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本当の自分問題

私たちはBeatsです

私たちは感情を音楽を通じて分かちあう
ソーシャルミュージックアプリBeatsというサービスを作っています。

このノートでは
僕たちのサービスのことを知ってもらう
というよりは、このサービスの根幹として提供したい
自分の体験を見つめて内省する、という活動を
僕たちがより深めていくために
自分達の恥を”書き捨て”昇華していくようなことができたらと思っています。

お前のおれを教えてくれ

先日、本屋でフラフラしていると「お前のおれを教えてくれ」という本を見つけました。
このタイトル、ズドンときました。

特にそれで本を買うとか、パラパラ読んでみるとかは結局していないのですが(してないのか)
ズドンときたのは、おれ、という存在が唯一絶対の一つの存在ではなくて、
お前の中のおれと、おれの中のおれと、あなたの中、君の中にあるおれはそれぞれ違うものなんだ、
ということをこのタイトルが示してくれ、ハッとしたからです。

「コンビニ人間」で芥川賞を取った村田沙耶香さんの「孵化」という短編が好きなのですが、
その話は小・中(委員長)、高(天然)、大学(姫)、バイト(男勝り)、社会人(ミステリアス)と
「周囲の人々が望む自分」を演じるうちに、コミュニティによって極端にキャラが違ってしまった女の子が、
結婚式にそれぞれの友人を招いたはいいものの、
どのキャラでいくのか、混ぜるな危険のピンチに陥る話です。

ここまで極端でないにせよ、誰しもがいろいろなコミュニティに合わせた自分がいるし、
そのどれが自分なのか、いやどれもが自分であって、
あなたにとってのわたし、は私とは全く別人とも言えるような人間であることもありうるわけです。

わたしの中にかみを見る

「本当の私を見て欲しい!」と声高に主張したり、
恋人から「もっと中身を見て欲しい!」と言われたり。
そんな甘酸っぱくも苦い記憶が僕にもありますが、
その、本当のわたしはどこにあるんだろう。

ここで言っていた、本当の自分には
きっとコミュニティによって使い分ける自分のキャラクターや
その時々のいらいらしたり、弱っている自分ではない、
それらの先にある自分の芯のようなものを見て欲しい
という思いが乗っていたんでしょう。

普段演じているキャラクターだとか感情のような表層にまとったものをはいでいって
その先に残るピュアな自分を見て欲しい、と。

神社にはよく鏡がおいてあります。
「これは神(かみ)の中に我(が)をみる、ということなんだよ」と教えてくれたのは天孫降臨の二上神社の巫女さんでした。

鏡に映る自分を見つめるうちに何を見ているのかわからなくなって
鏡に吸い込まれていく感覚がそれに近いのかもしれません。

鏡を通じてみる自分、おまえを通してみるおれ、
本当の自分、というのはなかなかに捕まえるのが難しい存在です。

おれのおれがみつからない

さまざまな要素が絡み合って浮かんでくる日々の悲喜交々と、
場から要請される空気を感じ取ってまとういろいろなキャラクターと
「お前のおれ」はいろいろとお化粧されていて、
きっとそれがわかることはなくて
おれのおれが本当のわたしとも限らない。
というかおれのおれが見つからない。

おれのおれを知るために、まず
お前のおれを教えてくれ

きっとあの本の内容とは遠く離れているけれど、
僕は僕のために、お前のおれを知りたいです。

#振り返りnote  
#多様性を考える
#私は私のここが好き


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