【蔵出し記事③】資金収支報告書の会計に見る政治活動の前近代性−陸山会の「虚偽記載」問題の本質とは

こんにちは。
今回も蔵出し記事①②の続きです。
肩書も含めた内容は投稿当時(2010年2月11日)のものです。


先日、twitterのフォロアーさんより、興味深い意見がありました。

「今回の陸山会の事件でも、ただ検察を批判するだけでなく、複式簿記を導入するぐらい建設的な意見を出して然るべきでは…」

といった趣旨の内容でした。

実際に官報の資金収支報告書を調べた僕自身としても、思わず膝を打ったものです。

てっきり貸借対照表のようなものか掲載されているのを想像していたら、借入金までが「資産」として預金や不動産と同列に掲載されていた事にはびっくりしたものですから。

東京地検特捜部による捜査も二転三転したあげく、小沢一郎元秘書の石川知裕議員の罪状は「虚偽記載」でした。

すなわち,記載ミスという形式犯です。


しかしよくよく考えれば、資金収支報告書には一般企業や個人事業主が用いるような複式簿記は導入されていません。

複式簿記による企業会計であれば、企業会計原則をはじめとする諸原則がありますし、明文化されていなくても慣習法としての「一般に公正妥当と認められた会計基準」という判断ルールがあります。


けれども、資金収支報告書に係る統一的な会計基準はないようですし、単純に現金の収入・支出のみに依拠しているようです。

特に、実際の経済活動では、資金の移動と所有権の移転や権利義務の発生が一致しないのは、日常茶飯事。

そもそも論ですが、今日の企業会計が発生主義(実現主義)を採用しているのも、資金の移動だけではその組織体の経済的実体を的確に反映出来ないからです。


また、今回の争点となった「虚偽記載」にしても、仮に企業会計の世界であれば、企業会計原則の「一般原則」にしたがってその是非が問われた事でしょう。

第一 一般原則

(真実性の原則)

一 企業会計は、企業の財政状態及び経営成績に関して、真実な報告を提供するものでなければならない。

(正規の簿記の原則)

二 企業会計は、すべての取引につき、正規の簿記の原則に従って、正確な会計帳簿を作成しなければならない。(注1)

(資本取引・損益取引区分の原則)

三 資本取引と損益取引とを明瞭に区別し、特に資本剰余金と利益剰余金とを混同してはならない。(注2)

(公開性(明瞭性)の原則)

四 企業会計は、財務諸表によって、利害関係者に対し必要な会計事実を明瞭に表示し、企業の状況に関する判断を誤らせないようにしなければならない。(注1)(注1-2)(注1-3)(注1-4)

(継続性の原則)

五 企業会計は、その処理の原則及び手続を毎期継続して適用し、みだりにこれを変更してはならない。(注1-2)(注3)

(保守主義(安全性)の原則)

六 企業の財政に不利な影響を及ぼす可能性がある場合には、これに備えて適当に健全な会計処理をしなければならない。(注4)

(単一性の原則)

七 株主総会提出のため、信用目的のため、租税目的のため等種々の目的のために異なる形式の財務諸表を作成する必要がある場合、それらの内容は、信頼しうる会計記録に基づいて作成されたものであって、政策の考慮のために事実の真実な表示をゆがめてはならない。

しかしその一方で、「注解」には「重要性の原則」というものがあります。

注 1〕重要性の原則の適用について( 一般原則二、四及び 貸借対照表原則一)

企業会計は、定められた会計処理の方法に従って正確な計算を行うべきものであるが、企業会計が目的とするところは、企業の財務内容を明らかにし、企業の状況に関する利害関係者の判断を誤らせないようにすることにあるから、重要性の乏しいものについては、本来の厳密な会計処理によらないで他の簡便な方法によることも、正規の簿記の原則に従った処理として認められる。

重要性の原則は、財務諸表の表示に関しても適用される。

重要性の原則の適用例としては、次のようなものがある。

(1) 消耗品、消耗工具器具備品その他の貯蔵品等のうち、重要性の乏しいものについては、その買入時又は払出時に費用として処理する方法を採用することができる。

(2) 前払費用、未収収益、未払費用及び前受収益のうち、重要性の乏しいものについては、経過勘定項目として処理しないことができる。

(3) 引当金のうち、重要性の乏しいものについては、これを計上しないことができる。

(4) たな卸資産の取得原価に含められる引取費用、関税、買入事務費、移管費、保管費等の付随費用のうち、重要性の乏しいものについては、取得原価に算入しないことができる。

(5) 分割返済の定めのある長期の債権又は債務のうち、期限が一年以内に到来するもので重要性の乏しいものについては、固定資産又は固定負債として表示することができる。

また、上場企業の実務では、些末なミスであっても、全体に大きな影響を与えない事が明らかな場合(たとえば、資本金100億円の会社で100円単位の計算間違いなど)、敢えて修正を求めないケースもあります。

これもある意味、重要性の原則の一例と言えるでしょう。


すなわち、「真実性の原則」を初めとする一般原則を厳格に適用すべきか、「重要性の原則」に基づいて簡便的な処理あるいは「形式上のミス」を容認すべきか…という議論になります。

