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自分のやりたいこと⑥ - 死の谷編

前回の記事はこちら(NPO入門編)

NPOの話の続き。


賞金2,000万円もらえるコンテストで優勝した我々。

これで貧乏NPOから脱出できる。映画をたくさん届けられる。

と喜んでいた矢先、

ミーティングで教来石から驚くべきことが伝えられた。

優勝後に、教来石はコンテストの事務局から、
「2,000万円は賞金ではなく、出資か融資ですよ」
と言われたというのだ。
武道館では「2,000万円獲得です!」と表彰されていたが、

募集要項を見ると、確かに最大2,000万円分の支援と書いてある。

誰もが2,000万円分の賞金だと勘違いしていた。

※余談だが、同コンテストの副賞の表記は翌年から、
賞金100万円+最大2,000万円分の出資を受けられる権利に変わった。

2,000万円の賞金が手に入ると思っていた我々は大いに落胆した。

NPOである我々は、出資や融資を受けることができない。

つまり2,000万円を得るにはNPOをやめて株式会社をつくるか、
あるいはNPOとは別に会社を立ち上げて起業しなければならなかった。


派遣社員の事務員だった教来石は、出資や融資が何かさえ知らない。

団体のミーティングでは、教来石はNPOの代表だからいいのであり、
会社の社長になったら誰もついていかない。
2,000万は惜しいが、この話は断ろう、という方向で落ち着こうとしていた。

そのミーティングに参加しながら、僕の中に疑問が沸いた。

会社にして出資を受けることができたら、
途上国の子どもたちに映画で夢の種をまきたいという教来石の夢に大きく近づくのではないか。

形態が株式会社でもNPOでも、それらは世の中の問題解決の手段でしかない。
お金がお客からくるのか寄付者からくるのかの違いだ。

教来石が経営できないのは確実なので、教来石がもしも会社を起こしたら僕が手伝えばいい。今の会社を辞めて。

今だからチャレンジできる。まだ若いし失敗したら転職すればいい。
そんなことを考えて教来石に伝えた。
会社になってもついていくと言ったのは、当時のメンバーの中で恐らく僕だけだったと思う。

そこから教来石の中に、会社を作るという選択肢が芽生えたらしい。
会社にするにはどうしたらいいかと教来石と頻繁に話すようになった。

だが事業をするといっても、どこで収益を出せばいいのか。
どうしたらビジネスとして回すことができるのか。

色んな人にアドバイスを聞きにいく教来石は多忙を極め、
やがて体を壊し、当時勤めていた会社を辞めることになった。

本当に会社を作らなければ、教来石の収入はゼロだ。

教来石が体を壊すほどストレスを溜めたのには、恐らくもう一つ理由がある。
団体に「死の谷」が訪れ、
組織が崩壊しようとしていたからだ。


“死の谷”とは、NPOが迎える成長する途中に訪れる谷だ。

以下、「NPO業界でささやかれる「死の谷」とは(アゴラ)」より引用。

「ボランティア団体の大半は、何かしらの問題意識や高い志から活動を始めたリーダー(個人もしくは複数)に共感する人々が一緒になって取り組みをしていくわけですよね。受益者から応分の見返りをもらう、というよりも実費負担程度をお願いする程度で、まさに「ボランティア」として運営し、それにより継続されているところから始まるわけです。


その後、活動の拡大の中で「ボランティア」だけでは、主催者の負担感がどんどん重くなっていくわけです。その中でボランティア活動として参加していたスタッフの中にはこんなはずじゃなかったと不満が出たり、辞めたりっていう人も出てくるし、なによりリーダーたちを中心に、時間的にもときには資金的にも持ち出し状態になったりするわけですね。この状態をやゆして「明るい社会、暗い家庭」とNPO業界では言われたりしますね

結局、ここで大きく3つの選択肢があるのだと思います。

1)事業型への移行を目指す
2)がんばる、とにかくがんばる(苦しいやつ)
3)ダウンサイジングして、ボランティアで楽しめる範囲にする
0)辞める」

死の谷へのきっかけは、
優勝後に教来石のスピーチを見ていた大学生たちから、
メンバーになりたいという希望者が殺到したことだ。


当時、団体には同時に多くの新メンバーを受け入れる体制がなかった。

そのため組織全体の体制を見直すことになった。

その議論をする中で、最終的にぶつかった問題が

そもそも、組織としてあるべき姿とは?だった。

当時、メンバーはざっくり20人くらいいて、どこからどこまでがメンバーかわからなかった。組織体制があやふやだった。

メンバーも様々な人々がいた。

ボランティアには給料が発生しない。人手がほしい教来石は手伝ってくれそうな人全員をメンバーに入れていた。そのためメンバーの活動理由はそれぞれ違った。

面白そうだから、教来石に頼まれた、先輩の紹介、スキルアップ、カンボジアが好き、映画が好き、ミッションに共感、本当に様々だった。


活動理由は違っても、みんな本当にいい人達だった。

みんな、団体のことが好きで、団体にとって“良いこと”をいつも考えていた。

しかし、“良いこと”の方向性がそれぞれ違っていた。


当時、団体はできて3年目で組織としてそれほど形になっていなかった。

それぞれがそれぞれの想いで団体にとって“良いこと”を考え活動していた。

始めはそれで良かったが、徐々にメンバー間で考えがぶつかり合うことが増え、意思決定に時間がかかるようになった。本来は代表である教来石が意思決定を行うべきなのだが、教来石とメンバーの関係性もかなり対等なものに近く、リーダーとしての自覚もまだなかった。

