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Tears of The Baddest Man on the Planet. 第三章

一週間後2人は相手側の家の前で、
俺は念の為にと思い、長ドスを取りに行った先で人相の悪い刑事さんにハイ御用

警察の門をくぐると出るわ出るわと、今までの悪事をまとめて用意してくれておった。

俺達は恐喝に傷害に銃刀法違反7つも8つも札が迎えてくれました。 そして3人共に刑を受け
俺は組に入った矢先の出来事でありました


鹿児島刑務所は
初入獄と呼ぶに相応しい場所だった
築百年明治年間に建てられた石造りのドイツ監獄

石・石・石・何処から集めて来たのだ此の石は

刑務官が誇らしげに言った
『此の石は全部繋げたら北九州の門司まで行ってまだ100キロメートル位余る』と、言う話しだ

設計も良く出来たもので、左手を下向きに広げた形、手首に当たる中央に居たら5本の舎房全部が見渡せる様に出来ていた

1本の舎房の長さは150メートルも200メートルもあろうか、ゾッとする監獄だった

雑居房の便所は蓋のない桶樽、 その上側に洗面所
窓は手の届かない遥か上側に小さな窓が付いておった。


俺は初犯刑務所で3つ忘れられない体験を味わった。

1つ目は刑務官と殴り合いをして罪は増えなかったけれどその代わりに集団リンチを受けた。
それは仕方がない事だ・・・

忘れられないのは食事である。 3日間9食犬でもあるまいに目の前に見せるだけのお預けをさせた

1日目はこんな仕打ちまでするのかと悔しさに泣くに泣けた。 2日目は慣れた。 3日目は耐えた。

ここの話は勿論、今から詳しく書くがここの体験がチンピラから大人への始まりだったのだ、
反骨精神の男の出来あがりだ。


2つ目は囚人との喧嘩の結果、相手の右目を失明させた事だ

結果的に正当防衛になり刑も増えなかったけれど苦い思い出となった・・・


3つ目は一生ヤクザで生きようと決意し顔面に刺青を入れた事だ。


いよいよ出獄の日、指を詰める決意も固め実行したのだった

当時の鹿児島刑務所は26歳以下の再犯刑務所になっていて九州8県の再犯者及びヤクザ者600名が収容させていた

その中に初犯でもヤクザは初犯刑務所には送られず、いきなり再犯刑務所に入れられるのだ

まあ、九州一帯の悪ガキが一同に集められた中で十九歳・二十歳の若者も何人か居たからその年若の者から見たら

二十五歳・二十六歳の兄ちゃん達はすっごく大人に見えたものだ。

しかも両肩に刺青を入れた指の欠けた福岡県とか熊本県のガラの悪い都会から来ている者は特にいっぱしのヤクザ者に見えた

又、その通り気性も荒く怖いもの知らずだった。片田舎の俺は井戸の中の蛙だったのだ
それは紛れもない事実だった・・・

そんな工場の中で福岡県の田川市出身のヤクザ者が居た、修ちゃんだ。

田川市といえば炭坑の街、有名な築豊地方と呼ばれる命知らずの炭坑夫の居る中で育って来たヤクザ者は俺とは気性が違った

修ちゃんは俺より4歳年長の両肩に綺麗な刺青を入れていた。 俺には優しくて板ちゃんと読んでくれていた

と言うのも仕事が碁板の足を作るのが俺の仕事、ロクロ作業だ

修ちゃんは碁板の線を引く作業をしていて俺の作った足がきちんと合うか担当さんの許可を受けてから

修ちゃんの作業場へちょいちょい顔を出していたのだった。

工場の担当さんは俺の街、国分市から通勤しているらしく俺にはとても良く面倒を見てくれているのだった

そこに巡回の警備隊の職員が巡回に回って来て俺と目が合った。目が合っただけでよそ見していたと思われるのに

俺も態度が悪かったのだろう。又、その職員も威張り散らす悪い職員だった。

警備隊といえば威張ってないと囚人が皆んな悪ガキだから仕方もなかろう

その職員はここの件で霧島の山の中にある刑務所の支所、霧島農場に飛ばされるのだけれど

霧島農場では仏の職員になったとの噂を聞いた

都会の鹿児島から霧島の山の中の農場に転勤になれば、奥さんも子供の学校の事も身にしみて辛い思いを味わったかもしれない

でなければ仏の職員と呼ばれるはずが無い

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