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うつから回復したはずなのに

※この投稿には自死にまつわる心境の記述があります。

2024年3月、私は自宅で防災用のロープを首に巻きつけていた。
もうこんな自分で生きていたくない。死んで楽になりたい。どうして。どうしてこうなってしまったんだろう。

2018年に、会社勤めの激務がたたって『うつ』と診断され、休職・退職して療養に専念した。当時、このnoteに心境を綴りながら、少しずつ生活を取り戻していった。

その後、ハローワークの職業訓練校に通い、資格を取得し、パート職員として再就職。さらに国家資格を目指して通信制大学に入学し、2年間の勉強と実習を経て国家試験に合格し、退職した。

夫の転勤で引越しを余儀なくされたが、資格を活かした職場で非常勤として再就職した。この頃にはうつ病による希死念慮や倦怠感はかなり少なくなり、克服したと感じていた。自分の人生は自分でコントロールできるという自信を持って、5年以上続けていた精神薬をやめた。

今思えば、それがいけなかったのだろう。
精神薬を中止した時期あたりから、新しい環境での生活や仕事の現実とのギャップ。それから感染症、気候変動、大地震、航空事故、少子高齢化、戦争といった不安なニュースが心を蝕んで、心身のバランスを崩すようになった。

はじめは小さなバランスだった。
頭の中が痺れる感覚がして、左半身の感覚が鈍くなった。激しい不整脈と、耳鳴りに悩まされる。不安になって脳神経外科を受診するも、CT検査の結果は異常なし。
仕事中、頭が深い霧に包まれるようにぼんやりしてしまい、人の話がうまく理解できない。些細な注意でパニックになったり、眠くないのにまぶたがやけに重く、目を開けていられない日もある。
それから、気候変動や少子高齢化、戦争、両親の老いへなど将来への不安が募り、うまく眠れない夜が続く。
寝てる間ずっと軽い金縛りにあっているような感覚で、寝返りが打てなくなり、全身がガチガチに凝った。
子どもがいないことに急に焦りを感じ、衝動的に不妊治療を始めることになる。

次第に大きなバランスを。
脳の霧は深くなり、頭が混乱して何も考えられなくなる。
能登半島地震があり、災害への不安が増し、夜中に恐怖で絶叫しながら飛び起きる。夜は一時間しか眠れず、不安で食事が喉を通らない日々。
自分自身に対する認知、他人との関わり方も、ますます悲観的になって、「自分なんかと関わる人は不幸だ・可哀相だ・自分はここにいていい人間じゃない!」と本当の自分を偽っているような感覚や、全ての人に見放され孤独死するイメージが頭から離れなくなった。
妊娠を希望しているのに、「こんな自分に育てられる子どもは不幸になるに違いない!」という矛盾した思いで引き裂かれそうになる。
そんな自分の未熟さに失望し、発達障害や境界知能、人格障害ではないかと衝動的に精神科の予約を取っては、不安を一人で抱え切れず、夫や家族、友人にぶつけることもあった。

やがては巨大なバランスを崩すことになる。
生理予定日が近づくと不安でたまらない。基礎検温や下腹部の痛み、吐き気。妊娠の兆候が現れる。もしも妊娠していたら?とても育てられない!と恐怖がパニックを引き起こし、壁や床に頭を打ち付ける。
とにかく不安で不安で不安で不安で、生きるのが嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で。
頭の中では思考がミキサーのように激しく流れていくのに、それを抑えることができない。脳が痺れて目が回り、まともに立っていられない。それでも焦燥感でじっとしていられず、床に正座して何時間も頭を揺らしている。もう何も考えられない。文章が読めない。言葉が理解できない。一睡もできない。水が喉を通らない。こんな自分はもう生きていけない。私は全ての人に見捨てられ、家族も財産も全てを失い、惨めに死んでいくだけだ。そうなる前に死ぬしかない。あらゆるサイトで自殺未遂の体験記を読んで心を落ち着かせる。妊娠が分かる前に死ぬしかない。今度こそ確実に死ぬしかない。

遺書を書き、長年パソコンで書きためていた日記のデータやnoteの投稿をすべて消去し、防災用のロープを押し入れから引っ張り出す。
自宅には、ちょうどいい強度のハンガー掛けが壁に備え付けてあった。ロープを輪にくくり引っかける。これで死ねる。これで死ねるんだ!!


心底情けない話だが、結局、私は死ねなかった。
絶望的な気持ちの中で最後の最後にかけた「いのちの電話」に運良く繋がった。その後、家族や友人に助けを求め、電話で話を聞いてもらったり、家に泊めてもらったりしながら、精神科を受診する日まで生き延び、精神薬を処方してもらって落ち着きを取り戻した。

生理予定日になっても生理が来ず、妊娠してしまったんだ!私には育てられない!堕ろすしかない!と泣きわめきながら産婦人科を受診したら、全く妊娠していなかった。ひとまず、「産むか堕ろすか死ぬか」という極限の選択から解放された。

情緒が落ち着いた頃に知能検査を受け、いたって平均的なIQであることが分かった。発達の特性に凹凸は認められるが、この程度なら生活の中で工夫すれば問題ないと診断された。

この一件で、私は多くを失ってしまった。
迷惑をかけた友人は、ギクシャクとしたわだかまりが残った。
仕事も、この精神的不調のせいで半年以上も結果を残せずにいる。職場内での私の評価は最悪だろう。
夫からは離婚を言い渡された。今のところなんとか夫婦生活を継続しているが、「子どもを作ろう」と決めたのに私が最悪な形でひっくり返してしまったので、信頼を失ってしまった。

無様な姿を曝しても、生活は続く。
精神薬を再開しても、脳の霧は晴れないままで、思考力や判断力・記憶力はぐんと落ちた。
とにかく気力が湧かない。頭が異様に疲れやすく、複雑なことが考えられないので、家事も仕事も最低限しかできていない。
以前好んでいた趣味にも全く興味が持てず、熱心に学んで取得した資格にも情熱を失ってしまった。

今はただ生きているような死んでいるような日々。
何も見たくない。何も聞きたくない。永遠に自我を失っていたい。
それでも時折、同年代の友人や夫と自分を比べてしまい、情緒的な幼さや人格の未熟さに絶望し、どこかで別の選択をしていたら、少なくともあの精神的崩壊を回避できたのではないかと考えてしまう。

「うつ」から回復したはずなのに。こんなはずではなかった。

とはいえ、生活は続く。
失ってしまった信頼を取り戻さなければならない。
崩壊してしまった精神をまたイチから積み上げなければならない。
あまりに幼稚な精神を、これ以上幼稚にしないようにしなけれなならない。

回復は続く、どこまでも。

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