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『検索窓の世界 ④普通』


「普通」と入力して、検索。


いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。
類義語として、「一般」「通常」「平常」「平凡」「凡庸」

普通の人・普通の生き方って何?普通の人になりたいなら

アインシュタイン『人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ。』


普通の基準とは何か、という話である。

普通という言葉を使うとき、あまり深く考えないで乱用することが多い気がする。
例えば、「どうだった?」という問いに関して、「普通です」と答えるときは、具体的な意見がなく、感想そのものの印象を0にしてしまう。
「美味しい?」という問いに対して、「普通に美味しい」と答えるときは、そこそこ美味しいのだけれど、なぜか少し上からの目線になってしまう。
「普通の男性と結婚したい」というときは、身長が170cm、体重は60kg、年収500万円、趣味はゴルフ、車はトヨタ、巨人ファン、好きな音楽はミスチルとなる。
僕は普通ではないことになる。

これは、普通という言葉の使いやすさ故であると思っている。
普通の日本人は、普通にこの言葉を使ってしまう。
僕も、普通に朝7時に起きて、普通にスーツを着て、普通に電車に乗って通勤して、普通に出社して、普通にランチを食べに行き、普通に残業して、普通に飲み会に参加して、普通に帰宅する。
これら、全部頭に普通とつけても、なんら違和感ない。

しかし、これは今年2月までの話。
「普通に会社へ行く」という普通は通用しなくなった。
普通は時代に合わせて変化する。
普通は理想であり、フィクションである。
普通でなくなったことで、普通の良さに気づくこともある。

これは、AV女優ばかりでなく、素人モノを見たくなる心理と似ている。
あくまで、普通の一般男性の意見として。

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