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虚栄心を満たすために本を買っても良いと思う

数年前にホワイクワンに住んでいた時のことだ。

あの頃、ビザランで知り合った同い年の日本人男性と少しつるんでいた。なんでも彼は北米やメキシコを放浪した後に、タイに流れてきたという人だった。

うーむ、私よりも流れ者として、メジャーリーグ選手だなと思ったものだ。アメリカではアルバイトみたいな仕事をして、チップをもらいながら生活していたらしく、いくつか本になりそうな面白い話を聞かせてもらった。

そんな彼がたまたま私のアパートに遊びに来たことがあった。私の部屋には本棚があって、本を所狭しと並べていた。その本棚を見て彼が言ったのが、

「マニュアル本が多いですね」

ということだった。

ええっ!そうかな、そんなにマニュアル本が多いだろうか。詳しい書籍の題名は覚えていないが、うーむ、確かにあの頃、営業のやり方とか、そんな本を買っていた気がする。

バンコクは新刊で日本語の本を買うと高いので、ついつい古本屋で本を買うわけだが、古本屋においてある安い本というのは、大抵、質が悪かった。まあ、確かに、マニュアル本と言われても仕方がない本だ。

他人に自分の書棚を見せるのは、自分の頭の中身を開陳するようなことなので、注意が必要なのだろう。

上記の彼に言いたかったのは、いやいや、こんな本ばかりじゃなくて、ちゃんと自分は文学もそれなりに読んでいるし、社会科学系の本、雑学の本、基本的に面白そうな本はなんでも読んできたつもりだ。二十代の頃には、友人に誘われて、資本論を読む会に参加したことさえある。(会の途中で寝てしまったが)

たまたま折悪しく、書棚のラインナップが悪くて、あまり知的に見えなかっただけなんだよ!と弁解したかったが、時すでに遅しだ。

ただ、今の時代、他人に見せるための本棚を作るような本の買い方というのはほとんど流行らないかもしれない。

電子書籍リーダーの中身だって、他人に見られることはまずないわけだ。

だから、ついつい読みやすい本、簡単な本ばかりに手を伸ばすということも出てくると思う。

(余談だが、電子書籍は便利であるけれども、何度も読まないと意味が理解出来ないが、価値のある古典のような本を読むのには向かないと思う)

昔のような虚栄心を満たすための本の買い方というのは、一見、バカバカしく見えるけれども、人間が成長していくためには、そうした知的スノビズムはある程度必要だと思っている。


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