_お前_ここで働きたいなんて思っていないだろ___9_

ファッション界のバリキャリウーマンがオアハカでみつけた本当の自分とは。#2. エリーズ(メキシコ)

#その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら

「ニューヨークが、嫌いでした。
常に競い合っているのが、嫌だったんですよね。誰のほうが忙しいかとか、誰のほうが影響力あるかとか、誰のほうがきつい仕事に耐えているかとか。仕事が楽しくなくても、全ての時間を費やすことが美徳、みたいな。
自分自身も、無意識に誰かと自分を比較してしまってるということに気づきました。でも、そんなのって、やる気をそぎ落とす以外に何の役にも立たない。誰のほうが上かどうか比べるなんてことには、私は意味がないと思ってます。そもそも「上」か「下」かなんて考え方自体がおかしい。ただ、違うだけ。比較するのを辞めない限り、幸せになんて絶対になれないって、本気で思ってます。

だから引っ越したんです。オアハカに拠点を移したら、自分に問いかけるべき質問は「誰のほうが上か?」ではなくて「おまえの人生、結局何がしたいんだ?」ってことだってことに気づきました。
今は、すごくハッピーです。これまでの人生で、こんなに辛かったこともなければ、こんなに幸せだったこともない。そんな不思議な感覚です。」

#その時自分史が動いた 第二弾の記事となります。このシリーズのために、メキシコ人の友達に誰か取材すべき知り合いがいるかどうか聞いてみたら、「ユニークな生き方をしてる人ってことだよね?だったら、エリーゼには会わないとだめだよ!」そう紹介されたのが、今回の主人公エリーズ。

オアハカの人気ブランチ店にて待ち合わせをしたところ、どうやら従業員やお客さんの半分くらいは友達だったようで。特別に案内されたテーブルにつき、人生、死、仕事、人、アート、メキシコなどについて語っていたら気づいたら2時間が経ってしまっていた。

この記事は、その会話の中でも特に印象に残ったものを抽出している。誰かと自分を比べたことがある人。過去や未来の自分と今の自分を比べてしまっている人。そんな人に是非読んでもらいたいストーリーだ。

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【原点】"小さいころから、自分は他とは違ってた。でも、それが嬉しかった”

「私は、メキシコシティ出身。メキシコ人の母とアメリカ人の父との間に生まれました。父親は、チェロ奏者でした。インドのストリートで演奏してみたり、メキシコのジャングルに住んでみたり、完全なるヒッピーですね。すごくクリエイティブで、大好きなお父さんでした。アメリカ人なんだけれど、私たちの生活の中でアメリカっぽいものなんて、ピクルスとアイスティーがたまに出てくることくらいだったかな。(※どうやら、メキシコの食卓にはあまりこの二つは登場しないらしい)
だからといって、完全にメキシコ人らしく育てられたわけでもなくて。私は、普通じゃない子でした。

メキシコ人のほとんどは、敬虔なカトリック教徒です。私の母親もそうでした。でも、父がユダヤ教だったので、私は無宗教。それも、変わってた。
また、私は一人っ子なのですが、それもすごく変わっていた。メキシコって、大家族が普通なんですよ。兄弟とかいとことかがたくさんいるような。

学校でも、多動症で、全然授業についていけていなかった。メキシコの教育の仕組みって、すごく堅くて。授業中は静かに座って、おとなしく聞いて、規則をすべて守らないといけない。それが全然合わなかったんです。

そんなこんなで、とにかく他とは違う子でした。でも私にとってそれは恥ずかしいことでも嫌なことでもなくて、嬉しいことだったんですよね。
そう思えていたのは、親のおかげだと思います。私が何をしてもサポートしてくれるような、すごい両親なんです。多分、私がストリッパーになってたとしても、「イエーイ」みたいなノリで応援してくれてるんじゃないかな(笑)
小学校も、しばらくしたら、もっと自由にさせてもらえる学校に転校させてもらってました。
そんな両親のおかげで、私が他の子と比べて違ったとしても、それでいいんだ、それがいいんだ、っていう風に考えられるようになったんだろうと思います。

むしろ、大人になるにつれて、別に私だけが違うというわけじゃないことに気づいて、ショックを受けたくらいです。私ってそこまで特別じゃないの?みたいな(笑)」

【行き止まり】 フェイクで、ひどくて。でもお財布だけがどんどん大きくなっていって。

「ニューヨークのFIT(ファッション工科大学)を卒業したあと、Opening Ceremonyに就職をしました。当時、ニューヨーク1話題のファッションブランドだったんじゃないですかね。流行のメッカみたいな場所でした。
店舗やポップアップストア、イベントや映画のセットなどをデザインするのが私の役割でした。最高でしたね。4amまで働いても全然大丈夫なくらい。

