月を割るにもコツがいる
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月を割るにもコツがいる

TheBottle



はいどうもー。めんどくさいので早速本題に入る。今回は、少し前に話したこれの補足説明です。



これ読んで月を手軽に割ることができると誤解しちゃった人がいるかもしれないけど、そんなわけない。月割るのはすげえ難しいに決まってる。なのにもし誤解した人がいたとしたら、完全に俺の書き方が悪かったせいなので申し訳ない。申し訳ないので補足説明することにした。

つまりこういうことだ。クライマックスを盛り上げようと思って色々工夫した結果、派手な驚きのイベントが起こり主人公は大活躍して痛快にラスボスをぶちのめすラストを書いたのに、なぜか読者の受けがあんまり良くない……ということは結構頻繁に起こる。映画でも最近はCGでいくらでも派手なアクションシーンを盛ることができるけど、派手なアクション連続の映画でも、面白い映画とつまんない映画ははっきりと分かれる。同じような派手なクライマックスを用意してもそれが面白いか、それとも派手なクライマックスの割にはつまんないと言われるか、その分かれ目は一体どこにあるのか? っていうのが今回の話。

結論から言うと、「ストーリーの進展につれて主人公の内面が変化し、最終的に主人公の真の姿が明らかになる」っていうストーリーラインの本質をきちんと配慮してストーリーとかプロットとかを組み立ててるかどうかが、面白いか面白くないかを決定づける。



「ストーリーの進展につれて主人公の内面が変化し、最終的に主人公の真の姿が明らかになる」とか言われても、普通は「そんな抽象的なこと言われても訳わかんねえし、なんか奥深そうなこと言って威張る芸術気取りかよ」みたいな反応が返ってくるのはまあ仕方ないし、上記の本でもロバート・マッキー大先生はここの肝心のところ、つまり、ストーリーラインの本質がどうして面白さに結びつくのかっていうメカニクスの部分をあんまりわかりやすく説明してくれてない。言っておくけど、ここのメカニクスの部分は芸術気取りか真のパルプかに関係なく重要だ。だからその証拠に俺は今回、真のパルプでありエイティーズ映画の燦然と輝く金字塔である『エイリアン2』を例にして説明する。

……みんな、エイリアン2は観たことあるよね?


プロットとストーリーの区別は意識しろ


This time it's war.(今度は戦争だ)


(あらすじ)前作『エイリアン』でエイリアンに襲われた宇宙船ノストロモ号の最後の生き残りとなったリプリーは脱出カプセルの中で冷凍睡眠状態のまま宇宙を漂流していたが偶然救助された。宇宙ステーションで治療を受けて目覚めた彼女は、自らが57年間も眠っていたこと、そしてその間に既に一人娘が死去していたことを知る。やがてリプリーは倉庫でパワーローダー作業員として働き始めるが、ある日、とある植民惑星とステーションとの連絡が途絶えたという話が伝わってくる。その惑星こそ、かつてノストロモ号の乗組員が上陸しエイリアンの卵を発見したLV-426だった……


……ってなんかめんどくさくなってきたので終盤まで話を端折る。だいたいこうだ。「LV-426にはエイリアンがいる」っていうリプリーの話は全然信じてもらえないが、一応何か危険があるかもしれないってことでいかにも強そうな宇宙海兵隊が派遣されることになり、リプリーも同行を求められた。宇宙海兵隊のやつらは格好いいパルスライフルとかスマートガンとかで完全武装してるので当たり前だが素手で丸腰のエイリアンに負けるはずがないと思って完全に舐めくさってるのでLV-426に格好いい降下艇(ドロップシップ)で格好よく着陸してエイリアンの巣に迷い込むと、案の定あっという間にエイリアンの群れにアンブッシュされて惨殺、部隊は壊滅状態に……発見できた入植者の生き残りはニュートという奇妙なあだ名のちびっ子ただ一人……海兵隊のやつですら弱音を吐く中、ニュートと出会ったことで母親の危険な本能が蘇ったリプリーは一同を鼓舞し、リプリーをはじめとするわずかな生き残りはバリケードを築いて立てこもることに……だがこの状況で邪悪なるウェイランド湯谷の陰謀が発覚……しかも核ジェネレーター暴走爆発のタイムリミットが迫る……!


