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「何になりたいの?」と聞かれて



「何になりたいの?」とたまに聞かれる。友達やよく会う知人ではなく、初対面の人やバーの店員さんに聞かれる。
どこにも足がついていない感じがするのだろうか。
ぼくとしては、何かはわからないけれのもう何かしらに“なっている”気もするし、今後別の何かに“なる”かもしれないとも思う。
別の何かになるとしたら、「何になりたいの?」に答えるのは難しい。

ぼくの目の前には、いくつかの道がある。そのどれを選ぶかわからない。同時に複数の道を選ぶこともできるし、一つの道を進んでから他の道を選ぶかもしれない。

優先順位はない。
どれも自分にとっては魅力的だから、実現可能性が高い道を選ぶだろう。
この実現可能性は選ぶ瞬間にならないとわからない。だから、「何になりたいの?」と聞かれて即答することは難しい。

どうして今回筆を取ったかというと、実は即答するに値する言葉が見つかったからだ。
つい先日バーの店員さんに聞かれて、口から出た言葉が今後確実に選択するだろう道だった。

「既婚者」

そう答えた。
どの道を選んでも既婚者となることは間違いないし(相手が見つからない可能性はあるけれど)、自分がなりたいものだ。
そのために何を頑張っているかと聞かれたら、特に何もしていないわけだが、誰かに責められることもないので焦りがない。

既婚者となる以外に何になりたいのか。
大学院に行きたいし、仕事と両立できるならフランスに留学したいし、行動経済学を使った仕事もしたい。英語もフランス語も達者に話せるようになりたいし、もっともっとたくさんの本を読んで知識を増やしたいし、まだまだテレビやラジオにも出たいし、講演会も増やしたいし、取材も毎日受けたい。

そういった願望を実現したぼくが、具体的に“何なのか”は言い表せないので、「何になりたいのか」と聞かれても困ってしまう。

しかし、「別に何かになりたいなんて思ってませんよ。何者かになりたいなんて、現実を知らない子供の発想ですよ。人はその人でしかありえませんよ。ある程度成熟したら、能力が伸びたり新たに何かできるようになったりすることはあっても、大きく変化して別の何かになることなんてありませんよ。何の労働もしてなくてこれから就職活動をする大学生ではないんですよ。すでに芸人なんですよ」などと言うことはできない。

かといって、やりたいことをだらだらと述べることは求めていないと思うので、そもさんせっぱとして「既婚者」はよいと思う。




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