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考察:よか家族1

おばあちゃんの原爆体験の手記をもとに母が書きました。
これを「よか家族」の話と3代目の私がまとめました。


よか家族の話は
夏の暑い日に、小さい子どもたちの昼寝の準備をしているところから始まります。

その時、原爆が落ちてきたんです。

↓これ方言そのままの原文



原爆が落ちた時の母は4歳8ヶ月で、その他5人の兄弟姉妹と、おばあちゃん(たぶん37歳くらい?)が家にいました。

これから家族バラバラになったり再会したりして生活を立て直すまで
記憶が絡まるほどに忘れたい、でも覚えてる話です。

家がなくなったと解かった時に
おばあちゃんが

『馬鹿になったごとありました』

と表現した状況を、
家族の絆で乗り越えてきた本当のお話です。

ただ、母の中で記憶の混乱があります。
3代目だからこそ、なんか変だぞ?と思うところとかちょいちょいあります。

おばあちゃんと母の話がごちゃ混ぜで
たまにはしょったり、一つの出来事に複数の説が出てきますが
軽くスルーしてください。


それで、1話の文章の書き出しの所。
初っ端からですけれど
末広町(出島あたり)で生まれたのは誰?です。
早速ですがスルーします。そのお話は聞いたことないですもん。

で、その日3代目(私)のおじいちゃんは岩川町の工場にいました。
鋳物工場です。原爆投下地点から電停ふたつくらいの場所です。

爆弾が落ちた時のことをおばあちゃんがこう言っています。
「石屋さんのさん壁にパーッって青い光ん刺したとよ」

お寺さんの後ろに住んでいてお墓が沢山ある。
そこの石屋さんの壁を見たんですね。

地形的に、爆弾の投下地点から少し山の陰になっていたのと、
墓石か何かがおばあちゃんの後ろにあり、熱線を免れたのかなと思います。

青い閃光をは原爆の熱線。これ浴びたらあれでしょう。。

この青い光の話はおばあちゃんから何度も聞きました。
この数秒が忘れられないんだって。

家族から痛みややけどのことは聞いたことありません。
子供のころ一緒にお風呂に入った時もやけどの跡を見たことがありませんでしたので、大きなけがはなかったんだなと思います。

考察を進めます。
青い光の次は爆風が来ます。
長屋のような家だったそうで、そこを畳や布団、ふすまが爆風で飛ばされます。

おばあちゃんの気持ち。すっごい怖かったと察します。
青い光?え?と思った数秒後に爆風で家財も自分も飛ぶ。

私はいつもニコニコのおばあちゃんを知っているからこそ、
その光景をなんとなくですが想像できてですね、

喉のあたりが熱くなります。


話は2話へ進みます。


全話一気読みはこちらです。

スキしてくれたら
おばあちゃんから3代目とその孫まで
5世代で読んでくれてありがとうって感謝します。

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