その判断に当たっては、以下のような要点になります。

1)そのような処理を行う事によって生じる金額的なインパクトは、大きいか少ないか。

2)原則的でなく1)のような処理を行う事により、活動の実体を反映出来なくならないか。

3)活動の実体が適切に反映されない場合、それによってどのような不利益が生じるのか。

今回の石川議員の「虚偽記載」とされたのは以下の2点です。

①小沢氏自ら用立てた土地購入代金4億円を記載していない(小沢氏からの収入・購入対価として両建てすべき)。

②購入した土地3億4千万円を、購入した平成16年ではなく移転登記した平成17年に記載した。

では、これを3つの論点に当てはめると、どのようになるでしょうか。


まず1)に関しては、前年度の収入総額(平成15年度で3億79百万円)に照らしても明らかに高額ですので、とても無視出来る水準ではありません。

では2)はどうでしょう。

①は、お金の出入りという点に関して言えば、たとえプラマイゼロであっても記載しなければ、その実体はうまく見えてきません。

しかし一方で、実際には小沢氏が購入代金を立て替えたものであり、一般企業の損益計算書に置き換えた場合、収入ないし支出として計上されるべき性質を有するものではありません。

これは資金収支報告書を企業会計における「損益計算書」と見るか、「キャッシュフロー計算書」と見るかで、解釈が分かれそうです。


②については、おそらく石川議員もどのタイミングで記載すべきか迷ったのではないかと思います。

なぜなら平成16年10月に実際に土地を購入した時の取引を、陸山会としての取引とみなすか小沢氏個人としての取引と見なすかで、取得のタイミングが分かれてしまうからです。

前者であれば、当然資金収支報告書に記載すべきものであるし、後者であれば、「小澤一郎」と「小沢一郎」との確認書を交わした、移転登記時点の平成17年1月に記載するものとなります。


そして3)について。

たとえば会社の決算書であれば、株主や債権者、あるいはこれからの投資を検討している投資家にとっては、会社の経済的実体を把握するのに不可欠ですから、これが実体と逸脱していたら、大きな損失を招きかねません。

それゆえ、会社やその監査人には重い罰則が設けられています。

しかし裏を返せば、株主や債権者ら利害関係者に実害の生じないような決算書の誤りであれば、必ずしも厳罰を適用する必要はないということにもなります。


資金収支報告書に関して言えば利害関係者は選挙権を有する有権者や納税者、あるいは献金した支持者といったところでしょう。

では、①や②のような「虚偽記載」によって、国民にどのような損失があるでしょうか。

たとえば、清廉かつ倹約的と信じて支持した政治家が、実は簿外資産を大量に保有していたとなれば、明らかに実害が生じていたということになります。

しかし、小沢氏が公私双方で多額の不動産を保有している事は、以前からの周知の事実。

その善悪はここでは問いませんが、翌年度以降も全く記載されないならまだしも、今回の不動産取得の計上が1年遅れたとしても、それが有権者や支持者の判断に影響するのかは微妙な気がします。

それも、前述の通り、最初の取引の解釈次第で、どちらが正しくてどちらが誤りと言えるものではありません。

(仮に平成16年に土地の取得を記載したら、「未登記の土地を記載するのは架空資産の計上だ」という追及になっていた可能性だって考えられます)

そして、その土地の財源も小沢氏の個人資産である以上、これを収益に含めない事が直接資金収支報告書の利用者の判断を歪めるものとは必ずしも言えません。


総括しますと、「虚偽記載」が陸山会の活動実体を的確に反映しきれていない箇所もあったものの、それが有権者・納税者などに実害を及ぼすほど悪質とは言えないと僕は思います。

ただ、もう少し「注記」という形で補足説明すれば、今回のような騒動にはならなかったのではないのでしょうか。

たとえば、平成16年の資金収支報告書に「重要な後発事象」として、平成17年1月に陸山会名義で土地を取得した事、その原資として小沢氏個人の資産を充てた事、移転登記の関係で1月取得となった事などを記載すれば、②の「虚偽記載」も治癒されたのではないのでしょうか。


しかし政治資金規正法にこのような規定は当然ながらなく、これは、複式簿記すら導入されていない現行制度の限界に他なりません。

①についても、そもそも収益と支出の定義が不明確だから、記載すべきか否かについて明確な答えを出す事は出来ません。


ある意味、東京地検特捜部はこうした現行制度の限界を突いたとも言えますし、まして形式のルールすら明確でないのに形式犯で罪に問うのは、あまりに酷な話ではないでしょうか。

この問題を放置していれば,今後似たようなケースで「形式犯」を巡って是非が問われる事がないとは言えません。

ルールが不明確なまま、今回のような「虚偽記載」問題で貴重な時間と労力と税金を割くのは、不毛以外の何者でもありません。


冒頭のフォローさんは、このようにも語っていました。

「ある意味「近代の象徴」ともいうべき複式簿記が、政治団体や選挙事務所の会計処理に導入されていないって事実が、「如何に日本の政治が前近代的な風土で執り行われているか」の有力な証左だとおもいますよ。」

「「政治資金収支報告書と選挙会計報告書への複式簿記導入」と、「『一票の格差』が顕著な場合の再選挙制度の導入」の二つを実施すれば、日本の政治は確実に変わる。」

僕も、まさしくそう思います。


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