でも、ニューヨークが嫌いでした。
常に競い合っているのが、嫌だったんですよね。誰のほうが忙しいかとか、誰のほうが影響力あるかとか、誰のほうがきつい仕事に耐えているかとか。仕事が楽しくなくても、全ての時間を費やすことが美徳、みたいな。
自分自身も、無意識に誰かと自分を比較してしまってるということに気づきました。でも、そんなのって、やる気をそぎ落とす以外に何の役にも立たない。誰のほうが上かどうか比べるなんてことには、私は意味がないと思ってます。そもそも「上」か「下」かなんて考え方自体がおかしい。ただ、違うだけ。比較するのを辞めない限り、幸せになんて絶対になれないって、本気で思ってます。
徐々に徐々に、状況は悪化していきました。友達に会う回数がどんどん減って、でもガミガミする回数はどんどん増えて。

キャリアは成功への道を着々と進んでいき、Opening Ceremonyの次は、Ann Taylorというブランドを担当し、GAPのCEOの右腕だった人にメンターをしてもらうという贅沢な仕事につきました。

でも、この仕事のせいで心がどんどん死んでいったんです。
私の役割は、店舗をひとつひとつ、単独のブティックのような雰囲気に仕立て上げるというものでした。本当はチェーン店なんだからデザインを統一させればいいのに、当時、独立したブティックショップブランドが流行っていたから。
また、そのためにものすごい量のゴミを毎日のように生み出しては廃棄していました。少しでも環境のためを思って、プラスチックではなく紙製のものを選ぼうとすると「50セントコストが上がるからダメ」と言われました。
要は、ビジョンもクソもなかった。あまりにもフェイクで、ひどくて。でもお財布だけがどんどん大きくなっていって。

お金を稼げば稼ぐほど楽しくなくなるっていうことにも気づきました。貧乏学生としてニューヨークのはじっこで遊んでいた頃のほうが、断然面白かった。お金なんて、人を欲と悪に染めるだけなんだな、と学びましたね。」

【ターニングポイント】TRUSSを立ち上げオアハカへ

「Ann Taylorを辞める少し前から、とあるプロジェクトをスタートしました。それがTRUSS。
最初は、ただのアイデアでした。メキシコに帰省するたびに、ハンドメイドのかわいいバッグをお土産として買って帰っていたんですが、必ずと言っていいほど、街中で止められて「それどこで買ったの?」って聞かれるんですよ。だから、なんか可能性を感じざるを得なかったというか。
しかも、私は必ずどこかのタイミングでメキシコに戻りたいと思っていたんですが、結構イライラしてもいたんです。こんなにもアートやクリエイティビティのポテンシャルが高いのに、その価値が全然外に伝わっていないのはおかしいんじゃないか!って。

だから、TRUSSを立ち上げることにしました。メキシコで、ハンドメイドのバッグを自分で選んで、買って、ブランドをつけて、ニューヨークで売る。Ann Taylorでの仕事をしながら、ずっとこっちのことばかり考えていましたね。これが、ぐんぐん伸びたんです。それまでに存在していなかったものが、自分の手によって、世の中に出ていくという感覚、すごくワクワクしました。「貧しい原住民が作った民芸品」が「メキシコ生まれの新しいおしゃれブランド」に生まれ変わったんです。そして二年がたったころ、バーニーズニューヨーク(米国の高級百貨店)から、大型の注文が入りました。Wow。次々に、ほかの大型デパートも。海外も。日本だと、伊勢丹とかも。気づいたら、至るところでTRUSSのバッグが売られていました。

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(TRUSS NYC 公式HPより)

そしてそこから一年余りが経った頃、仕事でオアハカに数カ月いくことになりました。これが転機になりましたね。「あれ、私なんでまだニューヨークにいるんだろう?」って純粋に疑問に思ったんです。

昔から、オアハカが大好きでした。子供の頃、親の友人夫婦が住んでいたので、年に1~2回は訪れてたんです。大好きだったその夫婦に、旅についていったりもしました。彼らの目を通して新しい世界を見させてくれたんです。

