見出し画像

虎に翼を見ながら、両親のことを考える

「すべての婚姻女性は無能力者」

私は、男女雇用均等法の施行の頃に社会人となった。とは言っても裁量労働制の職場で、男女の区別はあまりなかった。

結婚報告の後、人事フローから名前が消えていた。勤務継続の了承後の新年度。夫の姓の名刺を渡された。いずれも、私への確認なしだった。

出産は育児休業法のできる前。休職を追加し産後6ヶ月で復職した。勤務時間に対応できる認可保育園はない。自分の手取りの半分近くが保育園代になった。

最初は自分ごととして見ていた




よねさんに父を重ねる

父の家は兄弟姉妹が多く(戦後まで生きていたのは5人)父は高等小学校を出ただけだ。学びたかったようだがそれは許されず、何かの夢を見て海軍に志願。少年兵となり服役する。特攻で沖縄で戦死した戦友もいたという。父も髪と爪を箱に納めその日を待ったが、終戦。


母は花江ちゃん?

母の父(祖父)は戦前工場を切り盛りしていたらしい。田舎だが、家には女中さんもおり、それなりに豊かに暮らしていたようだ。祖父の死亡で工場を手放し終戦を迎える。祖母は、戦後、家財や着物類を売りしのぎ、その後、街へ出て働き子供を育てた。私の母はその次女である。地方の女学校を出ている。


父の戦後

父は戦後学び直しをしようと試みる。資格をとって、堅実な仕事に就くためだ。大学の聴講生になったりもしたらしい。でも、現実は甘くなかった。学歴のない父は資格取得に至らなかった。やがて、小さな鉄工所を始める。高度成長期の前、時代の読みは悪くなかったと思うが、これもあまりうまくいかなかった。以前「暮しの手帖」のバックナンバーで、学歴のない復員者が職人となり工場を持った話が載っていたのを見て、父と同じだと思った。

父は母に『女学校出てるくせに』とよく言った。私には『弁護士になれ』と言い、学習せずの天才を求め、夜間学習はさせず、自分が寝るときに家中の照明を落とした。なぜ弁護士かは語らなかった。『六法全書を読め。民法を読め。』と言われたのは覚えている。なぜこんなことを言われたのか当時は全然わからなかった。

『虎に翼』で、女性が弁護士になれなかった時代や、戦後の民法改正のことを見た。父が学歴にコンプレックスを抱いていたことや、資格への憧れ、弱者に対して差別的に振る舞うこと、家父長制の価値観で、自分を保っていたのではないかと感じた。

8月2日のOAで語られた『総力戦研究所』
私も今回初めて知った。15の父も戦後の父も、きっと知らなかったんだろうな…



母も亡くなり、私自身が父が亡くなった年に近づいて、そろそろ観るのやめようかと思っていた朝ドラで、父母のことを振り返ることになろうとは思わなかった。

(たぶんつづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?