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子どもが産まれるということ④ - 22の壁

前回の記事はこちら(慣れ)


妊娠検査薬の正確性は99%なので、妊娠しているのは間違いなさそうだ。
だが子宮外妊娠でも妊娠反応はある。

ちゃんと子宮の中で育っているのか、病院で確認するまではわからない。
子宮外妊娠になる確率は1%だが、再発率は10%になるらしい。

以下は病院に行った妻とのLINEのやりとりである。
僕がお世話になっている先輩と食事をしている時に妻からラインが来た。

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子宮外妊娠ではなくホッとした。
しかし、無事に妊娠したからといって、安心はできなかった。


当時、妻は38歳であり、高齢出産(女性35歳以上)に該当する。
以下は年齢ごとの流産率である。

【年齢ごとの流産率】
30歳~34歳 15%
35歳~39歳 17% ~ 18%
40歳以上  25% ~ 30%

年齢が増えるにつれて、流産率が上がるのがわかる。
妻と、安定期(妊娠16週)になった時に初めて喜ぼうと話した。

その後、妻に言われるがまま、トツキトオカというアプリをダウンロードした。

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このアプリは妊娠したタイミングを記入すると、自動的に逆算で生まれた日を計算してくれて、お腹の赤ちゃんの様子についても教えてくれる便利なものであった。
このアプリでは日にちが経過するにつれて、イラストの赤ちゃんが大きくなる。イラストの変化を見ることで赤ちゃんの成長を見ることができる。

このアプリが特に便利だったのが、この時期の”ママの様子”ということで、この時期は特につわりがひどいので優しくしましょうなど、パパに対してアドバイスをくれたことであった。

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男性の立場からすると、妊娠している女性が今、どういう状況なのか、わからない。まして、初の妊娠だと尚更であった。

妻の場合はつわりがひどく、また日中、家の真隣でビルの解体工事が行われ騒音が酷かったため、つわりがおさまるまで妻の実家(千葉県)に帰ることになった。妊娠して早々から夫婦別々の生活が始まった。

僕は週末になると妻の実家へ様子を見に行った。
だが気軽に千葉と東京の往復生活ができなくなる事態が訪れた。

新型コロナウイルスである。
僕は仕事柄、外出や会食が多く、妻の実家にいるのは妊婦と高齢の義両親である。コロナをうつしてしまうかもしれないので、週末にも会えなくなってしまった。
妻からは日に日に大きくなるお腹の写真が送られてきた。


一人暮らしになった僕は、とにかく仕事をしていた。
仕事にもコロナの影響があった。
資本提携先企業の経営会議は今までは出張で参加していたが、それがオンラインに切り替わった。緊急事態宣言が出た時はテレワークにはなったが、どうしても会社に行かなければいけない時もあった。ハンコである。

企業の売買を行うM&Aの世界では契約書が多く、ハンコが欠かせない。さらにそれらを郵送したりする。郵送もコロナの影響で、空輸する飛行機のフライトの数が減って通常よりも時間がかかったりした。
期日の迫った契約書を北海道に送る必要があり、郵便局の窓口まで行って、郵便局員に必死に話を聞いたりと、バタバタ過ごしていた。

楽しみは妊婦検診に行った妻からの報告だった。
お腹の中は見れないので、病院でエコーを見るまで無事に育っているかわからない。
幸いにも胎児は順調に成長しており、3月末には小さな手も確認することができた。

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エコー写真にくっきり写っている小さな手。
これには感動した。

ちゃんと指も五本あった。
心臓が動いていることや、指が五本あることなど、これまで当たり前だと思っていたことに対して僕は感謝するようになっていた。

しばらくして、妻のつわりがおさまってきて、安定期に入った。
検診で性別が男の子ということがわかった。
やっと安定期に入り、性別もわかり、素直に喜べるときが来たと思った。

だが、次の瞬間事態は急変した。

LINE電話の向こうで妻が、「子宮頸管が短くて、切迫流産になってしまっている」と言った。

子宮頸管?短い?と疑問だらけだった。
そもそも子宮頸管の場所さえよくわかっていなかったので調べてみた。


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この場所のことであった。

子宮頸管は出産に向けて短くなる。本来であれば今の時期だと4センチないといけないところ、妻は2.7センチしかないということだった。(=胎児が出てきやすい状況)

「来週、再度検診なのだが、医師から短くならないように安静に寝て過ごすように言われている」と妻は言った。
動いていいのはトイレだけで、食事も運んでもらい、シャワーも2、3日に一回になるそうだ。
「寝ていればきっと伸びると思う。来週の検査で問題ないと言われるよう頑張る」と妻は言っていた。

子宮頸管が短くなる原因は色々あるようだ。
仕事が忙しくて動き過ぎている人もなる。感染症が原因でなる人もいる。
だが妻は実家に引きこもって動いているとも思えないし、感染症の症状も特にない。

