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自分のやりたいこと⑦ - 起業準備編

前回の記事はこちら(死の谷編)


NPOの組織体制変更後、少しずつ事業は進み始めていた。

武道館のコンテストから半年が経った社会人3年目の夏。
ワタミから2,000万円の件について、そろそろ話を詰めたいと連絡があった。

僕は有給休暇をもらって普段はしないネクタイを着けて、ワタミの本社に向かった。

到着すると役員会議室に案内された。
しばらくして先方の役員が現れた。

はじめに教来石から新しい会社の事業はまだ決めれていないということを伝えた。

役員「これだけ待たせておいて、決まってないのはどうかと思う」

教来石「はい、すいません・・・」

役員「経営者にはスピードも大事よ」

ごもっともである。

我々はNPOの日々の業務に追われて対応をズルズル後ろ回しにしていた。

結局、9月下旬にワタミに事業計画を説明するということになった。

起業準備の当初、僕には自信があった。

普段の仕事で事業計画を作っているので問題なくできるだろう。と考えていた。

しかし、進めていくうちにわかった。
想像以上に険しい道だということに。

普通の起業とは異なり、以下を考える必要があった。


ワタミの意向

ワタミからの出資なのでワタミが承認するようなワタミの今後の方向性と合致したもの。


NPOが会社を始めることのストーリー(寄付者や関係者向け)

新しい会社で事業は儲かるという理由だけでどんな事業でもやっていいわけではない。寄付者や関係者になぜその事業を始めるか説明する必要がある。事業はNPOの活動である映画上映と何か関係性やストーリーが必要だった。

NPOへの資金送金

我々の本業は映画上映である。
会社の事業がNPOの活動(映画上映)ではない場合、その会社からNPOにお金を流すスキームが必要だ。会社からNPOに寄付する、もしくは会社の業務の一部をNPOに外注するようなスキームを考える必要があった。

それ以外にも考慮すべきことがあった。

2,000万円について、寄付者や関係者の人から様々なアドバイスをもらっていた。

今後の関係性を考えると、その人達のアドバイスを無下にできなかった。

考えるべきことが多くありすぎてカオスになっていた。

アイディアを探すために急遽、有給取ってカンボジアに飛んだりもした。

現地に行けばきっと何か見つかるだろう。しかし、カンボジアの電気のない農村部。お金の匂いが全然しなかった。結局、何も収穫がないまま帰国した。

また帰国して運の悪いことに、仕事が忙しい時期と重なった。終電を過ぎて働いていた。深夜にタクシーで家に帰り、そこからすぐ近くのデニーズに行って事業計画を考える。そういう日々を繰り返した。

ワタミに事業計画を説明する日が徐々に近づいていた。

しかし、いいアイディアも出てこなかったし、

もらったアドバイスの中からどれか一つを決めようとすると誰か他の人に角が立ってしまう。

どうしていいかわからなかった。

結局、一つに決めることができなかったのでもらったアドバイスをもとに

スタディツアー、企業研修、映画イベント等、それぞれの事業計画を作った。

9月14日

僕は仕事を終わらせて、丸の内のサピアタワーに向かった。

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この日はいつもお世話になっている団体の関係者の二人から事業計画についてコメントをもらう日だった。

