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店主の考え

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2023年10月の記事一覧

笑う事の大切さと、間違えた勇気

「東京出身じゃないけど、トウキョウラテは頼めますか?」 (当店のベーシックなカフェラテの名称) (東京牛乳を使ってるし、ザ・ラテ・トーキョーという名前だし) 初見でこれを言える勇気に拍手。 でも、僕は乗る事はなく。 極めて冷静に、意識して平坦に伝えます。 「はい」と、だけ。 僕は笑いに救われてる自覚があります。 毎日お店に来れるのもラジオが聞けるからで。 笑いが約束されてる行き帰りの20分は、幸福なのです。 僕としては珍しい事に、この習慣を押し付ける事もあ

想像と体験は別物

当事者にならないと分からない事があって。 「お客さんは分け隔てなく大切にしなきゃ」と、言う人は、飲食店で働いた事がなく。 「インボイスを反対してる奴はアホだ」と、言う人は、事業をやってない人で。 「コーヒーの原価は数十円だから」と、言う人は、コーヒー屋ではありません。 (偏見&偏見) 明日になるまで分かりませんが、渋谷のハロウィン文化は終わりそうです。 その事に対して賛否があるとは思うんですが、僕はほっと胸をなでおろしていて。 お店をやってる側からすると、百害あ

言いにくい事

「言いにくい事ってありますよね」 こんな会話が始まって。 「例えばどんなの?」と、僕が聞いたら、「サザンが嫌いなんです」と、返ってきて。 まさかの角度だったので驚きましたが、確かに言いにくい事かもしれません。 カフェをやってると言いにくい事があります。 例えば、 「二人で来て一杯とかふざけんな」 とか 「買うつもりもないのに写真だけ撮りにくるな」 とか 「メニューに無い商品を頼むな」 とか。 言いにくいと書きましたが、全部言ってました。 (口が悪い)

柔軟さのない人間は、歪む

「そういえば、趣味は何なの?」 その人とは関係性が出来ていたにも関わらず、聞いた事がなくて。 不意に質問したんです。 「幾つか好きなものはあるんですが、趣味と呼べるかどうか。もっと凄い人がいますし」 こんな回答を貰って、ふむふむとなって。 分かります。 僕が好きな映画や本だと、こんな人が多いと思います。 凄い人は本当に凄いから。 趣味と呼ぶのが烏滸がましいんです。 でも、僕はいつからかは忘れたけど、そんな事を気にしなくなりまして。 「好きなものは好きと言お

変わらないし、変われない

何の為に変わる必要があるのか。 昨日、飽きと恐怖と書きました。 これは内向きですね。 口実として外向きには出来るんですが、発端は内向きなはず。 じゃあ、それがお客さんの為になるのか。 僕は疑問で。 もちろん、お店の置かれてる状況、年数、今後のビジョンによって変わってくるとは思います。 ただ、変わりゆくものだからこそ、変わらない事に価値があるのではないか。 そんな事を思います。 飲食店の成功は多店舗展開で。 オーナーが店に立ち続ける事はありません。 僕も何

飽きと恐怖

元に戻してほしい。 インスタグラムは出来る事が増えた結果、非常に見辛くなり。 News Picksも新しいトップページは操作しづらい。 運営してる側は、常にアップデートを模索し顧客に寄り添おうとするけれど、それが望んでない結果を生み出す事は往々にしてある気がします。 なんでこんな仕様にするんだろうか。 素朴な疑問が浮かぶ時、お店に置き換えて考える癖があって。 飽きと恐怖。 この2つな気がします。 まず、作ってる側が飽きるんです。 お店は毎日同じことの繰り返し

弱さと狡さと信頼と

レビューへの怒りを爆発させたからでしょう、優しき方が良い事を書いてくれまして、申し訳無さと有り難さを感じた昨日。 僕の弱さであり、狡い所を発揮してしまいました。 これは言い換えるなら、信頼でもあって。 「あなたの大切なお店がこんな事を書かれてますよ」と、当事者でありながら、他人事のように喧伝し。 それを見た人が「何かしなければ」と、思ってくれたらなと。 いや、思ってくれるだろうなと。 糸井重里さんが、とある対談で話していた事があって。 これを読んだ時に、糸井さん