……っていうところで、映画史に残る凄いクライマックスシークエンスが開始される。プロットだけ抜き出すとこんなかんじだ。


1 刻一刻と状況が緊迫の度を増す中、とうとうエイリアンの群れがバリケードを突破、リプリーたちはドロップシップとのランデブーポイントを目指して決死の脱出を開始する。エイリアンの群れが追いすがる中、海兵隊員ハドソンはマザーファッカー連呼死し、奮戦の甲斐なくエイリアンに追い詰められた超格好いいバスケス姐さんは最後に男を見せたヘタレ中尉と共に自爆、その爆発の余波でリプリーとはぐれてしまったニュートは生きたままエイリアンの巣に連れ去られてしまう。その上、実はカイル・コナーなので超頼れるドウェイン・ヒックス伍長まで重傷により行動不能になってしまう。

2 リプリーは重傷のヒックスと共になんとかランスヘンリクセンが呼んだドロップシップにたどり着いた。そしてリプリーはヒックスをランスヘンリクセンに託し、ニュートを救出すべく、グレネードランチャー(グレポン)付きパルスライフルと火炎放射器をダクトテープ巻きにした例の超格好いい銃を携えて単身エイリアンの巣に戻る。

3 リプリーはエイリアンの巣で間一髪のところでニュートを救出する。再び脱出しようとするリプリーたちは、そこで連続産卵を続ける巨大なエイリアンクイーンに遭遇する。だがリプリーはクイーンを睨み返す。そしてありったけのパルスライフル弾と火炎とグレポンを群生エイリアン卵とクイーンめがけて叩き込む(この時点で登場人物にも観客にもタイムリミットが来れば核ジェネレーター爆発で惑星が焼き払われていることが分かってるから、よく考えると全く必要のない過剰暴力だ)。キレたクイーンはリプリーたちを執拗に追跡、ついにはリプリーたちを追い詰めるが、そこに颯爽とランスヘンリクセンが操縦するドロップシップが現れてリプリーたちを拾う。軌道上の母船へと飛び立つドロップシップ。その背後で、ついにタイムリミットを迎えた核ジェネレーターが爆発し、LV-426は焼き払われた。

4 母船にたどり着き格納庫で安堵する一同。だがその時、突如としてランスヘンリクセンが真っ二つにされ合成人間白濁液まみれとなってしまう。クイーンもまたドロップシップにしがみついて、ここまでやってきていたのだ。もはや逃げ場なし。リプリーはパワーローダーに搭乗し、クイーンと殴り合う。戦いの末クイーンはエアロックから母船の外へと叩き出され、巻き添えで宇宙空間に吸い出されそうになったニュートを合成人間の根性を見せたランスヘンリクセンがつなぎ止めて救う。ついに平穏が訪れた。(終わり)


こんなかんじだ。ではこのプロットのどこがどうすごいのかというと、プロットだけ読んでもすごいかどうかなんて実はわからない。プロット単体は単なる出来事の羅列だからだ

どういうことか。このへんはロバート・マッキー大先生も力説してるけど、要するに出来事は、何らかの意味が与えられなければ単なる事件だ。出来事を羅列するだけでは、観客や読者から「で、それに何の意味があんの?」っていうような反応が返ってくるだけだ。だからあなたは、どんなに凄い驚くべきイベントを考え出したとしても、ただそれだけで止まることなく、その出来事に「意味」を与えないといけない。その出来事が主人公やその仲間とかにとってどういう意味を持つのかっていう観点からの意味をだ。プロットにそういう「意味」が加わることで、はじめて話が「ストーリー」としての形を成す。んで、プロットに「意味」を与えるのが、「ストーリーの進展につれて主人公の内面が変化し、最終的に主人公の真の姿が明らかになる」っていう本質をきちんと備えたストーリーライン、言い換えれば主人公の繊細な内面の変化の過程なのだ。そういうふうに意味を与えられたストーリーとなって、はじめて面白いかどうかの判断がつく。

だからもし、「新作のプロットを見せろ」みたいなことを言ってくる編集者に遭遇することがあったら、その編集者とは接触を断ったほうがいい。そいつは間違いなくストーリーテリングについて真剣に考えたことがない無能だ。


