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仙川さんぽ 実篤公園

4月7日(日)、実篤公園まで散歩してきました。往復4〜5千歩の道のり。この日の合計歩数は12,913歩でした。

実篤公園を散歩するのは無料です。公園の中には旧実篤邸、武者小路実篤さんが70歳から亡くなる90歳まで住まわれた邸宅があります。運よく、この日は無料ガイドさんに案内していただきました。実篤さんとは実際に旧交のあった素敵な高齢女性の方でした。私は旅先でもボランティアガイドさんから声がかかると、時間があれば遠慮なくお願いするたちです。

私が一人で案内されていると、たまたま、小学校2年生になる女の子とお母さんが近くにきたので、途中から一緒に見てまわることにしました。ガイドさんの案内なしでは入れないお部屋もあるので、ガイドさんと出会えたのはラッキーでした。女の子はご両親と遺跡等にも旅をしていて、古いものに興味があり、素直な感想を口にし鋭い質問をしていました。こういう子が将来、「博士ちゃん」(サンドウィッチマンと芦田愛菜ちゃんの番組)になるんだろうなと思った次第です。

最寄駅が仙川だったため、武者小路実篤さんは自宅を「仙川の家」と呼んだそうです。亡くなるまでの20年間を、妻の安子夫人とふたりだけで過ごしたと聞き、びっくりしました。午前中は原稿の執筆、午後は書画の制作や来客に応対するのが日課。絵は夫人の影響。広い邸宅で来客も多く、夫人の尽力には頭が下がります。15歳下の安子夫人が亡くなると、同年、まもなく実篤さんが亡くなったそうです。

武者小路実篤著『一人の男』によると、「満七十に調布の土地に新しい家が出来、その十二月二十日に僕は其処に引越した。この家では僕が何となく夢みていた三つの事が実現されて僕は喜んだ。それは僕の子供らしい夢というべきものだった。何等の根拠もないものだが、僕は満足した。」、「それは自分の庭には水がある事、それから古い土器が出る事、それに土筆がはえている事」とのこと。

豊かな樹木と湧水に恵まれ、昔の国府に近い武蔵野の土地です。好きな土地でご夫人と二人だけの気兼ねのない晩年を過ごし、創作し続けた人生。自分の今と今後を考えさせられました。

庭は1,500坪、国分寺崖線沿いに家は建てられています。国分寺崖線は、武蔵野を代表する地形です。立川市から大田区まで連続する延長約30キロメートルに及ぶ「がけ地」。ハケともよばれています。多摩川が十万年以上の歳月をかけて武蔵野台地を削り取ってできた段丘で、その周辺には樹林や湧水などが多く残り、生き物にとっても重要な生息空間になっています。私の大学時代の恩師が小金井の方のハケの道沿いの傾斜地に住んでおられ、学生時代よくお邪魔して野川や緑の景観を眺めたことを思い出しました。

さて、帰りは近くのカフェ「niwa-coya」でニワコヤ珈琲をいただいて、ゆっくりしてから、帰途につきました。いつかランチも食べたいお店。

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