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子どもが産まれるということ② - 1%の話

前回の記事はこちら(受け入れがたい現実)


前回の検診の結果を受けて、僕も真剣に妊活について考えるようになった。
焦りが出てきたのである。

不妊治療の流れについて、自分なりに勉強した。
人工授精?体外受精?と違いをよくわかっていなかったが、
手法、費用で大きな違いがあるのがわかった。
以下、僕なりの解釈でまとめてみた。

【不妊治療の流れ】

Step1. 基本検査

男女共に検査をして、治療方針を決定する。
必要に応じて、妊娠しやすいように薬などをもらう。
費用は数万円。

Step2. タイミング法(3か月~6か月トライ)
基礎体温などで排卵日を推定し、そのタイミングで子作りを行う。
病院に行って、より詳細な排卵日について医師に診てもらう。

Step3. 人工授精(3か月~6ヶ月トライ)
排卵のタイミングに合わせて精液を子宮の中に送り込む方法。
精液は元気な精子だけを集めて、不純物を取り除いた状態にする。
男性が精液を提出し、スポイトで女性の子宮に調整済みの精子を入れる。
費用は病院によって異なり2万円~5万円。

Step4. 体外受精
人工授精は女性の子宮に精子を入れるものであったが、体外受精は精子と卵子を取り出して、体外で受精させて受精卵を子宮に戻す。
体外受精による妊娠は20%~30%であるが、流産率は自然妊娠の倍の20%~25%である。
費用は人工授精の10倍で20万~50万円。


上記に記載の通り、体外受精までいくと一回で20万~50万円が必要になる。経済的に体外受精までいくと厳しい。妻とは人工授精までやって無理なら諦めるべきか話し合ったりした。


最初の検査で、僕は奇形精子だとわかり、妻は甲状腺の病気が見つかっていた。いろいろ問題があったが、医師曰く妊娠に向けて一番問題になってくるのは妻の年齢だという。


通常であればタイミング法から始めるが、年齢的に一か月でも早く妊娠できた方が良いので、タイミングよりも確率が高い人工授精から始めることもできるとのことだった。

僕と妻は人工授精から始めることで一致した。


いざ子作りが始まったが、問題は僕の仕事であった。
当時、僕はコンサルティングファームで働いていた。もともと毎日帰るのが遅かったが、当時、アサインされていたプロジェクトは特に過酷であった。

月曜日に東京から熊本に飛び、月曜から金曜までホテルで暮らし、金曜に熊本から東京に戻るという生活を毎週送っていた。

この生活は妊活に大いに影響をした。
妊娠しやすい日に合わせて人工授精を行わなくてはならないが、そのタイミングで熊本にいることが多かった。


こんな生活ではいつまで経っても、子どもはできそうにない。
今後のキャリアや妊活のことなどもあり、僕は転職すること決めた。

しかし、熊本往復生活の中で行う転職活動は想像以上にタイトであった。
思い出してもどっと疲れる。

運よく第一志望だった投資ファンドからオファーをもらうことができた。


オファーをもらった後にやるべきことは現職の職場に辞めること伝えることだった。
前職の辞める時もそうであったが、お世話になった上司に退職することを伝えるのが一番辛い瞬間である。

当時のプロジェクトマネージャーを、忘れもしないANAクラウンプラザホテル熊本のロビーに呼び出して、妊活を理由に退職することを伝えた。

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ありがたいことに、優しいマネージャーはすぐに理解をしてくれた。
というのもマネージャーも自分もちょうど妊活をしようか考えているとのことであった。

<後日談だが、先日、そのマネージャーと再会することができた。お互いに無事に子どもを授かることができた喜びを分かち合った。>


こうして、コンサルティングファームを約1年4か月で辞めた。
周りには早いと言われたが今でも後悔はしていない。

しばらく有給休暇が残っていたので、タイのプーケットに旅行に行ったりした。

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妊活はいつ終わるのかわからない。
妊活がきっかけで夫婦仲が不仲になり、離婚する夫婦いるそうだ。
気持ちを暗くしてはダメだ。


帰国して、新しい職場での仕事が始まった。
新しい会社は、みんな18時くらいには仕事を終えて退社する。
僕も19時に会社を出られる。

求めていた早く帰れる生活が手に入ったのであった。

そして初めての人工授精。
最初の人工授精で授かる人もいる。

妻も僕も妊娠を期待したが、しておらず落胆した。

ある日のことである。
深夜に妻がお腹が痛いと言い出した。

妻はNPOの活動でカンボジアから帰国したばかりであった。
僕は現地で何か食べて、食あたりでも起こしたのだろうと軽く考えていた。

しかし、あまりにも痛いということで、
急遽、タクシーで夜間受け入れのある病院に向かった。

聖路加国際病院という築地にある病院だった。

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妻はお腹をかばうように体を丸め、歩くのもつらそうだった。
診察で、医師から妊娠の可能性はあるか聞かれた。
「ないです」と妻は即答していた。
カンボジアで生理がきてガッカリしたと言っていた。

医者は盲腸のあたりを押している。盲腸ではないようだ。
医師は頭を傾けていた。

深夜であり、診断結果が出るのに時間がかかった。
その日は、平日で次の日も僕は仕事があるので妻を病院に置いて、家に帰って寝ることにした。

早朝、病院にいる妻から電話がかかってきた。

妻:「緊急で今日、手術をすることになった。子宮外妊娠をしてた。」

妊娠できないと思っていたが、なんと妊娠をしていたのである。
”妊娠”という言葉に少し気持ちが高まった。

しかし、子宮外?
僕はどういうことかわからなかった。

話をよく聞くと、本来は子宮で妊娠すべきであるが、
子宮ではない卵巣の近くで妊娠しているということだった。

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カンボジアで来たと思っていた生理は、不正出血というものだったらしい。

子宮外であっても妊娠しているから産めるのかと思ったら、このまま妊娠して大きくなると卵管が破綻して、出血し、ショック死で妻が命を落とす可能性があるとのことだった。
命に関わるので緊急で手術が必要とのことだった。


転職したばかりだったが、急遽、社長に休ませてほしいと連絡して、会社を休んだ。
そして、その日の午前に妻の両親と合流し、手術室に運ばれる妻を見送った。

しばらくして、手術が終わり、医師が手術結果を説明する小部屋に呼ばれた。

医師から摘出した部位を見せられた。
それは卵巣の一部であった。
残念なことに卵巣のところで妊娠をしており、卵巣を少し削ったのである。


知識がない僕でもそれが意味することはわかった。
卵巣を削るというのは卵巣機能が低下し、妊娠しにくくなる。




子宮外妊娠は妊娠全体の1%と言われている。
それがまさに起こったのであった。


妊娠・出産についてネットで調べると、検索予想ワードで、
「○○〇  確率」とよく表示される。
みんな不安になっていろいろと調べるのだと思う。
まさか、自分たちがということが意外と起こるのである。



それから二ヶ月は子作りは禁じられ、また子どもが遠のいた。


つづく



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