ストーリーラインの本質がストーリーを盛り上げる仕組み


これはすぐ後で話す実例をみてもらったほうが早いんだけど、要するにこういうことだ。話の中での出来事は、必ず主人公にとって何らかの意味がある出来事のはずだ。そうでなければ意味の無い出来事ということになり、脚本から削るべきことになる。んで、主人公にとってなんらかの意味がある出来事は、たとえ小さくても、主人公の意識とかに何らかの影響を及ぼすはずだ。そういう主人公への影響や内面の変化があってこそ、出来事の連なりは単なるプロットではなく意味のあるストーリーになるのだ。

そしてそういう主人公の内面の部分は、主人公が下す決断やアクションを通じて語られないといけない。いちいち主人公が自分の感情を言葉で説明するセリフを発したり泣きわめいて見せるなどということは不要どころか有害だ。そんなのはパルプじゃないし、どっちかというと典型的な駄作だ。

では、このあたりが『エイリアン2』ではどうなってるか。以下、さっきのプロットに、主人公への影響や心の声や内面の変化みたいな部分を太字で書き加えると、こんな感じになる。


1 刻一刻と状況が緊迫の度を増す中、とうとうエイリアンの群れがバリケードを突破、リプリーたちはドロップシップとのランデブーポイントを目指して決死の脱出を開始する。「二度と娘を失わない!」 エイリアンの群れが追いすがる中、海兵隊員ハドソンはマザーファッカー連呼死し、奮戦の甲斐なくエイリアンに追い詰められた超格好いいバスケス姐さんは最後に男を見せたヘタレ中尉と共に自爆、その爆発の余波でリプリーとはぐれてしまったニュートは生きたままエイリアンの巣に連れ去られてしまう。リプリーはこの上ない後悔と無念に襲われる。その上、実はカイル・コナーであり超頼れるドウェイン・ヒックス伍長まで重傷により行動不能になってしまう。「もう頼れるのは自分だけだ……!」

2 リプリーは重傷のヒックスと共になんとかランスヘンリクセンが呼んだドロップシップにたどり着いた。しかしニュートを残して脱出することは出来ない。さりとてニュートを救うためにはエイリアンの巣に戻る必要がある。深刻なジレンマに直面するリプリー。だがリプリーは迷いを捨て、ただ一人エイリアンに立ち向かうことを決意する。戦士リプリーの覚醒が始まる……! そしてリプリーはヒックスをランスヘンリクセンに託し、ニュートを救出すべく、グレネードランチャー(グレポン)付きパルスライフルと火炎放射器をダクトテープ巻きにした例の超格好いい銃を携えて単身エイリアンの巣に戻る。

3 リプリーはエイリアンの巣で間一髪のところでニュートを救出する。「ニュート……無事でよかった……!」再び脱出しようとするリプリーたちは、そこで連続産卵を続ける巨大なエイリアンクイーンに遭遇する。だがリプリーはクイーンを睨み返す。「お返しだ! 母親を舐めるな!」そしてありったけのパルスライフル弾と火炎とグレポンを群生エイリアン卵とクイーンめがけて叩き込む(この時点で登場人物にも観客にもタイムリミットが来れば核ジェネレーター爆発で惑星が焼き払われていることが分かってるから、よく考えると全く必要のない過剰暴力だ。だが観客はリプリーに感情移入した末に溜まりに溜まった怒りをついにばくはつさせてリプリーと共にエキサイトしているので気付かない)。キレたクイーンはリプリーたちを執拗に追跡、ついにはリプリーたちを追い詰めるが、そこに颯爽とランスヘンリクセンが操縦するドロップシップが現れてリプリーたちを拾う。「ビショップ……まさか本当に待っていてくれたなんて……」軌道上の母船へと飛び立つドロップシップ。その背後で、ついにタイムリミットを迎えた核ジェネレーターが爆発し、LV-426は焼き払われた。やったぜ!

