反論を許してしまったりしていた。地区予選を勝ち上がりいい気になっていた高校球児が、全国大会1回戦で強豪校に13-2とかで負けるあの感じである。私の経験則では、1人でごちゃごちゃと考えまくっている時期の方が、久々に会った友人からは面白がってもらえるが、出した結論には穴があることが多い。一方で1人で考える時間が少ない時期は、他者の考え方や世の中のトレンドには詳しくなるが、それに対する自分の考えはまとまりきらないことが多い。孤独と集団行動のちょうど良いバランスを、23年生きていてもいまだ掴めていない。

先日86歳で一人暮らしをしている祖父を訪問した際、毎日何をして過ごしているのか気になった。労働から解放された祖父は、たまに友人とスポーツを楽しんでいるようだが、それ以外の時間は完全にソロである。若者であれば暇になった途端、薄っぺらい板をいじいじしておけば途端に2,3時間は溶かすことが出来るが、86歳のおじいさんにはその選択肢はない。たまに電車の中で新聞を読んでいるおじいさんを見かけるが、あれは最高の暇つぶしに思える。100円ちょっとで下手したら1日を溶かすことが出来る上、世間の皆様との共通の話題も手に入る。それにスマホをぽちぽちしているより、よっぽど教養深くなんかかっこいいように見える。おじいさんにとっての新聞は、スタバにいる若者にとってのMacbookと同じなのかもしれない。新聞、コスパよすぎ。

来週は深夜に世界陸上がある関係で、周囲と生活時間がずれるために孤独な時間が増えて、noteの投稿が増えそうだ。あ、決して出場するわけではない。


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