思い出だけじゃない。
私は、メキシコが今「文化革命」の真っただ中にいると思っています。メキシコって魅力的じゃんってことに人々が気づき、ここで何かしようぜ、ってなってきている。昔は、みんな、ヨーロッパ人になりたくて、アメリカ人を崇拝していた。海外で成功しないと本当の成功とはみなされなかった。私のおばあちゃんなんて、自分の故郷スペインの話ばっかりして、メキシコについてはぼろくそしか言わなかったですよ(笑) でも、それが変わってきている。アートを復活させて、生まれ変わらせようとしている。多様な文化に富んでいるこの国には、輝くべきポテンシャルがあるんです。私も、その動きに関わりたくなったんです。

だから、出張が終わってニューヨークに戻った瞬間、荷物をまとめ直して、引っ越しをしました。そういえば、まだニューヨークのトランクルームに、一部ガラクタが残ってるわ!(笑)」

***

私たちの心の声:
エリーズに取材をしたのは、スマイリー(インタビュー記事#1はこちら)の数日後だった。なんでこんなにも引き運が強いんだろう…と思ってしまうくらい、またしても共感の嵐のようなインタビュー。「人と比べない」という話になった瞬間、取材のことを忘れて思わず自分たちの意見を口にして、話を脱線させてしまったくらいだ。私たち自身、世界一周の旅に出るまでに数年悩んだ理由は、他と比較して「何が正解なのか」を探ろうとしてたからなんだろうなと、振り返ってみて思う。

エリーズとの会話の冒頭で、彼女に紙とペンを渡し、これまでの人生のターニングポイントと、それがプラスだったかマイナスだったかを描きだしてもらうように頼んだ。しかし彼女はしばらく悩んだ後で頭を抱えて、こう答えた。「オアハカに来てから、これまでの人生で、こんなに辛かったこともなければ、こんなに幸せだったこともないんです」。だから、プラスでもマイナスでもあるから、どっちとは言えないんだ、と。それが具体的にどういうことなのか、気になったので聞いてみた。

【のぼり坂】こじれた人間関係と、鬱と、死と。

「まず、自分のために働くって、やっぱりめちゃくちゃ難しいんですよね。
言われたことをやるのは得意な方だから、TRUSSまではなんでも簡単でした。でも、自分のために働くということは、全てが自分次第だということ。自分の価値基準をつくって、自分の力で決断をしないといけない。
一番楽な道は大体一番ダメな結果を招き、一番険しい道がきっと最後は報われる。そんなことは頭で分かってても、実際にどちらかを選ぶのは楽じゃないんです。

ただ、きつかったのはそれだけじゃありませんでした。 何年もの間、ビジネスパートナーとの関係が良くない状態だったんです。アメリカ人の彼女とは、はじめは親友でした。でも彼女は「比較」が得意な人でした。TRUSSを他と比較してみたり、自分自身を他人と比較してみたり。
ビジネスのためにメキシコに来てもらったけれど、彼女はとてもアンハッピーだった。ハッピーになってもらいたいと必死に頑張ったけれど、いつまでたっても何も変わらなかった。私は、それがすべて自分の責任だと思っていました。
そうして徐々にうつ状態になっていきました。朝になっても、全然起きれないんですよ。いつもポジティブなはずの私がなんでそんな状態になってるんだよ!って、自分で現実を受け入れられなくてさらに鬱になる、というマイナスのループが続きました。

根底には、私たちの考え方の違いがありました。
私は、持続可能かつ環境にも優しい、小さくてスペシャルなブランドをつくりたかった。でも彼女は、大きくて有名なものに育てあげたかった。彼女にとって大切だったのは「成功」で、私にとっては「アート」だったんです。
どちらが良いとかじゃなくて、考え方が違うだけ。それを、無理に合わせなきゃって思っていたから、衝突してしまったんだと思います。

そしてとある日、父親が交通事故で亡くなった。突然すぎる出来事でした。
大打撃。人生を根本的に見つめなおす機会になりましたね。
別にそれまでもそれなりに良い人生だったけれど、なんというか、本気で、「おまえの人生、結局何がしたいんだ?」って。
それだけじゃなくて、人間はみんな孤独なんだなっていう学びもありました。別に悪い意味ではなくて。ただ、人間は結局は一人なんだから、他の人のことを気にしたり何かを期待したりすることなく、自分自身がやりたいことをやるべきなんだって、悟ったんです。