4 母船にたどり着き格納庫で安堵する一同。だがその時、突如としてランスヘンリクセンが真っ二つにされ合成人間白濁液まみれとなってしまう。クイーンもまたドロップシップにしがみついて、ここまでやってきていたのだ。もはや逃げ場なし。もう諦めるしかないのか? だがリプリーは最大の危機を前に、最後の、そして最大の決断を下す。「私は諦めない……私はもう、逃げない……!」リプリーの下した決断とは初代エイリアンと今作を通じて未だかつて誰も下したことのない決断、すなわち「エイリアン相手に逃げずに、真っ正面から殴り合う」という決断だったのだ! ジェームズ・キャメロンよ、貴様正気か!? そんなことをすればエイリアンが「遭遇しても逃げずに殴って倒すもの」扱いになってしまうぞ! シリーズのおやくそくが台無しだ! シリーズ続行が難しくなる! だが真の男であるジェームズ・キャメロンもまた、迷うことなくけつだんした……真の最終バトル、宇宙最強母親頂上決戦の開幕だ! こうしてリプリーすら知らなかった彼女の真の姿、すなわち「母として、娘のためならエイリアンクイーン相手でも逃げずにぶん殴る最強戦士リプリー」の姿が明らかとなるのだ(この時点で以降のシリーズは駄作になる運命が確定した)。 リプリーはパワーローダーに搭乗し、クイーンと殴り合う。戦いの末クイーンはエアロックから母船の外へと叩き出され、巻き添えで宇宙空間に吸い出されそうになったニュートを合成人間の根性を見せたランスヘンリクセンがつなぎ止めて救う。リプリーとランスヘンリクセンはお互いを理解し、「合成人間を信用できないリプリー」のサブストーリーラインに決着がつく。リプリーとニュートとの間の「真の母親とは何か」のサブストーリーラインにも決着がつく。そして何より、初代エイリアンから引き継いだ「エイリアンから逃げ続けるリプリー」が完全に克服され、リプリーが自らの決断を通じて真の姿を現すことにより、初代エイリアンから続くメインストーリーラインが決着した。ついに平穏が訪れた。(終わり)



ね? 出来事が主人公に与える影響と主人公の内面の変化によって劇中の出来事の意味も一目瞭然になって、こいつはすげえ面白いストーリーだ! って誰でもわかるようになったでしょ?

それで繰り返しになるけど、太字にしたリプリーの心情や内面の変化とかリプリーの真の姿みたいなのは、全部リプリーのアクションとか選択とか決断を通じて語られてて、太字部分をいちいち言葉で説明するセリフとかは劇中には一切ない。それでも観客にはばっちり伝わる。「ストーリーの進展につれて主人公の内面が変化し、最終的に主人公の真の姿が明らかになる」とかなんとかいう小難しいことを全く意識していない普通の観客や読者であっても、無意識のうちにストーリーの持つ意味の部分を完全に100パー洞察する。

それとここは注意してほしいんだけど、こういうストーリーラインの部分、主人公の内面の変化の過程っていうのは、主人公に対してなんか適当に試練とかピンチとかジレンマとか与えて苦悩させたり選択させたりすればいいってもんじゃなくて、『エイリアン2』みたいな一見ベタに見える展開も、実は細心の注意をもって構築されている。

どういうことか。『エイリアン2』で主人公リプリーが決着をつけるために最後に下す決断は「逃げない」っていう決断です。この決断を通じてリプリーが完全形態になるというラストを用意するために、最終決断までのリプリーの選択や行動は全て「逃走モード」になってるわけです。物語の冒頭から、初代エイリアンを引きずってチェストバスター死する悪夢にうなされてて、頑張って前向きに倉庫で働くようになってもその行動は実は過去から逃れようとする、過去を忘れたいっていう意思の表れだし、終盤でリプリーがニュート救出に向かうことを決断するのも、一人でエイリアンの巣に戻るっていう勇気に基づく決断であってもなお、「ニュートを残したままでは逃げられないから、逃げるために救出に向かう」っていう点で逃走モードが続いてるんです。

んで大詰めラスト、クイーンが母船にまでついてきてもはや逃げ場なし! っていう場面でも実はリプリーは逃走モードを続けることも出来た。つまりは諦めてあの世に逃避という選択だ。ここまで追い詰められたら誰もそのことを責められない。だがリプリーは決断した。そしてクイーンをなぐった。

そして、このことを考えてみてください。リプリーのラストの決断、あれだけを抜き出して冷静にみると「エイリアンを殴って倒す」っていうどうしようもなく馬鹿げた展開でもあるんですよ。全く『エイリアン2』の内容を知らずに初見で見始めた人は、まさか最後にリプリーがエイリアンを殴って倒すラストが待ってるなんて想像もつかいないし、そもそもリプリーがエイリアンを殴って倒すみたいな内容を事前に期待する客なんか公開当時は誰もいなかったはずです。