様々な方向性のメンバー、形になっていない組織、リーダーとしての自覚がない代表、

そんな組織で組織としてあるべき姿とは?という議論になった。

僕はメンバー全員に組織のあるべき姿についてヒアリングをしてみた。

様々な意見が出てきたが、大きく分けると以下の2つだった。

メンバーファースト

現状維持で、全員で足並みを揃えながら事業を進めていく。

NPOの界隈というのは本当に優しくて良い人が多い。メンバー全員の意見をちゃんと聞いて、お互いを思い合って全員で話し合って一緒に進めよう。という意見。

つまり事業を進めるよりもメンバーを第一に大切にしようというメンバーファーストな考え。


事業(ミッション)ファースト

全員の意見を聞くのではなく組織体制を明確にし意思決定者を明確にする。

一部のメンバーで意思決定を行い、事業をスピーディーに進めていく。

メンバーは全員ボランティアで普段は仕事をしている。全員の意見を聞くと時間がかかるし、なかなか話がまとまらない。
事業ファーストは全員の意見を聞かないため、一部のメンバーは置いていかれてしまうが、意思決定は早くなり事業が進みやすい。

事業ファーストはメンバーを第一に大切にするのではなく、事業を進めるほうを優先する。


どうしてメンバー間で意見が2つに分かれたのだろうか。

主な原因はメンバーが団体に入ったタイミングの違いによるものだ。


初期のころは、大学のサークルに近かった。

代表のアイディアに共感して、おもしろそうというのでメンバーが集まった。最初は寄付者もいないので責任も発生しない。ボランティアなので、率先して仕事を進めようとする人はわずかで、メンバー仲良く和気藹々としていた。


僕が入った時、団体には寄付者がいた。

カンボジアの子どもたちへ映画を届ける活動への寄付だ。

その時に入った僕から見ると、信じてお金を託してくれているのに、なんで映画を届けていないのか疑問で憤りさえ感じた。団体は1年以上カンボジアに行っていなかった。メンバーのスケジュールが合わないという理由だった。

寄付者の人に会ったとき、申し訳ない気持ちになった。
寄付者からお金をもらっている以上は活動を進めなければならない。

僕は事業ファースト派だった。

メンバーファースト派、事業ファースト派で中々折り合いをつけることができず、まとまらなかった。

どちらが悪いわけではない。メンバーも事業も大切だ。

優先順位の問題だ。しかし、どちらが一番大事かで組織の方向性は大きく変わる。

イメージはメンバーファーストはアットホームでストレスはなく、だが事業展開のスピードは遅い。
事業ファーストは仕事に近く、ストレスもあり、だが事業展開のスピードは速いだ。

どちらが正解というわけではない。
リーダーの決めの問題で、組織の在り方が決まる。

ある日、僕は教来石をファミレスに呼び出し詰め寄った。

いったいどうしたいのか?

教来石がメンバー全員を大切に、足並みをそろえて進めていきたいなら、
僕はメンバーをやめると言った。

僕は武道館のコンテストでこの活動の可能性を感じていた。あの岡田さんと接戦だった活動。きっと人々の心に刺さる何かがあるに違いない。この活動はもっと広げていくことができる。そう信じていた。しかし教来石にその気持ちがなければ意味がない。

教来石は悩み、その場で答えを出せなかった。

事業を進める方を選ぶことは、ずっとやってきたメンバーと別れることを意味する。


考えると言って、教来石は帰った。



後日、教来石の出した結論は事業を進めて広げたいということだった。
そこから僕は事業を進めるために本格的に動き出す。


以下は、新しい組織体制の発表時に僕がメンバー全員に送ったメールだ。


CATiCはNPOで寄付を法人、個人からいただいています。
寄付とは僕たちの事業活動に期待していただいているお金です。

そのため、寄付金をいただいた時点で、僕たちには事業を進めていく責任があります。もし事業をすすめなければCATiCにお金が貯まっていくだけです。そのお金がもし他の団体に寄付されていれば、カンボジアの子ども達にすぐ届いていたかもしれない。そういう状況は決して避けなければなりません。

また寄付以外にも今後は大企業とのコラボなどもあるかもしれません。その際に仕事などを決められた期限以内に対応できなけば、CATiCは信用を大きく失います。みなさん仕事や学業など本業がありますが、各自ができる範囲でやっていきましょう。できない時はできないとすぐに言える組織にもしたいです。それが確かな進捗に繋がると確信しています。


今後は、新メンバー対応、カンボジアフェス、NPOの書類提出、書籍出版、夢アワードの協賛企業対応、GWの映画配達、総会準備などなど越えるべき山はたくさんあります。
コンテストに優勝したこともあり、この一年が勝負だと僕は思います。

最後にCATiCはエンターテイメントを届ける団体です。

やるべきことはたくさんありますが、楽しみながらやりましょう。

そして、おもしろいことをやってやりましょう。


当時の僕の口癖は「事業を進める」だった。

結局、新組織体制が形になったのはコンテスト優勝から2か月後の2015年4月だった。

こうして組織体制整理を行い、以降は事業推進に向けて徐々に基盤を固めていった。

そこからメンバーは徐々に辞めていった。

この件については時々思い出して、実はもっとうまくやる方法があったんじゃないかと考えることがある。でも過去に振り返っても仕方がない。僕は前に進むしかない。前に進む責任がある。そう考えるようにしている。


つづく

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