その時自分史が動いた__6_

全財産をつかって片道チケットを買った理由と、そこから私たちが学ぶべきこと#3. モリー (プエルトリコ)

「母が亡くなったとき、サウスキャロライナの実家に戻らざるを得ませんでした。
寒さで震えながら、ベッドの上に一人座って、途方に暮れていました。お金も、収入もなくて、母は何も遺してくれていなくて。周りには、プエルトリコのアパートなんて引き払ってこっちに戻ってきなさい、と言われました。

そんなある日、郵便受けを見に行ったら、母が生前に手配をしていたクレジットカードが届いていたんです。入ってたのは、大した額ではなかった。でも、その20万円を使って、プエルトリコへの片道チケットを購入しました。新しい人生をスタートさせることを決めたんです。」

プエルトリコの海沿いのルキーヨという街にて。『Love Soul Beautiful』という名前のAirbnbにで出迎えてくれたのが、今回の主役モリーと旦那さんのペドロ。入り口を見た瞬間、この宿を選んだのは大正解だったと確信した。どこをみてもオシャレ細かいところにまで配慮されているのがすぐに分かる。トイレのドアストッパーまでかわいらしいイラストが描いてあるのだ。

モリーとキッチンで立ち話をしていたら、もともとはカリフォルニア出身だけれど、5年前からプエルトリコに移住してきたんだという話をしてくれた。ふむ。絶対に何かストーリーがあるぞ。そう思った数時間後には、海が見える外のテラス席で、インタビューに応じてくれていた。

***

画像1

【頂点からのスタート】キャリアのはじまりは夢のようだった。けれど、長続きはしなかった。

「私は、もともとカリフォルニア育ちだけれど、大学卒業後はアトランタで就職をしました。音楽業界のスタイリストとして、OutKast (90年代に活躍したヒップホップバンド)のようなアーティストがミュージックビデオなどで着る服をスタイリングしてました。夢のような仕事でしたね。
でも、息子を妊娠していることが発覚して、その父親が住んでいたニュージャージーに引っ越すことになりました。でも、ニュージャージーを好きになれなかったんです。不動産管理の仕事をみつけて、息子を生んだけれど、1歳半になったころにはもう耐えられなくなって、相手に別れを告げてアトランタに戻りました。」

【リセット】ひょんなことから始めたブランド

「息子が3歳になったころ、自分のファッションブランドを立ち上げることになりました。
2000年くらいのときですかね。当時、アトランタは音楽やアートがすごく盛り上がっていて。ニューヨークのハーレムみたいな感じで。もともとファッションが好きだから、その界隈の人とどんどんつながっていって。たまたま、ジーパンを使ってスカートを作る方法を知り合いに教えてもらって。そしたら、古いジーパンを、1kgいくらみたいな感じで売ってる倉庫をみつけたんですよ(笑)天井まで埋まるくらいに大量に購入して、ひたすらジーパンスカートを作りました。ブランド名は『Love Soul Beautiful』と名付けました。

イギリス人のデザイナーにも手伝ってもらって、徐々にブランドが大きくなっていきました。気づいたら、地元のイベントで商品を売ったり、Indie Arie(グラミー賞のノミネートもされてるようなアーティスト)などのスタイリングをしたり、ニューヨークタイムズの記事に載ったり。
このままこの仕事を続けていくんだろうなって、思っていました。」

【リセット#2】できることを仕事にしてみる

「そんなとき、サウスキャロライナに住んでいた母親が病気になりました。一人では生活できない状態だったので、介護をするために引っ越しました。息子はもう大きくなっていて、ニュージャージーにいる父親のところに引っ越しました。
介護以外にすることもないような何にもない小さな町での生活がはじまったんです。それが、めちゃくちゃつまらなかった。
どうにかしなきゃ、と思って思いついたのが、ソーシャルメディアマーケティングの仕事。当時まだフェイスブックでのマーケティングなんて誰もやってなかったし、広告にお金を払ったりなんてしなくてよかった時代。私は、周りの人よりは知識があった。だからビジネスになると思ったんです。

