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ムスメの強さと優しさと。

北海道の桜の主流はヤマザクラ。

花と同時に葉っぱが出てくるので、ソメイヨシノのようにわあーっという雰囲気にはちょっぴりなりにくい、笑。

でも、面白いことに桜も梅もほぼ同じ時期に咲き始め、他のお花も一気に花開くので、あったかくなってなあーって春のおとづれには敏感な北国。

大通公園あたりを歩いていると、街を行くヒトみんなの足取りがスキップしているようで面白いな、っていうのが北海道一年目の感想でした☺️

さてさて、日常の小さな、でも大きな学び。子どもとの時間。私に大きな気づきをくれます。

我が子の思慮ふかさに、自然に湧いてくる敬意が私と子どもの関係を育ててくれます。いつのころからか、わたしにとって子どもは、大人が教える存在ではなく、学ばせてくれる存在だという感覚がしみついています。

我が子を知って、湧いてくる敬意が、関係を気持ちよく育ててくれてます。でもね、私はいつまでたっても未熟者。

そんな自分の今を受け入れて素直にゆっくり日々を重ねています。

そんなある日の出来事。

出かけて疲れて帰ってきて夕飯作りを始めた私。

片付け終えて台所に向かうと、ムスメがすでにお米を洗ってお鍋にセットしてくれていました。

ガスを引いてないため、灯油コンロの我が家。

コンロの灯油が切れそうだ。

今日は灯油係の男子の方々がいないため、ムスメ、機転を利かせ、いつもは男子がしてくれる仕事を迷いなく自分の行動に変えました。18リットルの灯油缶を小さな身体で必死に運んでホースで入れ始めたムスメ。

私の疲れを想像して動いてくれたムスメの気持ちにただただ感謝しておりました。

けれどもそんな時ハプニングが発生。

灯油を入れるときは、ポンプに残る分も想定して入れないと溢れてくることを、ムスメ、知らなかったのです。初めてだったので、知らなくても当たり前だし、いい経験だったはずなのに。

母ちゃん、爆発する。

慌てて私も手伝い、溢れるしかないポンプにのこった灯油をポンプケースに移したのだけど、こともあろうに疲れていた私はそのケースにぶつかって打ちまけ、「ああ、もー!」ってイライラを表現しちゃったんですね。

ムスメに「悪いことしちゃったな。」って思わせたくなかった。だってそれは全く悪いことじゃない。

ヒトは全て自分で経験して、知恵もそれをするときのあらゆる配慮も身につけていくものだから、知らなかったことを学んでる最中なだけ。せっかくの経験を私を怒らせちゃって良くなかったって思って欲しくなかった。

自分で考えて動いてくれたその行動力と優しさに感謝してる想いを伝えたかった。

けれども「疲れてる」ことに気を取られていた私は、イライラを外に出してしまったんです。

倒れたポンプケースを抱えて、まずはこれを片付けてくる、と涙をこらえ切れずに部屋を出てったムスメ。

母ちゃんハッとする。

「ああ、やっちゃったな。kokkoはただただ優しさで動いてくれていただけだったのに。」

戻ってこないムスメの気持ちを想いながら、あたりを片付けながら疲れていた今の自分がどうしたかったのかを考えた。

起こった事は受け入れるしかない。まずは自分がイライラする気持ちをとどう向き合ったらよかったのかを自分に問うた。

疲れてるのに、って思う自分の気持ちを私はどうコントロールすべきだったんだろう、と。

そうして、ムスメにぶつかるくらいなら、何も焦ってやる必要もなかった。たくさんの配慮のもと、動いてくれたムスメを傷つけてしまったことが私にとって何よりも悔やんでるんだってことに気づきました。

そうして、自然に出た行動。

「自分で考えて動いてみる。」そうできた彼女の行為に感動したのに、これから先の彼女のそんな想いに、この経験が邪魔をしてしまうんじゃないかと、自分に悲しくなって。

いてもたってもいられなくてムスメに謝りにいきました。

素直な大人でいたい。

ムスメ「saekkoのせいじゃないよ、誰だって灯油なんかこぼされたら怒る。kokkoだってきっと怒るもの。」って言う。

ワタシ  (いや、ムスメだったらきっと怒らないだろうなっておもう。初めてだもんね、って言いながら片付けを手伝ってくれる、彼女はきっとそんなヒト。)

「疲れていたの。だから動きたくなくてイライラしてしまったの。kokkoに申し訳ないなって思いながらボカーンって爆してしまったの。制御不能になったときの、自分のコントロールの仕方を今日また一つ学んだよ。

私ね、大事なことをkokkoに伝えなくちゃいけないの。

帰ってきた途端にkokkoは自分で動いてくれたでしょ?きっと私の疲れをわかって動いてくれてるんだって、本当に感謝してたんだ。なのに、そんな優しい人を傷つけてしまった今の私の態度が嫌だったの。それを一番に謝りたかった。

ほら、人生ってさ、初めての事、想像も及ばないことが起こることってたくさんあるでしょ?

