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健康(だと思っていた)日々の終わり

2020年7月22日 水曜日 大荒れ

一人で聞こうかとも思ったけれど、母も心配しているであろうこと、主治医が一人ではないほうが良いと言っていたことから、母に来てもらうことにした。
一人暮らしをしているけれど、実家も1時間強で帰れる距離。病院で待ち合わせた。

待ち時間に遺伝子検査の話をした。
ちょうどこの年の春からBRCA遺伝子検査の健康保険が適用になり、少し前に母は主治医から案内を受け、検査中だった。
(母は術後10年目に骨転移、今も治療を続けている)
私は黒だったら受ける、白だったら受けず、母の結果も聞かないでおこうと思っていた。
既に半年に一度検査を受けている。MRIはNG。そうなると+だった場合、これからできることは予防切除しかない。
何も発症していない状態での予防切除はまだ考えられなかった。覚悟ができてからにしようと思った。

そうこうしているうちに呼ばれた。

 
「悪いものが出ちゃったんだよね」

 
ガビーンガビーンガビーン

 
母の悲しいため息が聞こえた。

 
主治医は画像ではリンパ節への転移は見られないことなど、悪い結果ながらも良い面を説明して、前向きに治療をという流れで話していたと思う。

かかりつけ医での検査にひっかかった時ほど脳内パニックにはならなかったけれど

手術したら終わりですか?

と聞いてしまった。
母の治療を見ていて、手術後が長いことを知っていたのに、、、

一通りの標準治療を説明された。
術前の抗がん剤は不要なこと、まずは手術。

BRCA遺伝子検査の話もされた。対象者の条件に当てはまるとのこと。
黒だった場合は受けると決めていたので、受ける意思を伝える。

腫瘍の状態としては部分切除可能だが、遺伝子検査が+の場合は全摘を勧めること、同時に健側の予防切除も可能との説明。卵巣の同時切除も可能そうだった。

母は身を乗り出して、+のときは全部取っちゃってくださいと言っていて、主治医がちょっと困ってご本人の意思が、、、と言っていた。

術前検査含め、今後の検査の予約。
多くの方は、MRIやCTなどの追加検査も受けるのだと思う。

私のMRI造影剤アレルギーは、数日後に手足に湿疹ができたという比較的軽いもの。
主治医曰く、それくらいなら受けてみても良いけど、、、
最終的には画像でしっかり見えているということで見送ることに。
 
私も受けないのは不安だけれど、もしひどいアレルギーが出て治療が遅れたらと思うと、受けないことで納得。

  
初診のときは目に入っていなかったが、この日、この病院の電子カルテが私が以前勤務していた病院のものと同じことに気づいた。
最後にカルテを入力する主治医に、〇社の電子カルテですね、前に働いていた病院でも同じシリーズ使っていました、と思わず言ってしまった。

告知の後に何を言い出すのかと思われただろう、少し驚いた顔でこちらを見ながら

「電子カルテもどこのがいいのかわからないよねぇ」

と言っていた。

気が触れたわけではない、この日は奈落の底に落ちた感があるながらも、不思議な冷静さがあった。

 
病院を出たところで母が

ひどいね

と言った。

私はこの日は帰りも涙が出ることはなかったが、母は泣きそうだった。
その姿を見るのが辛かった。

翌日から4連休だったので、私も実家に帰った。
この日も帰ったら空腹を覚えた。
がんの告知日にも食欲がなくならない、我ながらあっぱれな自分だった。

診断。
この病院では生検の段階では、Ki67やHER2などはわからなかった。
術後の病理がすべてという感じだった(実際、術後の結果は少し違かった)。

ステージ1
粘液癌
ER+

腫瘍は超音波のみに写っていて、マンモには写っていない。
あると思って見ればここにうっすらある気もすると主治医は言っていた、私にはよくわからなかった。

健康(だと思っていた)日々に終わりを告げた。

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