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金鶏飯店<7>

<7>
「清真羊腸湯(イスラム風羊の腸のスープ)だ」
鯰(なまず)の絵があしらわれたアンティーク調の馬鹿でかいスープボウルの蓋を血羆が開けるとチーズを思わせる濃厚な香りの湯気が部屋を満たす。
「羊の胃を使う『羊肚湯』をベースにトルコ料理のスープ『イシュケンベ・チョルバス』の調理法を取り入れてみた。なかなかいけるぞ」
巨体を縮こまらせてスープ皿にサーブする血羆の姿は器用な熊の曲芸を見ているようで面白かったがやっと寝付いた虎の尾を踏むような真似は避けるべきであり大人しく自分の口に錠をかけておく。
「醤爆龍鳳と水晶香肉を出してから随分と時間がかかったな。出前にでも行ってたのか?スープは冷めてないだろうな?」
牛頭がおれの配慮と虎の尻尾を踏みつけながらタップダンスを始める。
「お前らに犬肉が気に入らんだの玉子かけ飯を持って来いだのといらん注文をつけられたあげくに狒々嶋のガラの始末までさせられたからな。余分に煮込む時間が取れたお陰でスープの出汁が良く出ている。せいぜい味わうがいい」
血羆の顔の右半分は抑えつけた怒りで引きつっていたが左半分は何故か含み笑いを嚙み殺しているような表情になっている。さっきの水晶香肉の件もあってどうにも厭な予感がする。
「そういや狒々嶋のガラはどこにやったんだ?蒸しあげてメインの大皿にのせてくるつもりじゃないだろうな」
空気を読まない牛頭のステップはますます冴えわたる。
「あの丸太ん棒なら地下の冷凍室に転がしてある。この餌をお前たちに喰わせたら蝦蛄(しゃこ)どもに連絡して引き取らせる予定だ」
蝦蛄というのは発狂した烏谷や鳶田の死体を片付けた掃除屋たちの仇名(あだな)だ。海底の魚の死骸や塵芥を喰らう海の掃除屋…蝦蛄にちなんでそう呼ばれている。ちなみに水死体がよくあがる海岸では身の肥えた蝦蛄が獲れるらしい。おれはこの店が出す椒鹽瀨尿蝦(蝦蛄の辛味揚げ)が好物だったがそれを聞いて以来一切注文していない。
「蝦蛄たちが来たら処理代の交渉をさせてくれ。どうにも今月は厳しくてな。抜かれるケツの毛を熊にでも借りなきゃとても追いつかない」
牛頭のステップのペースが落ちる様子はない。
どうにも居たたまれなくなってサーブされた清真羊腸湯に口をつけると細切れの肉以外の具はほとんどないものの脂身の効いたこってりとした味わいと薬味の大蒜(にんにく)や生姜の香味が程よく練り合わさって旨味が舌に馴染んでくる。そこに発酵が進んだチーズのような酸味と正体不明の苦みがアクセントとなり癖のある味ながらもレンゲを繰る手がすすんでしまう。
「こんなバラし(殺し)をいつまで続けるつもりだ」
不意に血羆が妙なことを聞いてくる。
「メシ代と家賃がかかるまではずっとだよ。そういう商売だからな」
「烏谷の方はともかく鳶田とかいう売人をシメたのは牛頭だったな。お前は止めなかったのか、馬頭」
こちらに水を向けてきた血羆の顔から怒気やニヤつきが消えて神妙な表情になっている。
「木っ端売人がハネ返ってこちらに銃口を向けてきたからしかるべき処置をしただけだ。泥はねが服にかかったら拭き取るのと何が違う」
「それで狒々嶋は玉子かけ飯の喰い方が気に喰わなくてハジいたか」
「随分と突っかかるな。どうせ掃除代はおれ達もちだ。何が気に入らない」
「狒々嶋とは何度か一緒に仕事をしたんじゃなかったのか」
「今回が4度目くらいだったかな。胸糞悪いところしかなかったが退屈もしなかったな。長生きできるタイプでもなさそうだったし今夜がちょうど寿命が尽きる日取りだったんだろう」
「処理すべきではない対象、すべきではない時機の見極めができない者を真っ当な殺し屋とは呼ばない。手当たり次第に噛みつきまわるだけの野良犬はそのうち死人に地獄の釜へと引き摺りこまれるぞ」
「どうした血羆、殺し屋からコックに転職した次は坊主か牧師に鞍替えか」
どうにも話の風向きがおかしい。
「初めて人間を殺した10人のうち9人は強烈な罪悪感と嫌悪感に苛まれる。その9人のうち5人は二度と殺人に手を染めないと誓いを立てる。最初から殺人に罪悪感を持たない者、最終的に罪悪感をかき消してひと殺しを生業にする道を選ぶ者は10人中3人というのが殺し屋の相場だ」
「その3人の枠に当選したからおれ達はここにいる訳だ。いちいちバラした相手の都合を気にかけていたら商売あがったりだぜ」
「…そして処分するはずの獲物に逆に喰い殺されるのが1人、処分すべきではない時機を見誤って飼い主に処分されるのが1人、かき消したはずの罪悪感に吞み込まれて自死するのが1人。殺し屋を生業にしてから1年以上生き延びられるのは30人に1人。最初から罪悪感を持たなかったイカレはだいたい3ヶ月以内に丸太になる。そこそこ生き延びて別の稼業に鞍替えできるのは100人に1人いるかどうかだ。金を貯めて悠々自適で隠居暮らしをしている殺し屋というのは寡聞にして聞いたことがない」
「わきまえろ、と言いたいのか」
「あたりかまわず肉叩き槌や消音銃を振り回していると報いが還ってくる、と言っている。おれ達の商売はまともに生きてるなら背負わなくて済むはずの業(ごう)をわざわざ拾い集めるものだということを知っておけ。その業はいつか必ずおれやお前たちにツケを払わせに来る。それが分かるようになれば手を汚すべきではない相手や潮目が見えるようになるはずだ」
「ご親切がありがた過ぎて涙と反吐が出るよ。100人に1人の幸運にあやかった血羆さんはさぞかしご造詣が深いんだろうな」
レンゲを使わず清真羊腸湯を直接皿から一気飲みした牛頭が自らスープボウルからをお代わりを注ぎつつ憎まれ口をたたく。血羆の説教はいちいち気に障るがその料理の腕に告げる文句がないのはおれも同意するところではある。
「警告はしたぞ。お前たちは客などいう上等な代物ではないが、一方でおれが迎え入れるホスト役であるのも確かだ。ホストとしては野良家畜相手とはいえその義務は果たさねばならんからな」
やはり血羆の態度が妙だ。スープを持ってくる前と様子が違う。
「おれも無傷で今のこの場所まで生き延びてきた訳じゃない。それなりに学ぶまでは結構な学費を払わされてきた。お前たちが同じようにその学費を賄えるかの保証まではサービスの対象外だ」
そう告げると血羆は背を向けて部屋の扉へ向かう。その足取りはほんの少しぎこちない。そう言えば、血羆は以前から左脚を少し引き摺るように歩く癖があった。その脚が血羆の「学費」なのだろうか。
「前菜とスープを出したから次は魚料理だ。料理を無駄にしないようせいぜい生き延びることだな」
振り返りもせずに扉の奥の廊下へと消えていく。さっきのように扉を閉めて鍵をかける素振りはない。
料理を無駄に?
生き延びろ、だと?
「血羆!扉は開け放したままでいいのか!?」
おれ同様気味悪さを感じていたのか、お代わりを注いだスープ皿に手をつけないまま固唾を飲んでいた牛頭がもう誰もいない廊下に向かって叫ぶ。
「…スープを用意をしている間に電話が二本かかってきた…」
スピーカーからノイズ混じりの血羆の声が響く。
「ひとつは蝦蛄の連中からだ。お前たちが依頼した烏谷と鳶田の件についてだが、仕事をしくじったので今回の掃除代の支払は無用だとのことだ。それと、連中の面子に一人欠員が出たからしばらく仕事は控えたいらしい」
掃除屋が仕事をしくじった、とは。
烏谷と鳶田の死体に足がついて桜田門にでも嗅ぎつけられたか。
だが。
欠員とは。
「もうひとつの電話は肉の在庫の問い合わせと個室の予約だ。ビーフと桜肉はあるか、と。あるのならば肉が置いてある部屋をおさえて欲しい、とのことだった」
おれは牛頭と顔を見合わせる。
ビーフ。
桜肉。
「部屋の掃除は自分ですることを条件に予約を受けつけた。扉を開けておくことも向こうの要望だ。ウチは基本的に相席はさせないが、これはお前たちの不始末だ。自分たちの手で片付けろ」
ブツリ、と音を立てて音声が切れた。

