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自慢の為ではない

昨日、出会いとか繋がりを書きました。

ですが、もともとあまり好きではない言葉なのです。

なぜかと言うと、この言葉を積極的に使う人が苦手でして。

「誰々と繋がってる」「誰々を紹介出来る」それがどうしたんだと。

その人は凄いのかもしれないけど、お前はその人ではない。

それを理解してないのがちょっときつい。

なので、僕の前ではそういった自慢をしないように。

昨日書いた繋がれた嬉しさってのは、なにも凄い人だけではなくて。

近所のお店の人とか、近所の会社の人とか。

遠方からわざわざ来てくれる人とか、年に2回だけ会える人とか。

その日のインスタの投稿次第で来る人とか、いつか書いたnoteを読んで来てくれる人とか。

カフェほど様々な人が来る業態はなく、収入も地位も名誉も関係ない。

僕は相手の素性を知らない事がほとんどで、名前も仕事も何をしてるのかすら知らない人ばかり。

でも、話してると楽しくて、気がつけば通ってくれて、「そう言えば名前はなんていうの?」から始まり、徐々に徐々に。

何を書きたいかって言うと、相手の付属品には興味が無いんです。

話してて楽しいかどうか、話を聞きたいと思えるかどうか。

ただ、それだけで。

後に「そんな凄い人だったの?」みたいな事もあったり。

よくそれを黙っていられたな。と、思う人もいたりと。

ほんと、色々な人が来てくれてるな。

ありがたや。

僕から相手に何かを求める事は無いけれど、僕との繋がりは誇ってもらえるように頑張らないと。とは思っていまして。

どこに惹かれて来てくれてるかは分かりませんが、何かしらの期待はあるのではないかと思うのです。

さらに、その人が誰かに話す時のフックとして、どこに重きを置いてるのかも分からないから、全方位的に頑張らなければいけなくて。

「この人、休まないで頑張ってるんだよ」という声を聞く度に、「もう休めない」と、思ったり。

「毎日ブログ書いてて面白いんだよ」という声のせいで、「書かざるを得ない」と、思ったり。

その言葉が呪いとなり、僕を縛り、毎日お店を開け、毎日書く生活を強いるのであった。

冗談です。

ただ、期待を裏切りたくないだけ。

何を書いてたかよく分からなくなってきたな。

出会える事は嬉しい。

それは、相手が凄い人だから嬉しいのではない。

自慢をする為の繋がりではなく、純粋に楽しいからである。

でも、相手が僕に求めてるとしたら、そこの期待には応えたい。

少しでも誇ってもらえるように。

こんな感じか。

ただ、繋がってる自慢をしたい奴じゃないんだぞ。

と、伝える為に1000文字も費やしたのでした。

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