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「生きる意味」について

「生きがいを見つける」
「遊ぶように暮らす」
「毎日を楽しむ」
という類の言葉は、
最近、一気に
触れることが増えてきました。

これらのベースにあるのは、
生きる意味」を考える人が
増えているということ。

しかし、
生きる意味なんて、
そんな簡単に見つかるはず
ありませんよね。

この「生きる意味」について、
精神科医の
泉谷閑示さんが、
著書で面白いことを
述べられていました。



「有意義」という呪縛

人が「生きる意味」を
問わざるを得なくなるのは、
必ずや「意義」を
追い求める生き方に
疲弊したからなのであって、

そこで改めて
「意義」を問うてみても、
それで何かが
見つかるはずもありません。

生産マシーンのごとく、
常に「価値」を生むことを
求められてきた私たちは、
「有意義」という
呪縛の中でもがき続けていて、

大切な「意味」を
感じるような生き方を
想像する余裕すらない状態に
陥ってしまっているのです。

『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える 』
泉谷閑示

泉谷さんは、
「意味」と「意義」を
別々のもの
として捉え、
生き方に「意義」を
求めようとしている人が増え、
逆に「意味」を見いだせない人が
増えていると考察されています。


泉谷さんによると、
意味」とは、
自分の内側にベクトルを向け、
自分で見出すもの。

一方、「意義」は
行為などが、
存在するにふさわしい積極的な価値
を指します。

つまり、
労働主義的な昨今において、
「価値を生むこと」が
求められてきたため、
「有意義」という呪縛の中で
もがき続けているというのです。

そして、
「有意義」という呪縛の中で、
「意味」を感じられる
生き方を想像すらできないのに、

「生きる意味」を
自分の中ではなく、
外側で探そうとし、
仕事において、
生きる意味を見出そうとする。

その仕事が
運よくあなたピッタリ合えば、
それは、生きがいとしての
仕事のなり得ます。

しかし、それが、
あなたに合わなければ・・・

「生きる意味」がない、
卑下してしまう、
視野が狭まってしまうなど、
ネガティブな展開になりかねません。



人間にとって最も大切なことは「観照」だった?

アレントやウェーバー、
そしてラファルグの議論を元に、
泉谷さんは以下のように
述べられています。

本来は人間的な手応えを
得られるはずの「仕事」
というものが、

いつの間にやら「労働」
というものに吸収合併され、
すっかり変質してしまったということ。

そして、
「労働」こそが価値を生むものである
という「労働価値説」が
社会経済の根本的価値観と
なってしまったこと。

さらに、
古来は最も価値あること
とされていた静かな
「観照生活」の意味は
すっかり忘れ去られて、
単に怠惰で
非生産的なものとして
しか捉えられなくなってしまった。

『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える 』
泉谷閑示


ここで述べられている、
観照生活」こそが、
自分自身の内側に
ベクトルを向け
「生きる意味」を
考えることなのです。

その「観照」を
全くする余裕も
考える余裕もない状態の中で、
「生きる意味」なんて
探すことはできないですよね。


つまり、
「生きる意味」、「生きがい」
を見つけたいのであれば、

わずかであっても、
日々の中で、
自分にベクトルを向ける
ということが大切なのです。

そして、「量」や「価値」
を求められる「有意義」から
解放されて、
生き物としても
人間としても「意味」を
感じられるような生き方を
模索するべきなのです。



とはいえ、私たちはどうすれば良いのか

とはいえ、
意味を感じられるような
生き方をするには
どうすれば良いのでしょうか?

それに対して、
泉谷さんは、
即興」を大切にすべきと
述べられています。

つまり、
「偶然」に身を置くということ。

その時思いついたこと、
感じたことに従い、
新しいことに挑戦してみる。

いつもならやらないけど、
気が向いたからやってみる・・・
などなど。

このように、
偶然に身を任せることで、
倒錯した価値観から脱出し、
堂々と喜びに満ちた日々を
生きること。

それが、
生きる意味」を感じられる
人間らしい生き方なのです。



まとめにかえて

ここまで読んでいただいても、
あなたの「生きる意味」は
見つかっていないと思います。

でも、それでいいんです。

生きる意味」は、
あなた自身が
自分との会話の中で見つけるもの。


と、こんな風に書いている私も、
もちろん「生きる意味」を
明確に言葉にすることはできません。

ただ、この本を読んで感じたことは、
常に自分へベクトルを向け、
自分と会話することが
大切なんだということ。

世の中の、
「自分探し」系の本は、
どれも同じことを
違う言葉で言っているのでは・・
とすら感じます。

また、本文内に出てきた
「観照」に関しても、
禅やヨガにおける哲学と
近い考えだと感じました。

𓂃𓈒𓏸

「仕事のなんか生きがいにするな」

FIREして、
遊びまくろうぜ!

みたいな内容だと
勝手に思い込んで
開いた本でしたが、

もっと奥の深い、
哲学に近い本でした。

ただ、泉谷さんも
巻末で言われているように、
風呂敷が広がりすぎて
収集がつかなかった感も
感じられる本ではありました。

色んな角度から
「生きる意味」について
考えるという意味では、
良かったです。

この本をきっかけに、
ウェーバーやアレント、
夏目漱石など
古典に関しても
興味を持てました^^




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