だけどジェームズ・キャメロンはけつだんして、リプリーはクイーンをなぐった。そしたら観客は涙をながして感動した。「エイリアンを殴って倒す」展開が実際には驚きと感動の展開だったからだ。そうさせたのは、つまりストーリーラインの本質がもたらす力だ。人がパルプを求めてやまないゆえんだ。



……ってこんだけ俺が説明してるのに、いるんですよ、「テメーが何を言おうと、主人公の葛藤とか真の姿とか無駄に難しくてクソだせえし、そんなのパルプにはいらねえよ! 最強のドウェイン・ジョンソンがエイリアン相手に無双すれば客は喜ぶんだからそれで十分だろ! 小難しいこと言ってる奴は帰れ帰れ!」みたいなことを俺に言ってくる、業界で偉そうな顔してるやつが。本当にこういうやつが日本の芸能界みたいなのに旧態依然としてのさばってるんで俺はマジでうんざりしてるけど、俺は親切だから、そういう糞プロデューサーの要望通りにドウェイン・ヒックス伍長が宇宙海兵隊最強の戦士ドウェイン・ジョンソンに差し替えられてロック様無双をしたら、『エイリアン2』がプロットはほとんど同じでもストーリーはどんだけ変わるかについて実例をあげて説明してやる。


ロック様無双! ドウェイン・ジョンソン主演でリメイクした『エイリアン2』のクライマックス!


1 刻一刻と状況が緊迫の度を増す中、とうとうエイリアンの群れがバリケードを突破、ロック様たちはドロップシップとのランデブーポイントを目指して決死の脱出を開始する。「助かりたければ俺についてこい!」エイリアンの群れが追いすがる中、しんがりの海兵隊員ハドソンがピンチになるのでロック様は当然のようにエイリアンを殴ったり蹴ったり投げ飛ばしたりしながら助けようとするがあと一歩及ばず、ハドソンは過剰にゴアをまき散らしながらマザーファッカー連呼死する……ロック様がいるのにこの悲劇……ロック様自身この上ない後悔と無念に襲われる……だがすぐにロック様の顔に決意の表情が……「二度と仲間を失わない……!」奮戦の甲斐なくエイリアンに追い詰められた超格好いいバスケス姐さんは最後に男を見せたヘタレ中尉と共に自爆しそうになるが今度はロック様による救出が間に合う。ロック様とバスケスたちが交わす友情の視線……ロック様は自信を取り戻す。だがバスケスたちを助ける間だけニュートをリプリーに預けていたせいで、ちょっとの隙を突かれてニュートは生きたままエイリアンの巣に連れ去られてしまう。落ち込むリプリーを慰めるロック様……ロック様自身この上ない後悔と無念に襲われる……だがすぐにロック様の顔には決意の表情が……その実ロック様なので結局は無敵だ。「助かりたければ俺についてこい!」

2 ロック様は仲間たちを先導してエイリアンの死体の山を築きながらランスヘンリクセンが呼んだドロップシップにたどり着いた。だがリプリーが、ニュートを残して逃げることはできないとゴネだす……ロック様自身この上ない後悔と無念に襲われる……だがすぐにロック様の顔には決意の表情が……「俺が落とし前をつける……!」 バスケスたちも同行を申し出るがロック様は断る。ロック様とバスケスたちが交わす友情の視線……そしてロック様は出発直前にリプリーといちゃついてチューとかする……「必ず生きて帰って来て。ニュートには新しいパパが必要よ……」実は念のため映画の中盤でロック様、リプリー、ニュートの3人で疑似家族っぽいことをする交流シークエンスをやっていて、ロック様とリプリーの仲が既に良い感じになってたから、これくらいでも取り敢えず女性観客向けに入れておいた恋愛要素サブストーリーラインを回収できたぜ。俺って天才脚本家じゃね? こうして映画に求められる要素をちゃんと満遍なくクリアしたロック様はニュートを救出すべく、グレネードランチャー(グレポン)付きパルスライフルと火炎放射器をダクトテープ巻きにした例の超格好いい銃を携えて単身エイリアンの巣に戻る。

