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考えること

人一倍の努力が必要なのか、今の位置でいいのか、道を外れるのか。

僕は何かをする時にこれを考えます。

これは物心付いた時からそうで、勉強は小学生の時に諦め、サッカーを中学で辞めたのもそう。

努力云々で追いつけない人がいると、僕は諦める。

小学校の同級生だった友人は天才で、「教科書を一度見たら覚えるんだよね」という言葉を聞いた時、「よし、勉強はやめだ」となりました。

サッカーは神奈川という土地柄のせいで沢山のプロクラブのジュニアがあり、彼らは狭き門をくぐり抜けた選抜された選手達で。

そんな相手が11人もいると、手も足も出ず、ハーフェイラインを超えるのもやっとみたいな試合が何回もありました。

「あー、これは努力云々ではないな」と、試合中に思った記憶があります。

こんな自分の逃げ癖が嫌になった事もあるんですが、今は違くて。

それが道を外れるという事。土俵を変えてるだけだと。

仕事だと、純粋な勉強の頭やスポーツで使う身体能力は必要なくて。

特に僕の好きなサービス業だとそんな事よりも大切な事があり。

話を聞けるとか、ルールを守るとか、気分にムラがないとか、人間力のほうが大切で。

その数値化されづらい部分が評価に繋がるのは、僕にとって好都合でした。

ただ、そんな人はこの世界に大勢いるんです。

誰でも出来る仕事=専門性の低さ

という事で、勉強できない、他に取り柄もない、でも、人間性での勝負なら!

みたいな人が結構います。

僕も数々の人間力の化物と出会ってきました。

そうなると考えもので。

化物は、8割天然、2割養殖ぐらいの割合でして。

僕は天然ではないので、2割の養殖を目指さなければこの世界では埋もれてしまうと思ったのです。

(養殖の例えが絶妙に分かりづらいな)

(本当は計算という言葉を使うべきなんだけど、天然の対になる言葉は養殖がしっくりくる)

(養殖で進めよう)

2割の人の姿を見ると、考えてコミュニケーションを取ってるのがよく分かりまして。

どんな姿になってほしいとか、どんな言葉を求めているのか。

その為の観察をして、言葉を選んでる。

これなら真似出来ると思い、やり続けた結果、出世して。

自分には何が足りなくて、それを補うには何が必要で、それをしたらどうなるか。

人一倍の努力をすれば、あの辺にはいけるな。

そんな見通しがたつと、断然楽なんだけどなと。

っで、本当はこれがどう幸福と結びつくかを書こうと思ってたんですが、長くなったのでまた明日。

子供の頃の振り返りが長かった気がする。

しかもこれ多分前に書いてるんだよな。

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