そこではやめてもらえたらと

昨日、荒ぶったnoteを書いた中、荒ぶった常連さんが来たと書きました。 類は友を呼んでしまうのか、朱に交われば赤くなるのか。 うちには荒ぶった人が来るんです。 ごめんなさい、嘘です。 僕は普段は静かですし、この常連さんも静かな人です。 いや、僕は静かだけど、、、やめておこう。 荒ぶってた理由は、一日のスタートを邪魔されたからで。 休日に早起きし、お気に入りのコーヒー屋に行ったら、隣でマルチの勧誘が。 最悪でしょ。 特有のエネルギー、張り付いた笑顔、止まらない

きっかけ

昨日の補足みたいなの。 誰かのその日一日を、好転させる事が出来るかもしれない。 そんな思いがあるんですが、誰彼構わずという訳ではなくて。 この人の為なら動けるな。という人だけです。 あと、僕が楽しめるかどうかも大きくて。 結局は、自分の為でもあるんです。 だから、別に良い人でもなければ、特別優しい人ではない。 これは念押ししとかないと。 勘違いされても困ってしまう。 ハードルが上がって良い事なんてないし。 こんな考え方になったのは、明確な何かがあった訳では

誤情報拡声器の正体

悪意のない採点者と同じぐらい苦手なのが、「誤情報拡声器」で。 『見なきゃ損!穴場カフェ!』みたいな、無個性のテンプレタイトルがついた投稿を見た事があると思います。 うちもたまに取り上げられるんですが、情報だけはちゃんとせい!と思うのです。 自分カフェに詳しいんで。と、誰かにマウントを取りたいからそんなアカウントを作ってると思うんですが、あなたに求められてるのは正しい情報で。 そこに信頼が置けないとしたら、価値が無いんです。 それを分かってやってるのか!と、一喝したい

悪意のない採点者

僕には理解出来ない事が幾つかあって。 優柔不断な人とか、自分が正しいと思い込んでる人とか、不景気なのに増税する政治家とか。 その中に、『悪意のない採点者』があって。 過去に何度も書いてると思うんですが、お店というものは、気に入ってくれたら通ってくれればいいですし、気に入らなかったら黙って去ってくれればいいんです。 なぜ、採点をして、それをこちらに届けようと思うのだろうか。 良い事なら分かるんです。 その純粋な気持ちは、届けられた側も嬉しいですし、お店を続ける理由に

言い訳と自己防衛

やった気になるって、誰の為の言い訳だよ。 昨日、こんな事を書いたんですが、答えは分かっていて。 自分の為の言い訳です。 人は日々成長したくて。 でも、何をしたらいいか分からなかったり、大変な事だと逃げてしまったり。 だから、手っ取り早くそれっぽい事をしがちで。 それがカフェ開業で言う所のカフェ巡りなんだと思います。 こんな偉そうな事を書いておきながら、僕もそんな日常を送っていて。 小難しい記事を沢山ブックマークしてるのに、今晩のチュニジア戦の先発メンバー予想と

やった気になるって、誰の為の言い訳だよ

「この展覧会が良かったから行ってみてください」 そんな社内メールが、お客さんに回ってきて。 その人のやってる事、忙しさを知ってるので、「どうでもいいメールですね」と言いました。 お客さんも「こういうのに行って、インプットした気になってる人が多いんだよ」と、嘆いてました。 展覧会に行くのが悪いのではなく、その行為が目的になってしまっていて、それでアウトプットは変わったの?という話で。 趣味として行くのは良い事だと思うけど、仕事だと言うのには無理がないかい?という話でも

言葉にひっかかるのはなぜか

「言葉にひっかかるんですね」 常連さんと話してた時に言われた言葉で。 たしか、「『メスとコスメ』って曲のタイトル凄くない?」 と、話しかけた気がします。 気持ち悪いでしょ。 常連さんとなるとこちらも気を抜いてるので、変な話になったりするんです。 昨日書いた、「一旦、それで」だったり。 キリンジにはまった曲『Drifter』の「ボトルの水」だったり、『祈れ呪うな』だったり、さっきの『メスとコスメ』もそう。 なんなら、ここに書いてる事のほとんどは、どこかで見た言葉