電話の着信音。
着信音はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」。
モーツァルトやヴェルディのそれとは違い、静謐(せいひつ)な曲調。
「おれだ」
電話に出る血羆。
「 」
無音。
「注文どおり扉は開け放しておいた。部屋は玄関口から入って左側、手前から6番目の"青羊"の間だ」
「くき
 くきき」
「お前のことは二人に伝えてある。説明もなしに部屋を開け放したらあいつらも納得しないだろうからな」
「くき
 くき
 わがっ で るよ
 ちひ    ぐま     の だん な」
「お前が掃除できる範囲ならいくら汚しても構わん。ただし円卓や椅子、壁や調度品に傷をつけるな。その際は弁償してもらう」
「くきき
  だい じょぶ
  だい じょぶ
 きず つけ や しない よ」
「他に用がなければ切るぞ」
「くき
 苦喜
 苦喜喜
 だん な
 ありが どう ねえ
 だん なは やさ じい ねえ」
「勘違いするな。あいつらが自分の不始末を片付けるお膳立てをしただけだ。もしやつらがしくじった場合はおれがお前を処理するまでだ」
「そう かい
 そう かい
 苦喜喜喜喜 」
「…ひとつだけ聞かせろ」
「なあ に?」
「もし二人がしくじったら魚料理が無駄になる。お前、魚は喰えるか?」
「だん な

 おれ は ねえ
 ざがな なん て
 だい ぎらい だよお

 苦喜喜喜喜喜喜喜喜喜喜」

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