"パッション"は、見つけるものではなく見つかるもの。世界を旅して磨き続けた「自分」という軸 #4. ジル(プエルトリコ)
#その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら)
「数年前のとある日。
夫のダビデから『俺は、サンマテオ(※)では死にたくない』と言われました。彼はニューヨーク育ちのプエルトリコ人。自分の故郷で第二の人生を歩みたいという想いがあったんです。
でもその頃、私には、25年間積み上げてきたRicochetというビジネスがあった。その場を離れれば、生徒も、お客さんも、ブランドや認知も、すべて失うことになってしまう。ものすごく悩んだのですが、ふと、子供のころあれだけ世界中を転々としてきたんだから、『移住なんてそんな難しいことじゃないでしょ』と思えたんですよ。やってみるかー、って。」
(※サンマテオは、サンフランシスコ南部の地名)
私たちの旅は「人との出会い」がテーマなので、宿泊は基本的にはホテルではなく知人宅かAirbnbを使っている。今回の主人公は、プエルトリコでお世話になったAirbnbのホストだ。
初めてジルに出会ったときの第一印象は、優しくて暖かくてほんわかしていて、きっとこれまでとっても幸せな家庭で育ち、幸せな夫婦生活を送ってきた人なんだろうなあ、というものだった。
しかし、コーヒーを片手に話をしていたら、「子供のころ16年間で21回転校したのよ」という話をしてくれて、壮絶な過去に驚いた。このプロジェクトの趣旨にも共感してくれて、「私がこれまでたくさんの国で生活をしてきて結局気づいたのは、みんな同じだということ。どこで生まれ育ったかどうかなんて関係なく、みんな笑うし、泣くし、喜ぶし、怒るし。同じ人間なのよね」と。まさかキッチンでの立ち話中にこんな格言に出会えるとは…と感動していたら、なんとジルの目がウルウルしていたのだ。
ポロっと流れた涙をみて、この人には絶対に取材しなきゃいけない。そう思った瞬間だった。
【原点】世界中を転々としたことで気づいた「自分は自分」というアイデンティティ
「子供のころ、16年間で21回転校しました。
ベルギー人の母はツアーガイドの仕事をしていたのですが、とにかく一つの場所に落ち着けない性格だったんです。生まれてからベルギー、スペイン、南アフリカ、ブルガリア、メキシコ、ギリシャ…と、数カ月単位で動き回りました。私は毎回、現地の学校に転入し、しばらく通い、また転校する、の繰り返し。
なので、自分の『ホーム』という場所はなかったし、『自分は何者なのか』というアイデンティティみたいなものもなかった。人に『どこ出身なの?』とか『何人なの?』って聞かれても、答えられませんでした。
それだけたくさんの国で生活をしてきたことで学んだのは、『結局私たちはみんな同じ人間だ』ということ。どこで生まれ育ったかどうかなんて関係なく、みんな笑うし、泣くし、喜ぶし、怒るし。みんな同じ人間なんだけど、その中で人それぞれのユニークさをもっている。
だから、別に国籍がなくったって、ふるさとがなくたって、アイデンティティがないというわけではない。自分のアイデンティティは自分で作ろう。『私は私であればいいんだ』って思えたんです。そういうことに気づけるというだけで、色んな世界を見る価値ってあるんじゃないかなと思います。
昔、まだ小さい子供二人を連れて、メキシコにバックパック旅行をしにいったことがありました。所持金は20万円。周りには、あり得ない、そんな危険なところ辞めなさいと止められました。
でもね、そう言う人に『メキシコいったことあるの?』って聞くと、大体ノーなんですよ。自分の目で世界を見ないといけない。そんなことを子供たちに教えたくて、色々冒険しましたね。海辺のハンモックで寝たりしたこともありました。」
世界中を転々としたことで、新しい世界に身に置くことの面白さと、それが自分自身を見つめなおす機会になるんだということに気づいたジル。まさに今旅をしている私たちにとっては、ものすごく共感できる話だった。
【上り坂】見つけたのではなく見つかったパッション。
「1996年。当時は、4歳の子のいるシングルマザーで、二人目を妊娠中。住んでいたのはサンフランシスコのミッションという地域でした。今でこそ若者のオシャレな街としても知られているけれど、当時は、相当治安が悪くて。銃声なんて日常茶飯事でしたね。そこに住んでいた知人のアパートの一室を借りて、なんとかして生き抜く方法を見出さないといけなかった。
そこで始めたのが、古着屋でした。自分の気に入った古着を調達して、それを自分の店で展示する。昔から服が好きだったので、好きなものを『支出』としてではなく『投資』として手に入れるのが楽しかったんです。他の人に気に入ってもらって買ってもらえるのがとても嬉しかったし、しかもそれがお金になっていって。
そこから、一歩ずつ一歩ずつ、前に進んでいきました。
サンマテオにみつけた空き店舗の物件に引っ越し、Ricochet(リコシェ)という名のお店をはじめました。Ricochetの意味は、跳ね返るとか、バウンドするとかっていうイメージなんだけれど、私自身色んな場所を転々とバウンドしてきたから、この言葉がぴったりだなと思ったんです。
その後、自分でも服を作るようになり。力不足だなと思ったら、デザインを本格的に勉強するために大学に入り。気づいたら自分のファッションブランドを立ち上げて。服飾デザインやモデルの仕方を教えるようにもなり。写真ビジネスも始めて。Ricochet アカデミーという学校を創業して。