父の死後、21日間かけて、遺灰を運びながらヒマラヤ山脈をのぼりました。いやあ、重かったですね。物理的にも、心情的にも。でも、一日9時間ひたすら歩き、瞑想状態になりながら、自分自身とじーっくり向き合える時間でした。そして、変わらないといけない、という強い気持ちが芽生えました。変わりたい、って。

そこで、ヒマラヤから帰った直後、ビジネスパートナーとの関係をきっぱりと断ち切ることにしました。もう友達ではいられない、と一言伝えただけ。でも、それが私にとってはものすごい大きな出来事でした。その瞬間、自由の身になれたから。」

***

オアハカに来てから5年。今は、どんな気持ちで、どんな将来を見据えているのだろうか。

「今、すごく幸せです。
オアハカに来て本当に良かったと思うし、自分の道というかビジョンを見つけられたという意味でもしっくりきています。
メキシコをメキシコたらしめるアートを、発掘してデザインすること。それこそが、TRUSSで実現したかったことなんです。

メキシコには、ものすごいクリエイティビティとアートとテクニックが眠ってます。残念ながら、商業化されすぎてしまっているものもあれば、跡継ぎがいなくて廃れてしまっているものもある。また「民芸品は貧しい人がつくるものだ」というイメージも染みついてしまっています。「靴なんて、貧しい人が作ればいいんでしょ」みたいな。でもそんなのあり得ない!だって、例えばイタリアだと、靴職人ってすごく地位があって、尊敬されているような職業じゃないですか。日本の伝統工芸とかも、そうですよね?
私たちだって、そうなれるはず。そう信じているんです。メキシコが誇るべきアートを発掘して、その可能性を発揮できるお手伝いをしたい。それこそが、私のビジョンであり、ゴールです。私は、それを実現するために生まれてきたんじゃないかな。」

そんなエリーズにも、「あなたにとっての幸せとは?」と聞いてみた。

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Mountains, Music, and Connections.
山、音楽、つながり。

***

編集後記

エリーズの話を通して特に心に残ったテーマがいくつかある。

一つは「比べる」ということ。エリーズは、自分は他の子と違うんだ、でもそれが良いんだ、という自覚とともに育ってきた。なのに、大人になり、ニューヨークの業界で仕事をするにつれて、どんどん自分を他と比較してしまっているということに気づく。しかも、社会的地位・カネ・名声など、自分の興味のないモノサシで。その葛藤を乗り越えた現在は、誰かと比較することなんて何も良いことないよと、キッパリ断言できる状態になっている。私たちも聞きながら、「そうだよね」と共感しながらも、本当は、言うは易く行うは難し、という現実も痛感している。気づくと比較してしまう、人間の弱さを。

二つ目のテーマは、目的ともゴールとも人生の意義ともいえるが、要は「おまえの人生、結局何がしたいんだ?」という問いについて。彼女の場合は、ニューヨークが好きになれなかったこと、ビジネスパートナーとぶつかったこと、父親が亡くなったことなどの逆境に直面するたびに、自分が本当にやりたいことが徐々に洗練されていったのだろう。

そして最後に、「これまでの人生で、ここまできつかったこともなければ、ここまで幸せだったこともない」という言葉に隠された想い。好きなことだからこそ、辛くても楽しいと思える。それ、めちゃめちゃ共感するなぁ。

ターニングポイントから学べること

こちらの記事は本シリーズ2作目となるが、実はこの時点で実は6人分のインタビューが終わっている。そしてどの人のストーリーをとっても、ターニングポイントに着目をしてみると、共通点があることに気づいた。
彼らにとってのターニングポイントは、誰かにいわれた言葉だったり災害だったり人の死だったり、そんな外部要因的な「出来事」がキッカケとなって生まれていることが多い。だけど、そんな出来事を自分事化して、何かしらのアクションや決断をとることではじめて「出来事」が「ターニングポイント」に化けているのだ。
エリーズの場合、例えば、出張でオアハカに来ることになったという出来事が、子供のころの思い出やメキシコのアートへの愛を想起させたわけだが、それを受けて「もうこの際引っ越しちゃえ」と決断したのは自分の意思だ。父親の死という出来事が、彼女をヒマラヤへ行かせたわけだが、それを受けて、長年のビジネスパートナーとのこじれた関係を清算したのも自分の決断だ。
そして今後もきっと、何が起きたとしても自分自身の意思で人生をつくっていくのだろう。これからエリーズがどんな軌跡をたどるのか、楽しみで仕方がない。

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取材・文・写真:市川竜太郎・瑛子

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