3 ロック様はエイリアンの巣で間一髪のところでニュートを救出する。「助けに来たぜ! もう安心だ!」再び脱出しようとするロック様たちは、そこで連続産卵を続ける巨大なエイリアンクイーンに遭遇する。だがロック様はクイーンを睨み返す。「お前がラスボスか! これを喰らいな!」そしてありったけのパルスライフル弾と火炎とグレポンを群生エイリアン卵とクイーンめがけて叩き込む(この時点で登場人物にも観客にもタイムリミットが来れば核ジェネレーター爆発で惑星が焼き払われていることが分かってるから、よく考えると全く必要のない過剰暴力だ。観客も、なぜ今になってクイーンが出てきたり、ロック様が中途半端に手を出すだけでクイーンにとどめを刺さないのかが腑に落ちない)。キレたクイーンはロック様たちを執拗に追跡、ついにはロック様たちを追い詰めるが、そこに颯爽とランスヘンリクセンが操縦するドロップシップが現れてロック様たちを拾う。「ビショップ! 俺はお前を信じてたぜ!」ロック様の笑顔に答えて手を振るランスヘンリクセンの微笑みはどこか卑屈だ。軌道上の母船へと飛び立つドロップシップ。その背後で、ついにタイムリミットを迎えた核ジェネレーターが爆発し、LV-426は焼き払われた。お約束だよな!

4 母船にたどり着き格納庫で安堵する一同。ロック様のおかげで生存者も増えた。バスケスと中尉がロック様に感謝の目線を送りながらも、ここぞとばかりに背景でいちゃついたりする。だが、突如としてランスヘンリクセンが真っ二つにされ合成人間白濁液まみれとなってしまう。クイーンもまたドロップシップにしがみついて、ここまでやってきていたのだ。もはや逃げ場なし。クイーンに会った時に殺しとけばこんなことにはならなかったのに……ロック様自身この上ない後悔と無念に襲われる……もう諦めるしかないのか? その時、観客の一人が決然と立ち上がり、スクリーンに向かって絶叫! 「どんだけ同じ展開を引っ張るつもりだこのバカヤロー!」


……っていうふうにね、このあたりになるころには観客は絶対にキレます。オリジナル版と違って、クイーンが母船まで追っかけてくる展開はもう完全に無意味な蛇足になっちゃってるからです。んで、キレる観客をよそにロック様が腕力でクイーンをエアロックから叩き出した後、ニュートを助ける大手柄を立てた白濁液まみれのランスヘンリクセンに向かって「合成人間にしてはやるじゃねえか!」みたいなことを言うシーンに至っては、監督とかプロデューサーとか脚本家が「合成人間にも平等に接するロック様……ポリティカリーコレクト的に正しい! ダイバーシティ!」みたいに得意げになったところで、観客の反応は失笑するか呆れるかのどっちかでしょう。

正直、これが面白いかつまんないかでいうと、ミニマルなブレイクビーツが繰り返し決まるせいで書いてる途中で自分でも笑えてきたんだけど、これが笑い話で済むのは要約したのをテキストで読んでいるからであって、もしこれが実際に映画になって劇場で観るとしたら、ちょっとした地獄体験になるんじゃないでしょうか。

まあ以上のとおり、同じプロットを使用した場合でも、さっきから繰り返してるストーリーラインの本質ってやつにちゃんと配慮するかそれとも軽んじるかだけで、ストーリーの面白さが全然違ってくる。内面描写の上っ面をなでただけの脚本では、プロットを構成する出来事に何らの意味も与えられないから、意味あるストーリーが生み出されもしないんですよ。プロデューサーとか脚本家とかが、「ロック様が無双すれば客は喜ぶんだからそれで十分」みたいに客を見下して、パルプなんだから作る側も難しいこと考える必要ないみたいな言い訳をしてちっとも頭を使おうともしないから、ロック様無双で面白いストーリーを作る方がかえって難しい面があるってことにすら気付かない。結果、こういう典型的な駄作になる。

あっちなみに、ストーリーラインの本質が「ストーリーの進展につれて主人公の内面が変化し、最終的に主人公の真の姿が明らかになる」っていうのは主人公が一人の時の話で、バディものとかグループものとかカップルものとかになると話は変わってくる。バディものならストーリーラインの本質は「ストーリーの進展につれて主人公二人の関係性が変化し、最終的に真のバディの絆が明らかになる」みたいな感じで。