本当にただただ一歩ずつ前に進んでいっただけだけれど、20年後には、5つの事業を回しながら、雑誌などにも取り上げてもらえたり、私のお店を好きでいてくれるお客様に恵まれたりと、全く想像していなかった姿になっていたんです。
何がびっくりって、古着屋を始めたときは、数年くらいは続けてみようかなというくらいの気持ちだったんですよ。そもそも自分のパッションが何かなんて全然分かっていなくて。始めてみるまで知らなかったんですよ、アートとかファッションが大好きだということを。
そしてやっていく中で、自分のスタイルみたいなものもどんどん形になっていきましたね。私はWaste (モノの無駄遣いや廃棄)が嫌いで。だから、自分のつくる服はすべて再利用された布や糸でできてるんです。Zero Wasteというコンセプト。そんな風にして軸が磨かれていくことで、気づいたらすっかり心を奪われていて、今では私の人生の中心になっているんです。
そうそう。このワゴン、一番最初に始めた古着屋の頃から使っている宝物です。ここにこうやって服を載せて運んでいたんです。」
***
自分のやりたいことやパッションを探さなきゃ!と焦っている人は多い。
でも、ジルの話を聞いていると、パッションというのは見つけるものではなく、育てるものなんだなということに改めて気づかされる。
頭で考えていても仕方ない。行動し続けること、挑戦し続けること、新しい世界にオープンでいることさえできれば、パッションが徐々に形を表してくれる、そんな風に思わせてくれるストーリーだ。
さて、この時点でジルの人生の重要な出来事はほぼ聞けたつもりだったが、まだまだ終わらない。「ターニングポイントは何だったか?」という質問を改めて投げかけてみたら、驚くような答えが返ってきた。
ここから、ジルの人生ストーリーの第二章の幕開けとなる。
【ターニングポイント】これからはもう、自分の人生を生きよう。
「私にとってのターニングポイントは・・・多分、父親を捜す旅に出て、母親が私と一切口をきいてくれなくなったときだと思います。
私は、生まれたときからずっと母に一人で育てられたので、父親の存在を知らないまま、聞くことすら許されないまま、大人になりました。
でも私が40歳になったとき。もうこの年になったから良いだろうと、自分の父親の謎を解きに行こうと決意したんです。色々調査して、息子とわざわざスペインの小さな村にまで出向いて、父親(だと思われる人)と話すことが叶いました。
結論からいうと、本当に彼が父親なのかは分かりませんでした。それでも私は満足でした。40年間やりたいと思い続けていたことをやりきれたから。
ただその時から、母が口をきいてくれなくなりました。もちろんすごくショックで、今も複雑な気持ちでいっぱいだけれど…でも、この一連の出来事のおかげで、心から吹っ切れたんです。『自分とは何者なのか』という問いから解放されて自由になったというか。これからはもう自分自身の人生を生きよう、と思えるようになったキッカケでした。」
過去のモヤモヤと向き合い、そこから解放されることでより自分らしい生き方を手に入れる。これまでのインタビューでもたびたび登場するテーマだ。過去に囚われるのを辞めた瞬間に、新しい世界が見えるのかもしれない。
【第二ステージ】リセットボタンを押す勇気
「そんなこともあって、より一層仕事に熱中していた中で、ある日突然、夫のダビデから言われたのが、
『俺は、サンマテオでは死にたくない』という一言でした。
彼はニューヨーク育ちのプエルトリコ人。自分の故郷で第二の人生を歩みたい、という想いがあったんです。
でもその時点で、私には、25年間積み上げてきたRicochetというビジネスがあった。その場を離れれば、生徒も、お客さんも、ブランドや認知も、すべて失うことになってしまう。ものすごく悩んだのですが、ふと、子供のころあれだけ世界中を転々としてきたんだから、『移住なんてそんな難しいことじゃないでしょ』と思えたんですよ。やってみるかー、って。
そこで、本当にプエルトリコに住みたいかどうかを確かめるために、まずは自分一人で数週間プエルトリコで過ごしてみました。物件探しも進めていたのですが、なかなか良いものが見つかず落胆していたところ、滞在最終日になって不動産屋さんから電話がありました。その足で物件を見に行ったら、これが次のRicochetのホームだと確信したのです。それが、ここの家。
そうしてつい3カ月前、サンマテオの店舗を去りました。
お客さんの中には泣いてくれる人までいて。仕事帰りにこのお店に寄ると、一気に気分が明るくなるんだ、って。私たち、そんな場所をつくることができたんだなって、胸が熱くなりましたね。始めたときのころを思い出すと、なおさらね・・・」
全てをリセットするというのはなかなか簡単なことではない。でも、ジルにとっては、「自分が何者か」「自分のパッションは何か」というアイデンティティが明確にあったからこそ、どこにいってもきっと大丈夫だという自信が持てたのではないだろうか。
それでも、25年間育ててきたものを手放すのは相当つらいはずだ。今、どんな心境なのだろうか。
「引っ越してからは毎日がカオス。多分この数か月間で休んだのは2日くらいかな。でも、とても幸せな日々ですよ。
ここでは、街中で人とすれ違う時に、みんな挨拶するんです。なんだか同じ空気を感じるというか。ここが私のホームなんだなあって、思えるんですよね。
しかも、Ricochetっていう名前、プエルトリコの”Rico”が入ってるでしょ!