「子宮頸管無力症だったら嫌だな」と妻は言っていた。
後日、子宮頸管無力症だとわかる。

子宮頸管無力症は、原因がはっきりとはわかっていないけれど、日本での発症率は0.05%から1%だが、妊娠中期の20~25%の流産の原因になるそうだ。

義両親の大きなサポートのおかげで、一週間寝たきりで挑んだ次の検診。

努力の甲斐も空しく、妻の子宮頸管の長さは1.8センチになっていた。前回の2.7センチからさらに短くなっていた。

妻は検査して、そのまま車椅子に乗せられ、入院することになった。

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いつまで入院かわからないそうだ。
最悪の場合は出産までと言われたらしい。
当時は4月で、出産予定日は9月。コロナ禍なので家族も面会は一切できない。

そこまでする必要はあるのかと思ったが、
僕は妊娠21週までというのに大きな意味があるのを知らなかった。

妊娠21週と22週の間には命の境界線とも呼ばれる大きな境界線があった。

21週で産まれたら流産、22週以降に生まれたら早産になる。
妊娠22週未満で生まれてきた赤ちゃんは発達が不十分で生まれてきても生きる見込みがないとされる。そのため、生まれてきても流産とみなされるのである。

妻が子宮頸管の短さを指摘されたのは19週、入院したのは20週の時であった。もしも、あと2週間以内に生まれてしまったら、流産となる。

病院で一人きりで流産の瞬間を迎えたら、
尋常でいられる気がしないと妻からLINEが送られてきていた。

まだ生きてるのにそんなこと言うな、つらいのは君だけではないと僕はキレた。
義両親もつらそうなのがLINEからでも伝わってきたからだ。

もし無事に22週に入っても、早産になったら障害が残るかもしれない。
障害があるのは悪いことではないけれど、大変なことも多いだろうし覚悟がいる。
早産になる可能性があるのだから、流産してしまった方がいいのだろうか。そんなことがつらつらと書かれていたり、泣き顔のスタンプが大量に送られてきたりした。
病院から送られてくる妻のLINEは発狂しかけている感じがした。
僕はそうなったらその時考えようと言った。
その時では遅いから、早産の子が助かる病院に転院したほうがいいのではないか、病院調べて電話してみてよなど、妻はキレていた。

病院で寝たきりで過ごし、誰とも面会できず、やることがないので流産や早産のことばかり調べて、一人でどんどんマイナス思考になっているようだった。

三日ほどしたら病院生活に慣れたのか、太陽の当たる病室に移ったら少し気が晴れたなど、少し明るいLINEがくるようになった。

病院ではWi-Fiが使えず、スマホが使えるデータには限りがある。
気分転換になるように本を届けようと思った。妻に読みたい本を聞いて、
丸善で10冊くらい本を買って、本を届けるために妻の実家に行った。Amazonで注文して妻の実家に送ればよかったのだが、なんとなく自分で買って届けたかった。
妻の実家にきたそのタイミングで、妻からLINEが来る。

「手術を受けられることになった。家族の同意がいる。誰か聞きに来れないか」ということだった。
早速、僕は病院に向かって、本を看護師に渡して、医師から手術について話を聞いた。

医師から提案を受けたのは、子宮頸管縫縮術(マクドナルド法)だった。

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子宮頸管縫縮術とは子宮頸管を縫って縛る手術であった。

コロナ禍で面会が禁じられている時ではあったが、手術の説明を聞くために入院病棟に入ることが許され、熱を測ったあと、お互いマスク姿で久しぶりに会うことができた。

手術は無事に終わった。
手術慣れしている妻は余裕であった。
下半身麻酔は楽しかったなど言っていた。

いつものごとく、僕は小部屋で医師から術後の説明を受けた。
子宮頸管を無事に縛ることができ、1.8センチから3.0センチまで長くなったそうだ。
医師によると、子宮口が少し開いており、あのまま手術を受けなければ赤ちゃんが生まれていたかもしれないとのことだった。

ギリギリセーフであった。

手術の甲斐もあり、流産ではなくなる妊娠22週を無事に越えた。
これ以降であれば早産になる。少しホッとした。

その後も大部屋での入院は眠れないなどつらいことも多かったようだが、
術後から二週間で、自宅でも絶対安静を条件に退院の許可がおり、妻は実家に帰った。

だが、実家でもトイレとお風呂以外歩くことは禁止である。ベッドの上に座ることもあまりしてはいけない。基本寝姿勢で過ごさなくてはいけない。

僕は仕事があるので東京に戻り、再び別々の生活が始まった。
妻も大変だが、妻を介護しなくてはいけない義両親はもっと大変だ。
せめてものできることとして、介護用ベッドをレンタルした。

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義両親には感謝しても感謝しきれない。彼らがいなければ、僕たち二人で出産まで乗り越えるのは難しかったと思う。

僕は仕事でバタバタしていたが、
妻は一日が経つのが遅く、一週一週がとても長いと言っていた。
妊娠において1日というのは非常に大きな価値がある。

以下は妊娠週数による赤ちゃんの生存率だ。

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上記の図にあるように妊娠22週目では生存率30%、しかし1週間後の23週目では50%まで一気に増える。体重も重要な要素である。

28週以降になると、赤ちゃんの内臓がほぼ完成に近づき、生存率は95%になってそれ以降はずっと95%で横ばいとなる。体重も1,000gを超えるそうだ。


次は28週を目指そう。



どうか、まだ生まれてこないで・・・
切実に願った日々であった。



つづく


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