それを細々と続けながらも、ずっと夢見ていたことがあります。それは、島で生活したい、ということ。昔からずっとあこがれていたんです。そこで、短期のワーホリに申し込みました。それがプエルトリコとの出会いでした。

そこで、Airbnbを運営している女の子と知り合いになったんですが、彼女は、ツアーとかとセットにして数十万円単位で稼いでいるようでした。まだその頃はAirbnbなんて誰も知らなかったのですが、それに可能性を感じて。おんぼろアパートの一室を借りて、色々と修理する代わりに家賃を3カ月間タダにしてもらうことに成功しました。そうして徐々に、Airbnbビジネスの種となるものが出来上がっていきました」

【ターニングポイント】母の死と、郵便と、プエルトリコ

「楽しくなってきた矢先に、ターニングポイントが訪れます。
母親の死です。サウスキャロライナの実家に戻らざるをえませんでした。
寒さで震えながら、ベッドの上で一人座って、途方に暮れていたのを今でも覚えていますね。お金も、収入もなくて、母は何も遺してくれていなくて。周りには、プエルトリコのアパートなんて引き払ってこっちに戻ってきなさい、と言われていました。

そんなある日、郵便受けを見に行ったら、母が生前に手配をしていたクレジットカードが届いていたんです。入ってたのは、大した額ではなかった。でも、その20万円を使って、プエルトリコへの片道チケットを購入しました。大好きな島に戻って、新しい人生をスタートさせることを決めたんです。

友人も誘って、一緒に本格的にこの建物のリノベーションを始めました。ここ、もともとは本当にひどい状態だったんですよ。ゼロから、少しずつ修繕していった。一体どれくらいの時間をかけたんだろう…ってくらい。いまだに、終わっていないんですけどね(笑)」

***

お金も収入もない中で、唯一あった20万円を片道の航空券に使ってしまったって…そんなことをして、怖くなかったのだろうか?なぜそんな勇気を出すことができたのか?思わず、身を乗り出して質問をしてしまった。

【行動の秘訣】上手くいくまで、上手く行ってるふりをする

やるしかないの。Just do it. 怖いという感情はなかったですね。私が好きな言葉のひとつが、Fake it till you make it (上手くいくまで、上手くいってるふりをしろ)。嘘をつくべきだっていう意味ではもちろんないんだけれど、もし本当に好きなものとか、やりたいことがあるんだったら、やりながら上手くなればいいと思ってるから。Airbnbのホストなんてやったことなかったけど、人のために何かをすることが好きだった。だからまずやってみて、そのあとなんとかすればいいと思ってたんです。
多くの人は、『やったことがないから』『資格をまず取らなきゃ』って理由をつけて行動したがらないけど、そんなものは必要ない。事業なんて、誰にだって始められますよ。
私も、過去の経験を無理やりに生かしながらなんとか進めました。スタイリングとか、不動産管理とか、ソーシャルメディアマーケティングは、すべてある意味Airbnbのビジネスと被る部分があったんですよね。

そういえば、隣の部屋の人たちが退去したと知った時、大家さんは既に他の人に売ろうとしていました。でも、思わず、『私に借りさせて!』と言いに行きました。その部屋を借りるお金なんてなかったのに、隣に知らない誰かが済むのなんて、絶対に嫌だったから。だから、あたかも家賃なんて余裕で払えるかのように振舞ったんです(笑)
さあお金どうしようかなと思っていたら、その晩に、まさかの展開に。アフリカから船で旅をしている若いカップルから、私の宿に1カ月泊まりたいと連絡があって。その分の収入で、新しい部屋の家賃を払うことができたんです!
あたかも持ってるかのように振舞うと、手に入ったりする。上手くいってるふりをすると、上手くいったりする。そう考えてみると、頭で否定してしまってるだけで、自分の可能性って本当はもっと大きいのかもしれないなって、思いますよね。

