見出し画像

自分のやりたいこと⑧ - ベンチャー編

前回の記事はこちら(起業準備編)

後日、面接の結果が届いた。


合格だった。

社会人3年目の2016年2月、
希望通り、新規事業開発への異動が決まった。

結局、経営企画にいた期間は1年半だった。

後日知ったのだが、新しい人事制度で経営企画から異動したのは僕だけだった。

通常の異動とは違う、自分から出ていく異動なので
挨拶周りの時は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


新規事業開発での仕事は、

会社が新たに進出する分野・業界のベンチャー企業への投資(M&A)だった。

具体的には、ベンチャー企業の経営者と交渉をして投資条件を決めていくのが仕事だった。


投資先のベンチャーのオフィスに通って、ベンチャーの経営企画業務の支援を行ったりもした。


投資先企業の中には、まだ商品すらリリースされてない社員20人規模のベンチャーもあった。


親会社とベンチャーの違いに最初は戸惑った。

親会社は社員が1万人以上もいて、最新鋭のシステムで管理されていた。僕は新卒で入社したのでそれが当たり前だと思っていた。


一方でベンチャーは

社員20人程度、売上もない、システムもないので手でエクセル管理、そして窒息しそうな狭いオフィス。キャッシュもギリギリ。

全然世界が違った。

有名な企業でもなく、規模も小さいが、

現場との距離が近いため、ビジネスをより身近で感じ、
自分の望んでいたことができていた。


やりがいを感じた。

だがNPOのほうがもっとベンチャーだった。

相変わらずスリリングだった。


話を少し前に戻す。

2,000万円の話を長期保留にしてほしいとワタミに連絡した後だ。

団体は以前と変わらず資金繰りがキツイ状況だった。

少しずつ国内の事業は進み始めたが、肝心のカンボジア現地での事業は全くの手つかず。

組織改革をしたはいいが、 このままでは今までと同じように

本来の事業であるカンボジアでの映画上映ができていない状態だった。

そんな中、大学生メンバーの一人が、

ラチがあかないので大学を休学してカンボジアに行ってきます。と言い出した。

確かにこのままではラチがあかなかった。
日本からメンバーが長期休暇のタイミングで映画上映をしに行くだけでは実績はなかなかできない。

実績がない団体にお金は集まらない。


ここは勝負するしかないと考えた。

大学生を1年間カンボジアに駐在させることにした。


しかし、ビンボーNPOだったので当然、お金のメドは立っていなかった。

大学生が駐在できても2、3か月分の資金しかない。

足りないお金はクラウドファンディングで集めることにした。

クラウドファンディングに乗り気でないメンバーもいた。
もっと身の丈にあった活動をしたほうがいいんじゃないですか。

と言われた。


身の丈にあった活動。
年に一度、映画上映に行く活動。
確かにそれなら簡単にできるし、無理したり苦しんだりしなくてもいい。

でもそれでは何も変わらない。

途上国中の子どもたちに映画で夢の種をと謳いながら、
一年に一度旅行気分で映画上映にいくならサークルでもできる。

それに活動の縮小ならいつでもできる。
だから今は背伸びしてでもやろう。

確信があった。
カンボジアに拠点を作って、たくさんの子どもに映画が届く実績が作れたら、
お金は後からついてくる。

画像1

実績がない団体にはお金が集まらない。

進んでいる団体にお金は集まる。

クラウドファンディングに失敗したら
俺が払うからやらせろと言って押し通した。
クラウドファンディングを始める前に、
大学生はカンボジアに送った。

クラウドファンディングの目標調達額は

カンボジア拠点の1年間分の運転資金110万円だった。

寄付で110万円以上も集まるのか不安だった。


だから寄付が入るたびに、支援者の思いやお金の重みを感じた。
クラウドファンディング最終日には、目標金額を上回る資金が集まった。

恐らくクラウドファンディングをやった人にしかわからない感動を味わった気がする。

こうして、支援してくださった想いある方たちと、勇気ある大学生メンバーのお金で、
無事にカンボジア拠点をスタートさせることができた。


だがクラウドファンディングの資金はあくまで初期費用と1年分の運転資金だった。

キャッシュが尽きるまでに、
継続的に活動を続けていける資金をカンボジアでの実績を元手に資金を集めなくてはいけない。

カンボジアで大学生が拠点を立ち上げ、
現地スタッフと映画を届けている間に、

日本にいる僕らは法人営業を開始した。

法人営業といっても、教来石始め
ゴリゴリ飛び込み営業にいける人材はいない。

有り難いことに、いいタイミングで
教来石が人づてに紹介してもらったりすることで縁をもらっていた。

だが教来石は、企業を紹介されても論理的に話せないのでクロージングすることができない。

来た案件を逃さないのが僕の仕事だった。
企業訪問前は、資料作成のため徹夜になることがほとんどだった。
仕事と同じくボランティアと言えど、手を抜かずやることが結果に繋がると信じていた。

企業の人と話す時は、事業開発での経験が活きた。

事業開発で企業提携などの進め方を学んでいたからだ。

次第に、何社か法人スポンサーになってもらえる企業がでてきた。

徐々に資金が集まり始めた。

法人スポンサーは様々であった。

寄付金だけ気前よくポンとくださる企業もあれば、

一緒にCSR戦略を考えてほしいという企業もあった。

企業もCSRと言っても、捨て金にするわけにはいかない。

株主にも説明ができるような事業との関係性、ストーリーが必要だ。

そうなると広報戦略や事業戦略、経営戦略に話が広がる。

その延長線上で僕の普段の仕事関係で、

マネジメントやファイナンスについて経営者と議論するようになった。

そんなある日、

とある会社の社長から言われた。

「執行役員でうちに来ない?」

物事はいつも突然だ。


つづく


つづきはこちら

サポートされたお金は、途上国の映画を観ることができない子供たちに映画を上映する活動に使わせていただきます。