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ガラスの小瓶

小学生の時に読んでいまだに心に残っているガラスの小瓶という本のあらすじを
インターネットから引っ張ってきたので今日はご紹介します。

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阿久少年の父親は、昔甲子園に出場したことがあったそうだ。
多くの高校球児がするように、彼も試合後に甲子園の土を持ち帰った。
その土はガラスの小びんに入れられて、彼が家庭を持ってからもずっと家にあった。
父親にとってのガラスの小びんは、まるで宝物やお守りだった。
時々小びんを取り出してじっと見たり、甲子園の思い出話をしたり、
阿久少年が受験に行く朝、合格を願って、玄関で甲子園の土を少年の肩に少し振りかけたり・・・
阿久少年は何かにつけて持ち出されるガラスの小びんがうっとうしくてたまらなかった。
我慢できなくなった少年はある日、ガラスの小びんのふたを取り、中の土を庭に捨ててしまった。
捨ててから、とんでもないことをしてしまったと青くなったがもう遅い。
阿久少年はものすごく叱られることを覚悟し、父親に謝った。
ところが、父親はひどくは怒らず、むしろすっきりした顔で少しの沈黙の後こう言った。
「おこらない。その代わり、おまえがこれに何かつめるんだ。お父さんの甲子園の土に代わるものをつめてみせてくれ」
僕のガラスびんは、まだ空のままだ。

https://ameblo.jp/smileandtears/entry-10124040756.html より引用

どうして父親が怒らなかったのかということが授業でのテーマになるらしいのですが、
個人的な意見だと、お父様も過去の栄光の中にすがるより「今」という時間をどう過ごすのかが大切だとうすうす気づいていたのではと思います。

それより、今日は「自分だったら何を今ガラスの小瓶につめるのか」ということをちょっと考えたいです。
僕が本当に詰めたいものは、大切な人たちとの思い出ですがなかなか形となっているものはない。
陸上のスパイクであったり、好きな女の子からもらったチョコレートの箱だったりするのかな。

でも、なんかそれを入れてしまうと自分の中で最高地点を決めてしまっている気がして、、、
なので、自分は「空」のままでまだいいのかなとも思います。

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これからもっと素敵な出会いがあるのかもしれない。
結婚指輪や登記申請書だったりまだ自分が予期していないものを入れる可能性は十分にある。

まだまだ自分の人生はこれから面白いものになりそうだ。
そんなことを考えた何気ない朝でございます。

今日も素敵な一日になりますように、いってらっしゃい

なおつぐ


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