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音楽家 vs 現象学

リヒャルト vs フッサール

私達音楽家はリヒャルト・シュトラウス(1864生)のみファースト・ネームで呼ぶ風習があります。ワルツのシュトラウス親子と区別するためです。

リヒャルトはロマン主義的な音楽を書いていたのですが、だんだんオペラを書くようになって行きます。そっちの方が楽しいですかね? 交響曲も後期に書いていますが、《家庭交響曲》で自分の家族の雰囲気を表現したり、《アルプス交響曲》で登山を表現したり、視覚を基準とした活動が増えました。

そして、ユダヤ人の血を引くので、敢えてナチスと仲良くしてました。じゃないと活動出来ませんものね。

フッサール(1859生)は経験できない領域の判断は停止するべきと考えました。雑に説明すると「神」とか見えないしよく分かんないから考えても無駄という意味です。判断を停止しろという主張です。(判断の停止を「エポケー」と言います)見えるモノのことだけ考えようぜという話です。

そして、ユダヤ人ですので、ナチス統制下で外で活動は出来ませんでした。家に籠もって本を書いていました。

この時期のドイツの人は作曲家も思想家も同じようなこと考えて、同じ連中に苦労させられてたのですね。

フランス6人組 vs メルロ=ポンティ

フランス6人組・・・音大受験生は覚えされられましたね。ミヨー、オネゲル、プーランク、タイユフェール、デュレ、オーリック(だいたい1900年直前生)です。なんか個人の気持ちとか自己主張を頑張るロマン派とか、何のキーか分からないような、フワーっとなんかよく分からない印象を表現する時代ってどうなの? 昔からあるちゃんとした古典的な音楽やったほうが良いよね〜という6人です。

メルロ=ポンティ(1908生)も過去からの情報の繋がりが意識を作って行くと言いました。私達は信号を青と言いますよね。アメリカではグリーンと言います。虹は7色に見えますよね? アジアの民族によっては3色と表現します。視覚の機能が違うのではなく、過去のお母さんや先生あお友達から教わったことなどを通じてそのように信じているだけです。ま、ここから知覚優先という話になるのですが、それはまた今度にしましょう。

過去からの繋がりをフランスの人達は考えていた季節?なんですね。

まとめ

ちなみにこのような記事を書いているのは近所のJKが来年音大受験で共通テストで倫理を選択させるためです♫ あれこれ繋げて楽しく勉強出来ればいいですね。 上記二人フッサールとメルロ=ポンティは「現象学」と呼ばれるジャンルです。

ちなみに、大人はここから「自分の音楽哲学」を形成してゆく必要があります。上記のことを知らない人は緊急事態です。女子高生に抜かれる音楽人生になりますよ。9月に秘密の企画を計画中ですので、公式LINEにご登録完了させておいてください。

津本幸司

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