一人は元ベンチャーキャピタリストで、現在は某映画製作会社の取締役で、

もう一人は経営コンサルタントで上場企業の社外取締役などもしている人だった。

会議室に到着すると、
二人はいつもの穏やかな表情ではなく、すごく真剣な表情だった。

そして僕は用意してきた複数の事業計画についてプレゼンを始めた。

すぐに鋭い質問が飛んできた。

事業計画のロジックがおかしい。

一番致命的だったのが

「一人の消費者としてそれを本気で買いたいと思いますか?」
という質問だった。目標に対して数字を合わせて落とし込んだだけだった。僕の計画には現実味がなかった。

これ以上見てもダメなのでプレゼンは途中で中止になった。

1人から本質的な質問が来た。

「結局、一番何をやりたいの?」

すぐに回答が出なかった。
いろいろなことが絡み合って身動きが取れなくなっていた。

もう、僕にもわかりません・・・

涙が出てきた。

人前で泣いたのは何年振りだろうか。

体力的に精神的にも限界だった。

そして仕事があるので帰らせてくださいと嘘をついて、途中に帰った。

電車にも乗りたくなかったので家まで歩いて帰った。

どうしたらいいかわからない。

自分の実力不足。

こんな状況では起業するのはなかなか難しかった。

このままだとNPOの運営にも影響がでる。

翌日、教来石と話をして、

まずはNPOをしっかりすることから始めようという結論になった。

ワタミに起業について長期保留か辞退の旨を伝えたところ、
気長に待ってくれるという回答だった。


この2,000万円の一連のできごとが僕を大きく変えた。


事業計画のプレゼンで指摘された「これは○○円ですが、あなたは一人の消費者として買いますか?」の一言。

この言葉がそれ以降もずっと自分の中で引っかかっていた。

消費者としての視点が欠けていた。営業の人からするとすごく当たり前のことなのだが、僕は経理から経営企画でずっとバックオフィス周りだった。ビジネスサイドの視点が欠けていた。仕事の規模が大きすぎてビジネス現場が見えていなかったのだ。

「有名な企業で規模の大きい仕事をできたらいい」

就活の時によく言っていたセリフである。

もう規模なんてどうでもいい。

規模が小さくていいから新規事業開発のようなビジネスに携わることがやりたい。そう思うようになった。

しかし、経営企画から簡単にまた異動できるわけではなかった。
さてどうしたものかと考えていた。

ふと社内の通達を思い出した。

それは新しい人事制度だった。

会社でFA(フリーエージェント)制度の導入が決定して、10月から実施されるとのことだった。

FAは異動希望者が手をあげて、希望部署の面接にパスをすればその部署に異動できるという夢のような制度だった。この制度では元の部署の意向などは無視される。

つまり希望部署の面接にさえ受かれば、経営企画のお偉いさんがノーと言っても異動できる制度だった。

社内通達が来た時は仕事が忙しく、
また2,000万円の対応に追われていたため、こんなの関係ないとメールをすぐに読み捨てていた。

再度、読み返すとまだ締め切りまで3日あった。ギリギリセーフだった。

これはチャンスだと思って僕はすぐに申込みフォームの記入を始めた。


フォームにはこれまでの経歴、異動希望部署、異動希望理由を書かせるようになっていた。


異動希望部署は新規事業開発にした。

異動希望理由・・・

僕は悩んだ。

異動希望理由は正直に書くと2,000万円の件だ。

2,000万円の話は起業の話なので面接官に変な印象を与えかねない。

無難に会社の仕事だけ書くか。

どうすべきか。

結局、ありのままで2,000万円の話をすることにした。

やれるだけのことをやって散ろうと考えた。

後日、書類選考通過し、面接についてメールがきた。面接は自己紹介プレゼンだった。面接の詳細をよく見ると、面接官はなんと取締役だった。


まじか、やってしまったと思った。お偉いさんにNPOの話をするのか。

でもフォームにもう書いてしまったのでやるしかない。

迎えた面接当日。

控えの会議室に案内された。

少し時間があったので、準備してきた自己紹介スライドを読み返して、口パク練習をした。何度練習しても仕事のスライドからNPOのスライドへの流れがどうしても自信がなかった。

しばらくして隣の会議室に案内された。

広い会議室に取締役を含め3人がすでに座っていた。

それでは始めてください。と言われ、

これまでの自分のキャリアについてプレゼンをした。

うん、うん。と頷いてくれた。

ここまではスムーズだった。

そして肝心のNPOのパートに入った。

急に、お偉いさんの表情が曇る。

お偉いさんもビジネスの場でそんな話をされるとは思っていなかった。

何を話してるんだという空気になった。

でも僕はその空気を無視した。
プレゼンで一番NGは自信なさげに話すことだ。
内容がめちゃくちゃでも自信を持って話す。
とりあえずやりきる。


活動内容、ミッション、そして異動のきっかけになった2,000万円の話をした。


そしてプレゼンが終わった。


関係のないことを話したので怒られるだろうか。

どんな反応が来るかドキドキだった。


取締役「おもしろい」



つづく


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