ここに住むのは運命なんだなろうなと思っています。」
大切にしているコアバリューとは。
「誰もが平等だということです。誰のほうが上とか、下とか、そんなことなんてありえないんです。サンマテオのお店には、たまにホームレスの人も来店しました。他の人は無視したり目をそむけたりしますけど、私は気にしない。他のお客さんと同じように会話をしていましたね。だって、世界中を旅して学んだことは、皆同じ人間だっていうことなんです。
でも、誰しもが同じ機会に恵まれているわけじゃないのは分かっている。だから、私のビジョンと夢は、あらゆる環境で育ってきた子供たちの、扉を開いてあげられる場所をつくることです。」
そんなジルにとって「幸せ」とは何か聞いてみると、"Being Passionate"(情熱を持つこと)という答えが返ってきた。夫のダビデいわく、朝4時にいきなり飛び起きて、カタカタミシンを始めたりするくらい、ジルの頭の中は服やデザインのことでいっぱいなのだという。努力の結果見つけることのできたパッションこそが、彼女のこの笑顔の源泉なのだろう。
***
編集後記
ジルのストーリーからあえて一つテーマを抽出するとしたら、「自分を生きる」ではないだろうか。
多様な環境に身を置くからこそ、「自分」ができる。そして「自分」があるからこそ、多様な環境でもやっていける。ということなのではないかと思う。
幼少期に色んな国に住んでいたからこそ、結局はみんな人間で、自分は自分なんだと気づくことができた。
死に物狂いで始めた古着屋をつうじて、自分のパッションが見つかった。
そして「自分」の軸となるパッションがあるからこそ、20年間育て上げたサンマテオでのビジネスをリセットしてプエルトリコに移住することができた。
多様な環境というのは、「場所」(違う国や地域)、「時間の使い方」(仕事や生活)、「人」(新しい出会い、別れ等)を多様化することによって作ることができる。
「自分」ともっと向き合いたいという人は、是非何か少しでも環境を変えてみると良いのではないだろうか。
ターニングポイントから学べること
私たちの視点でジルのターニングポイントを挙げるとしたら、①古着屋を始めてパッションを見つけたときと、②父親を捜しに行ったとき、の二つだろう。
①古着屋をはじめてから、明確に自分自身の服やデザインへのパッションに気づくまでには、一定の期間があったとは思う。そういう意味では、このターニングポイントは、曲がり角ではなく徐々に曲がるカーブ道に近いかもしれない。彼女にとってのパッションは、突然のひらめきで見つけたのではなく、がむしゃらに歩いていたら気づいたら見つかっていた、という学びは大きい。
また、ジル自身がターニングポイントとして挙げていた②の出来事は、まさに過去のモヤモヤからの解放によって、前に進めるようになったというもの。
父親を捜すという行動は、ずっと抱えていたけど実行してこなかったことに対して、自分の本音に素直に動けた証だ。引き換えに、母親と疎遠になってしまったが、それさえも今この瞬間は受け止めている。それは、母は母である前にひとりの人間。自分は娘である前にひとりの人間。誰しもが自分に素直に生きていきたいし、自分が素直に行動することで、誰かの素直な行動を受け入れることができるようになったのではないだろうか。
Ricochetがプエルトリコでどんな進化を遂げるのか、楽しみで仕方がない。きっとジルは今までどおり、一歩ずつ、夢に近づいていくのだろう。もしプエルトリコを訪れる機会があるならば(※かなりオススメ)、是非ジルとダビデの温かいホームで過ごしてみてはどうだろうか。
◆ジルとダビデのAirbnbはこちら:https://www.airbnb.jp/users/151166823/listings
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◆#その時自分史が動いた シリーズのバックナンバーはこちら:
ニューヨークの会計士が、なぜ今メキシコでラッパーをしているのか。#1. スマイリー(メキシコ)
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