私には、そこまでしてでもやりたいって思える想い(Purpose)があった。お金のためだけに働く人もいるけれど、私にとっては、誰もがリラックスできて、色んなものから解放されるような、心落ち着く場所をつくりたかった。Airbnbの多くは、おしゃれだけどなんとなく落ち着かないところが多いじゃないですか。私は、『家(ホーム)』を作りたかったんです。それがあったから、労力と時間を惜しまず費やすことができたんだと思います。」

その想いは、この家に入った瞬間に、ひしひしと伝わってきた。そんなモリーは今、どんな気持ちで生活しているのだろうか。

「この海。島での生活。愛する人との出会いと結婚。これまでの傷をすべて癒してくれるような、そんなありがたい日々を送っています。若返った気分です。

振り返ると、『仕事』に『人生』を合わせるのではなくて、『人生』に合わせて『仕事』をつくるべきだと、強く感じますね。どんな人生を送りたいのか?っていうのをまず考えて、それを軸に人生設計をしなくちゃ。今の環境に幸せを感じないなら、家がどんなに大きくても、稼ぎがどんなによくても、関係ない。幸せにはなれないと思います。

周りには、もっとビジネスを拡大すべきなんじゃないかとかって言われます。でも、私は今満足してるんですよね。『現状に満足したら成功できない』みたいな考え方もあるけど、私はそれは反対です。自分がどんな生き方をしたいかさえ分かっていれば、いいんじゃないかって。私は、プエルトリコでのこの生活が、すごく幸せなんです。」

画像2

画像3

***

編集後記

モリーが放った言葉のなかで、衝撃を受けたものがふたつあった。

一つは、「『仕事』に『人生』を合わせるのではなくて、『人生』に合わせて『仕事』をつくるべき」(You should always build your job around your life, not your life around job)というもの。私がスタンフォード大学のMBAで学んだことのうち、もっとも印象に残っているといってもいいのがまさにこの考え方なのだが、こんなにわかりやすい表現で言語化できたことがなかったのだ。モリー、ありがとう!

二つ目は、「うまくいくまで、うまくいってるふりをしろ」(Fake it till you make it). これも、スタンフォードの授業で見た、Amy CuddyのTEDトークで初めて聞いたときから好きな考え方だ。だけれど、それを、現実に実践している人のストーリーを聞けたのは、かなり心に響いた。何かを成し遂げた人は、まず何かをするところから始めているのだ。

コンセプトとしては、聞いたことがある人は多いかもしれない。でもそれを、体現している人には出会ったことがなかったから、衝撃的だったのだ。仕事はなかったけれど、島で生活してみたかったから、それを実現できる仕事をつくりあげた。Airbnbのホストになる方法なんて知らなかったから、まず上手くいってるふりをしてみたら、上手くいってしまった。現在は、900近いレビューがついているスーパーホストだ。

What we learned

モリーのターニングポイントを見てみると、心の準備ができる前に動いているということが分かる。ジーパンからスカートを作る方法を知り合いに教わって、まず大量のジーパンを購入してみたり。サウスキャロライナに引っ越して、とりあえずフェイスブックマーケティングの仕事を手探りで始めてみたり。プエルトリコの家賃が払えない状態なのに、貸してほしいと頼んでみたり。まず行動してしまうことで、ターニングポイントを作りにいってるのだ。

そのJust do it精神が、今の彼女の幸せを作り上げているんだろうなと感じた。
ただ、やみくもに行動すべきだというわけではないということは指摘しておきたい。モリーは、「ゲストが安心できる場所をつくりたい」という意義を見出すことができてはじめて、今の幸せと生きがいを見つけることができたのだと思う。
最後に、モリーにとっての幸せとは何か、聞いてみた。

画像4

My husband & island life
夫と、島での生活。

滞在最終日、モリーからこんな手紙をもらった。私たちからは、Love Soul Beautifulを日本語で「愛・魂・美」と書いた折り紙を渡した。彼女がつくった「ホーム」に泊まらせてもらえたことが、光栄だった。

画像5

iOS の画像 (18)

取材・文・写真:市川竜太郎・瑛子



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?