今日も、kokkoが自分の力で考えて決めて動いてくれたのに、こんな風に怒っちゃったら、これからまたそんな風に挑戦しようとしたときの、kokkoの気持ちを揺らす原因になってしまうかもしれないと申し訳ないとおもって。本当に、ごめんね。」

それでも頑なに、灯油をこぼされたら怒るよ、と、私を責めるのではなく、自分に責任をかかえ続けるムスメに私はずっと謝り続けたんですね。

そしてしばらくしてムスメからもう一言。

「本当はこのまま、もう1つの灯油缶にも灯油を入れてあげようとおもっていたんだ。」

「じゃあ、次はうまくいくね!今日のことは失敗じゃなくて経験。また1つ新しい知恵を身につけたということだから。」

そう私が声をかけた途端、ムスメは「ううん、うまくいかないと思うよ思うよ.........。」

自分の態度の責任を感じて悲しくなってしまった私。

また熱く自分の思いを伝えていました。

「kokkoのせいではないこと。

大人になっても初めてのことがたくさんあって、それをもしせめられたら、私も何もしたくなくなってしまうこと。

うまくいかなかった経験は自分に知恵をつけてくれるから、やってみたらできることだってたくさんあるんだ、ってこと。私はこんな暮らしになってたくさんの新しいことの挑戦してる。全て自分で動いてみるしかなくて諦めたら、そこでストップしてしまうの。

私はここで暮らすのが幸せだから、たくさんの初めての経験を超えたいって思いながら今、暮らしているんだよ。」

と。

ムスメの思慮深さとワタシの独りよがり

そうして、「そんな自分の経験があるのに、大好きなkokkoの優しい気持ちを傷つけてしまった自分に悲しく思ってごめんねが止まらない。」って、そのあとずーっと謝り続ける私にしばらくしてkokkoが言ってくれた言葉。

「もう謝らないで。kokkoが一番したいことはね、今この時間を楽しく過ごすこと。だからもうごめんねは言わなくていいんだよ。一緒に楽しく過ごそうよ。」

私が感じていた以上の彼女の懐の大きさと思慮深さに、ますます自分の行為を心で反省しました。

「kokkoはすごいね。そんなことを言葉にできてすごいね。そんな優しい心のkokkoに、私は疲れてるんだからもっとわかってよ、っておもっていたのかもしれない。kokkoがどんな人か、また1つわかった気がする。ありがとう。」

そう伝えるとkokkoはもう1つ、言葉にしてくれました。

「あのね、kokkoはおもうの。

次に灯油を入れる時、kokkoのいったように、うまくいかないかもしれない。でもね、saekkoのいうように、うまくいくかもしれない。どっちもね、間違ってないの。だからどちらでもいいんだよ。

kokkoはそう思う。」

次に灯油を入れる時はうまくいくね!って私の声かけに、うまくいかないと思うよ、といったkokkoの後ろ向きさが悲しくて、いいや、うまくいくはずだよ、と言葉を強めてしまった私に対する彼女の感性を知りました。

うまいく行かないと思わせてしまったそんな気持ちを超えて欲しい、そんな私の独りよがりの想いを改めて認識した彼女の言葉。

今日のことを彼女なりに消化して、心の動き、感じたことをこんな風に言葉にできる彼女に、改めて、正直に、敬意を持った私がいることを感じました。

私、またムスメに教わりました。

そうだ、どっちでもいい。kokkoのペース、私のペース、それぞれのやり方で必要なことは超えていけばいいよね。

大人の思いを押し付けない。

今回の出来事はそんなムスメの思慮深さを知るための私の経験として、丁寧に心に置いておこうと決めました。

ムスメの人生はムスメのもの、ワタシの人生はワタシのもの。

そうそう、先日、公園にいたら、どこかのスポーツクラブの勧誘のお姉さんに話しかけられました。そんなお姉さんの質問とこの経験が、リンクしました。

「お母さんはムスメさんにどんな人になってほしい、って思いますか。」と。

私から出た言葉は、

「元気でいてくれて、自分の目で物を見て、考えて、今自分がどう過ごしたいか決められる力が彼女にはついているので、それ以上求めることは何もないかなって私はおもうんです。私は、親の思いに合わせて動くことの大変さをずっと経験してきたから、あまり願いを託したくなくて。どんな時も彼女が自分の素直な気持ちを私に向けられる、そんな関係でいれば、彼女が必要とした時に助けることもできるから。いつでも幸せに今を生きてくれるように、そばにいる大人である私が幸せに日々を過ごしたいなって思ってます。」

と。

今のムスメを知るどりょくをしつづけて、敬意を持って関わっていける大人でありたいとおもっています。

ムスメに期待するのではなく、自分がどう寄り添えるかな、って自分ができることを考える習慣がようやっと自分についたのかな、っておもった2つの出来事。

傷つけちゃうよなあって思いながら、コントロールできなかった私自身の気持ち。やさしい気持ちで生きていくために自分がどんな風にあったらいいか、日々の中にまだまだ課題が沢山あるなあって思います。

一歩ずつ、精進☺️

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ムスコ、灯油コンロの掃除を手伝ってくれてます。手伝いって、好きな人が大変そうだから、手を貸そうとおもって動く、優しさなんだって子どもたちから学びました。

だから我が家にはお手伝いお小遣い制はありません、笑。

彼らの沢山の配慮があって成り立つ日々の暮らし。彼らに対して沢山の感謝が沸くことで敬意を持つ私たちと、大人の弱さも知ってる子どもたち。そんなことの積み重ねが私たちの関係をいつも育ててくれています。

ありがとう😊

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