行ってみる
昨日の続き。
お金が必要かどうか。
それは人によるし、置かれた状況による。
こんなありきたりな事を書いたんですが、書きたかったのはこれではなく。
実は、お金とは全く関係の無い事で。
そっち側に行った事があるのと、行った事がないのとでは、全然違うという話を書きたくて。
これはあらゆる事に当てはまると思うんですが、お金の話をしたので、その事で言うと。
「1000万の貯金があれば」
こんな漠然とした思いが、昔ありました。
これぐらいあれば安心出来るのかなと。
なぜ、年収1000万ではないのかと言うと、飲食ではすこぶる難しいからです。
雇われでいるのかな?ってレベル。
非現実的な目標は嫌いなので、だから貯金1000万。
僕の生活費なら、3年は働かずに生きていける額です。
それが、いざ貯まってみると大した事がなく。
感慨深くも無ければ、感情は無。
これぐらいあれば生活が変わるとか、不安が解消されると思ったんだけどな。
1000万で何かが変わる事はありませんでした。
ただ、これが分かったのは、そこまで行ったからなんです。
もし、全然貯金が無いのに、「1000万じゃ生活なんて変わらん」と言っていたら、それは負け惜しみと言いますか。
貯金のない自分の正当化でしかなく。
だから、一度行ってみる事が重要で。
そこから得られた無感情が、何よりの学びだったのです。
僕には後悔があり。
『学歴』と『コーヒー修行』は一生引きずる事でしょう。
それで卑屈になってる訳ではないのですが、やはり違うのです。
東大生が語る「学歴なんていらないよ」
と
Fラン留年生が語る「学歴なんていらないよ」
は
コーヒーのスペシャリストが語る「結局は人だよ」
と
何者でもない人が語る「結局は人だよ」
は
北野武さんが仰っていたんです。
「偉くなりたい。くだらない事をした時に落差ができるから」
この言葉を、脳に記録しろと命令した覚えがあります。
そっち側に行った人だけが、知れる事があり。
そっち側に行った事があるからこそ、生み出せるギャップがある。
これはお店でも言えて。
「カフェをやりたい」と、言ってくる人は山程いて。
「カフェをやるなんてバカだ」と、言ってる人も同じぐらいいて。
これらの言葉の意味の無さを、僕は知っていて。
それは、やった事があるからで。
そっち側に行った事があるからです。
だから、やればいいのにと思うし、やってから言えばいいのにと思うのです。
1000万が大した事なかったように、カフェの開業もそうかもしれない。
憧れや、嫉妬、その他感情も、それを経験するまでは消える事は無いのです。
だから、経験してみる。
すると、無駄な妬みや、焦りの一つ二つは、消えてなくなる事でしょう。
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