だからロック様無双で面白いストーリーにしようと思ったら、バディものやグループものが第一選択になるでしょう。実際、去年公開された『ランペイジ』は、正直クソ映画観るつもりで観に行ったら、当然のようにゴリラと交流して無双するロック様と怪獣化するゴリラの絆に焦点を当てたメインストーリーラインが思いのほか良く出来てて予想外に面白くてびっくりした。こういうストーリーラインの中で「ロック様最強伝説あるある」みたいなネタを半分ギャグに使いながらも、最後は敵巨大怪獣との決戦が熱く盛り上がるっていう快作だから、是非観てほしいです。Netflixでもみれるよ。


どうだ。まだ俺に文句を言うやつはいるか? いたとしても、「自分が難しい話を本で読んだからって偉そうに……」みたいな陰口をたたくやつだけだろう。そういうやつがもしいたとしたら、いいか、かんちがいするな。

俺はさっきから、あなたが内に秘めた野生の本能の話しかしていない。


「パルプとは、人の生きることだ」(逆噴射聡一郎)


俺はパルプについて語っているので、つまりは人間の本能、内なる野生の本能について語ってるんです。いいですか。このことを忘れないでください。

人間っていうのは悲しいことに、本能的に、あらゆることに意味を求めずにはいられない。自分が、人が、世界が、何の意味もなくただそこにあるっていうことに人間の精神は耐えられない。だから本能が求めるがままに、世界に何らかの意味を持たせる解釈をするようになって、やがてそれが神話体系の形になったり宗教になったりしたし、あるいはよくわからない現象を妖怪の仕業ってことにしたりした。そういうのはどれもこれも、意味を求める人間の本能が、何らかの意味ある形になるように自分や世界を解釈することを通じて生まれたフィクションなんです。それは決して、迷信扱いして見下すべきもんじゃない。

そういう本能があるから、人間は何千年も前から叙事詩とか悲劇とか小説とか映画とか、はたまた血液型占いや星座占いや今日のラッキーカラーみたいなものに至るまで、とにかくしきりにフィクションを求めてやまない。世の中毎日世界中でフィクションよりも奇なりみたいに言われる事件が起こるけど、そういう事件であっても、意味を付与されない単なる事件はどんなにでかくてびっくりするものでも、フィクションを代替できないんですよ。

だからあなたが本当に真剣に創作するなら、読者が本能で求めるものを、気取ったものでも美しく飾り付けたものでも高尚なものでもなんでもない、意味ある何かを届けるべきだ。俺はパルプをそういうものだと理解してる。だから斜に構えたやつが何を言ってこようと、俺はストーリーラインの本質についてきちんと考えて創作することがパルプには必要だと思ってます。


月を割るのが難しいのは仕方ない


以上のように、盛り上がるクライマックスにはでかい事件だけでなく、その事件が主人公にとって持つ意味とかの、主人公の内面の変化に繊細な注意を払った、本質的な意味でのストーリーラインが必要です。要するに、主人公の最も困難な決断を通じて主人公がトゥルーフォームに覚醒することにより、話に決着をつける。そうすれば観客は大喜びだ。

で、そういうコツがわかってれば即座に月を割れるかというと、正直そんなことは全然ない。プロットとストーリーラインががっちり噛み合えば、時にそのパルプは神話の高みにまで登るんだから当然だ。実際『エイリアン2』は神話になったので3とか4はなかったことにされるとともに、リプリーはサラ・コナーやフュリオサ大隊長たちと並び立つ最強戦士の代名詞となり全世界で今なお信仰の対象となっているのは知ってのとおりだ。俺らの部内でもリプリーを狂信してるやつがいたりして正直うざい。

だからプロットとストーリーラインをがっちりかみ合わせて話を盛り上げるのはすげえ難しい。死ぬほど難しい。PROでも難しい。場合によっては何ヶ月も床に転がって苦悶し七転八倒しながら考えに考え抜くとかの苦しみを覚悟する必要がある。PROはその重要性も苦しみも知ってるので、どうしてもストーリーラインの本質に忠実なストーリーを諦めて小手先のテクニックでなんとかしようとする誘惑に駆られる。エヴァンゲリオンなんかTVシリーズのラストで少年は全然神話にならなかったし、旧劇場版を何本か作ってもなお、全然少年は神話にならなかった。俺はもう新劇場版には期待してない。

こういうふうに、真のパルプを生み出すのは結局苦しい。冗談抜きでメキシコの荒野を彷徨う覚悟が、本当に必要なんだ。だけど覚悟を決めて挑み続けるしかない。いいか、決して諦めるな。

それじゃ、またねー



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